今日21日は、総理主催の桜を見る会に、キョーコさんのお供をして行ってきました。
今日の新宿御苑は、初夏を思わせる天候でした。桜の木は、全て葉桜になっていました。
何人かの県知事や県議会議員を含め、久しぶりに顔を見る方に、お会いすることもできました。
月別アーカイブ: 2018年4月
歴史の見方の変化
長谷川貴彦著『現代歴史学への展望』(2016年、岩波書店)を読みました。
歴史学は、20世紀に大きな変化を遂げたようです。かつては、政治を中心にした歴史でした。また、マルクス経済学による歴史の見方が、力を持ちました。歴史小説や英雄を中心にした歴史物もあります。戦前日本の皇国史観もありました。ブルクハルトやホイジンガのような文化史(ハイカルチャー)もありました。
20世紀初頭までの「事実を発見し記述すれば歴史になる」といった見方を、見る人の視点によって歴史記述は変わることを、E・H・カーは「歴史とは現在と過去との対話である」と表現しました。その後、社会史が大きな流れになり、さらに文化史(庶民を含めた文化)に広がりました。
これら歴史学をどのように理解したら良いのか。すなわち「学派」を、どのように配置したら良いのかを知りたかったのです。良い概説書を見つけることができません。長谷川先生の本は論文集ですが、私の疑問に答えてくれました。
西洋絵画を見る際に、「西洋画の歴史案内」を読むと、それぞれの絵の位置づけがわかりやすいです。それと同じように、新書程度のもので、一般向けに史学史を解説してくださると、便利なのですが。
文化や経済といった社会構造が、どの程度、歴史を規定するのか。人という主体が、どの程度、主体性を持つのか。その相互関係なのでしょう。
他方で、見る人が何を主題にして、どのような思考の枠組みで歴史の事実を見るのか。それによって、取り上げられる事実は偏り、記述は違ってきます。
しかし、「見る人の数だけ歴史がある」では、私たちは困ります。それらの配置図が欲しいのです。さらに勉強を深めるべく、関連図書を読んでいます。
慶應大学、公共政策論第2回目
公共政策論も、第2回目の授業です。 こちらは約50人です。
この授業でも、新聞の読み方を簡単に教えました。そして、本論に入りました。東日本大震災の発災から復興を、スライドで見てもらいます。
町が流されたところで、まちをつくる、にぎわいを取り戻す、住民の暮らしを取り戻すには何が必要かを、解説し考えてもらうのです。公共とは何か、公共をつくるものは誰か、どのようにして作るのかを考えます。
スライドは、3回に分けて解説する予定です。
この授業でも、小レポートを課しました。こちらは、地方自治論Ⅰより、少々重たい内容です。
慶應大学、地方自治論Ⅰ第2回目
今日は、慶應大学で地方自治論Ⅰ、第2回目の授業でした。前回大勢の学生が教室に入ることができなかったので、今日から大きな教室に代えてもらいました。440人が入ることができます。もっとも、2人掛けの机に2人座ると狭苦しいので、快適なのは約200人でしょうか。
資料は180部用意して行きましたが、20部ほど余りました。出席カードは200枚提出されました。この差の40人は、資料を持っていかなかったか(ウエッブサイトに掲載しているので)、それとも・・・・。
どちらにしても、150人を超える学生を相手にするのは、「電圧」が必要です。200枚の出席カードに目を通すのも大変です。
今日は、前回の授業で私の声を聞けなかった学生のためにも、おさらいをしました。そして、日経新聞から提供してもらった「わかる!日経」と「 日経就職サクセスブック」を配って、新聞の読み方を伝授しました。このことは、先週12日の日経新聞夕刊コラム「新聞の読み方」にも書きました。
情報を集めて小論文を書くことの訓練のために、小レポートを課しました。連休中に考え書いてもらうためです。学生たちは、文章を書く機会が少ないです。そこで、このような訓練をしています。それを通して、レポートや事務文書の書き方を教えています。
全員からレポートが提出されると、これをすべて読むのはかなりの労力が必要になります。
授業で紹介した「就職面接を決める話し方」が載っている、NHK「アナウンサーとともに ことば力アップ」テキストは、「2017年10月~2018年3月。前期のバックナンバー」です。
日経新聞夕刊コラム第16回
日経新聞夕刊コラム第16回「未来との対話」が載りました。今回は官僚らしく、日本の行政論について書きました。もっとも、夕刊のコラムですから、そんな難しい話ではありません。また最近のニュースになっている「事件」についてではなく、もう少し長い時間で考えていることを書きました。
「歴史とは現在と過去との対話である」は、E・H・カー著『歴史とは何か』(邦訳1962年、岩波新書)に出てきます。よく引用される文章です。
「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」
An unending dialogue between the present and the past.
歴史は機械仕掛けのように進むものではなく、そこに人間の営み・作為が反映されます。社会と暮らしを良くするのか、あるいは悪くするのか。過去は変えることができませんが、現在と未来は変えることができます。
歴史を見る際にも、カーが言うように、客観的事実の羅列でなく、現在の私たちの問題関心に立って、過去を切り取ります。
すると、重要なのは、「現在の問題は何か」「良い点と悪い点は何か。良い点はどのようにしてできたのか、悪い点はどのようにして改良すべきか」を考えることです。それは政治の役割、政治家の役割ですが、それを考えて支えるのが官僚の役割です。
今回のコラムは、社会を良くすることを考えるという官僚の任務、成功した「近代国家形成、豊かな社会実現」、現在の官僚の自信喪失、これからの課題への取り組みの「未来との対話」、具体的例としての「国民生活省構想」を盛り込みました。少々、欲張りすぎましたかね。
国民生活省構想は、何度か書いたことがあります(2012年9月18日の記事)。