大山健太郎・アイリスグループ会長、需要を生みだす。

今日は、福島県郡山市へ。一つお祝い会に顔を出した後、福島相双復興推進機構が主催した「復興シンポジウム」で大山健太郎・アイリスグループ会長のお話を聞いてきました。
勉強になりました。「モノをつくって売る」(プロダクトアウト)から「市場のニーズに合わせる」(マーケットイン)へ、そして「消費者の要求を創り出す」(ユーザーイン)へと変身して、アイリスグループを育ててこられたことがよくわかりました。園芸用品もペット用品も、これまでになかった商品、愛好家が欲しがる商品を開発してこられました。
このページでも紹介している「低温精米」のお話しもありました。生産者や販売者の立場、これまでの考えにとらわれていると、出てこない商品です。今は、3大コンビニチェーンの全国のお店で、売られているとのことです。「アイリスの生鮮米

「帰還しないと決めた人がいるので、元の状態には戻らない。どのようにして新しい町をつくるかだ」という指摘も、適確です。

茶の湯 藪内家

NHK趣味どきっ、3月は、「茶の湯 藪内家」です。本屋でテキストを見つけて、買ってきました。
富山県庁勤務の時に、県庁茶道部に入って、お茶を教えてもらいました。それが、藪内です。西本願寺に連れて行ってもらって、お茶をいただくことも経験しました。その後、機会がなく、袱紗もしまったままです。お茶の点て方どころか、飲み方まで、作法をすっかり忘れてしまいました。

もっとも、お詫びの記者会見の際に、役に立ちました。日経新聞夕刊コラム「あすへの話題」2月1日「お詫びの訓練」にも書きました。

金井利之著『行政学講義』

金井利之著『行政学講義ー日本官僚制を解剖する』(2018年、ちくま新書)を紹介します。
行政学講義と銘打ってありますが、少々変わった行政学講義です。著者自身があとがきで、「多くの教科書とは、かなり異なる構成になっています」と書いています。帯には「支配と権力にさらされる被治者のための教科書」と書かれています。

行政学というより、国民統治の機構と機能、日本の実情についての解説です。通常思い浮かべる国の各省庁と自治体役場の解説ではありません。目次にも、「被治者にとっての行政」「支配と行政」といった項目が並んでいます。
日本の国政を対象とした政治学に近いです。統治の機構としては、構成員として政治(政治家)と行政(事務職、職業公務員)があります。この本では、それらをひっくるめて「行政」としています。私の整理では、政治は権力、行政は政策で象徴できると思います。その点で、この本では政策については詳しくは論じられていません。

また、制度や仕組みの説明ではなく、社会的機能など社会学的な説明が多いです。省庁の内部事情に詳しく、新聞記事には出てくるけど教科書など書物には出てこない話もたくさん書かれています。
日本が実質的にアメリカの自治体であると規定して、様々な見方をするなど、著者独自の見立ても多いです。
初心者より、上級者向けの本と思います。

日経新聞夕刊コラム第9回

日経新聞夕刊コラム第9回「仕事人間の反省」が載りました。
1週間、一歩も旧内務省ビルを出なかった以外にも、2週間泊まり続けることはしょっちゅうでした。
「着替えとかは、どうしたのですか?」と、心配される方がおられます。着替えは2週間分持ち込みました。お風呂は、建物の中の風呂(がありました)に行くか、洗面所でお湯で体を拭くか、有楽町までサウナに入りに行きました。このように忙しいのは12月から2月なので、汗臭くはありません。と本人は思っていました。

寝るのは、局長室です。ソファーは柔らかくて駄目です。床に寝袋を敷いて寝ました。朝出勤した職員に起こされるので、遅刻はありません。
朝食は抜き、昼食は職員食堂、夕食は店屋物を取ってもらいました。長時間ネクタイを締めていると窮屈なので、夜になるとスポーツウエアに着替えました。私は近鉄バッファローズのユニフォームを着ていました。上司から「それはやめろ」と指導がありました。ひいきのチームが違ったのです(笑い)。

周囲の人たちの行動を見て、忙しい時は職場に泊まるのが当たり前だと、思っていました。独身寮に住んでいたので、寮に帰るだけの「誘因」もなかったのです。で、他の人より、泊まり込む回数が多かったのです。

さて、職場に泊まり込むのは論外として。長時間労働、終業後の飲み会は、まだ職場で続いているようです。「仕事だから」というのが、多くの人の言い訳です。しかし、本音のところは、「早く帰っても、することがない。居場所がない」もあるようです。
私は決して他人のことを批判できませんが、最近は、極力早く帰宅するようにしています。異業種交流会(飲み会)も、早々に切り上げて。飲み会が疲れるようになったのと、このホームページ加筆と、原稿執筆、読書の時間を確保するためです。

仕事が終わっても帰宅せず、時間つぶしをしてから帰るサラリーマンが増えているそうです。フラリーマンと呼ぶそうです。
自宅に居場所がない、帰ると家事をしなければならない、自宅が気詰まりだ・・・
朝日新聞2月26日オピニオン欄「フラリーマン

ついに、キョーコさん登場です。何人かの方から「キョーコさんは出ないのですか?」と質問と催促を受けていたのです。

社会は変わる、葬式と墓の変化

2月22日の日経新聞「ポスト平成の未来学」は、「空中に生前の姿 会話も」です。お墓の形が変わりつつあります。記事では、技術を使って個人の姿が浮かび上がるものなど、新しい形が紹介されています。
・・・墓は家族のあり方とともに変化してきた。「○○家」の墓石を立てるようになったのは家制度が普及した明治時代。核家族や単身世帯が増え、墓の継承が難しい現代では、法的に議論のある散骨すら選択する人も。葬儀は身内のみの「家族葬」や儀式をしない「直葬」が広がる。東京大学の瓜生大輔助教(34)は「技術や家族の変化を背景に、弔いは今後一層パーソナライズ(個人化)する」と推測・・・

宗教心の希薄化だけでなく、家制度が変わり、子どもの数が減り、また故郷に戻らない子どもが増えるなどのよって、お墓を維持することが難しくなっています。

お葬式の形も変化しています。私の子どもの頃は、近所総出で葬式をしました。勤めてからは、職場のOBのお葬式が、組織を上げて行われました。
しかし、田舎でも葬祭場で葬式をするようになりました。職場のOBも長寿でなくなられるので、現役諸君は個人を直接知らず、また知人も退職しているので連絡が来ません。組織を上げてのお葬式でなく、家族葬になります。
「「家から個へ」変化する弔いの形