金融政策、専門知の分裂

2月4日の朝日新聞別刷りGlobeの特集は「FRBと日本銀行」でした。なかなか読み応えのある特集です。そのうち、山脇岳志・編集委員の「専門知の分裂と私たち」を紹介します。

・・・金融政策の話は難しい。経済学の博士号を持っている人たちが、全く異なる見通しや懸念を持ち、論争をしている。
日本銀行による積極緩和策を唱える「リフレ派」と、超金融緩和や財政との一体化のリスクを指摘する「反リフレ派」の20年以上の論争。知人からは、「どちらを信じれば?」との迷いをよく聞く。迷って当然だと思う。
どちらの主張が正しかったのかは、いずれ歴史が審判を下すだろう。ただ、どちらを信じるかで、貯金や投資、借金をして家を買うべきかといった私たちの「今の行動」は変わってくる・・・
「専門知」の分裂……それは、個人にとって厳しい判断を迫られる時代となって、眼前に広がっている・・・

・・・当時(2002年)の私は、「リフレ派」寄りだった。日銀の政策はあまりに消極的に思え、それまでの政策を批判し、積極策を取るべきとの考えを記した。「だが、そう考えるのは、今アメリカにいて、アメリカ人のエコノミストや当局者の意見を聞きすぎているためかもしれない」との留保はつけた。米国の主流派エコノミストの多くは、日本が取るべき金融政策については、「リフレ派」の立場だった。
私が米国の主流派への懐疑を強めたのは、その1年後、03年のことである。FRBは00年のITバブルの崩壊後、超金融緩和を続けていた。金利低下を生かし、住宅を担保に借金を増やして新車を買うといった人々の行動に、日本の80年代のバブルと共通するにおいを感じた。米国を去る直前に書いたFRBの連載の最後の記事は「危うい成長構造」という見出しにした。

当時、米国の当局者やエコノミストに「住宅バブルが起きつつある」と指摘したが、「日本とは全く状況が違うよ」と、ほとんどの人に相手にされなかった。バブルが崩壊し、世界を揺るがす金融危機に発展したのは5年後だった。
今も米国の主流派の学者・エコノミストの中には、日本経済の処方箋について「リフレ派」的な考えを持つ人は多い。
ただ、神様のようにもてはやされた当時のFRB議長、グリーンスパンの評価はバブル崩壊後に急落した。少なくとも私は、FRBや米国の著名な学者の多くが、住宅バブルや金融危機の兆候を見逃したのを目撃して、経済学の権威だからといって、正しい見方や予測ができるとは限らないと感じた。中央銀行の力も過大評価しないほうがいいと考えるようになった・・・