日経新聞夕刊コラム第4回

日経新聞夕刊コラムの第4回「鯉が包丁を持つ」が載りました。3回にわたり大震災について書いたので、今回は話題を変えました。
省庁改革は、私が経験した「珍しい仕事」の一つです。文中の事務局長は河野昭さん、官房長官は野中広務先生です。「河野さんの思い出
早いもので、新府省発足から17年が経ちました。40歳未満の国家公務員は、新しい府省で採用されているのですね。

連載が始まって、何人もの方から「読んでますよ」と、励ましの言葉をいただきました。面識のない方から、お手紙も。ありがとうございます。
辛口の先輩からは、「昨日の苦労話ではなく『明日への話題』(このコラムの表題)を書きなさい」との指導が入りました。
ご指摘の通り、昔の経験談ばかりで、申し訳ありません。「官僚の生態学」をお伝えしたい、それも珍しい経験をと思って、取り上げています。この後、徐々に話題は展開していきます。もう少しお待ちください。

冨山和彦さん、エリートコースだけではダメ

1月24日の読売新聞「経営者に聞く」、冨山和彦さんの「デジタル革命 乱世が来た」から。
・・・経営の醍醐味って、人間ドラマにあるんですよね。いい経営をすると、そこで働いている人の人生を良くする。悪い経営をすればその人たちが不幸になる。超一流企業には、ドラマ性があるようでないのです
(山崎豊子の小説)「沈まぬ太陽」では、航空会社のエリートが左遷されるけど、ケニアに飛ばされただけでしょ。それに比べ、地方の旅館やバス会社は、切ない話がいっぱいある。来月の給料が払えないとか、連帯保証しているから自己破産するしかないとか・・・

・・・エリートコースと称して有望な若手を企画部門や管理部門に配置する大企業がありますが、最悪ですね。全く役に立ちません。その人が社長になる頃には、すべてが変わってしまっているのだから・・・
・・・これからは経営者も若者も、360度、あらゆる方向に好奇心を持つことがすごく大事です。
世の中はどんどん変化していますから、いろんな可能性があります。どれだけ多様な領域に関心を持っているか、あるいは人間関係を持っているか。
いわゆる高学歴のエリートさんの空間で生きているだけではダメです。過去はそれで成功したかもしれないけど、新しいことと接点が持ちにくくなる・・・

塚田富治著『政治家の誕生』

塚田富治著『政治家の誕生 近代イギリスをつくった人々』(1994年、講談社現代新書)が勉強になりました。
政治家(statesman,politician)という言葉が、16世紀イングランドで使われ始めます。政治家が政治の舞台に登場したのです。暴力でなく言葉で統治する時代が始まったのです。国王の部下として、統治を行う。そこには、議会の同意を取り付けなければならないという、イングランド特有の制約条件がありました。
本書では、トマス・モア、トマス・クロムウェル、ウィリアム・セシルなどを取り上げています。
この時代は王政ですが、政治とは何か、政治家の役割・技能は何かを考えさせる良い本です。

塚田富治著『近代イギリス政治家列伝ーかれらは我らの同時代人』を読んで、この本も読もうと思いました(2017年12月24日の記事)。『政治家の誕生』の方が、先の時代だったのですね。
それにしても、このような古本が直ちに手に入るアマゾンは、便利です。

日本の大学の特殊性「家元制度」

1月15日の日経新聞、黒川清・政策研究大学院大学名誉教授の「独立した研究者、育成を」から。日本の科学技術研究が凋落する理由について。
・・・欧米やアジアの有力大学は、そうした変化に対応して魅力ある研究の場を整え、世界中から意欲ある教員、若者を引き付けている。他方、日本の大学は旧態依然、かつての“成功モデル”の維持にきゅうきゅうとするのみである。凋落は日本の大学が持つ構造的、歴史的な要因に起因するといわざるをえない。

明治政府は、ドイツの大学の講座制を採用して日本の高等教育の構築を図った。教育と研究を一体的に進める講座制によって、新国家の学術レベルは飛躍的に向上した。
だが、この制度は講座の主である教授を頂点とする権威主義的なヒエラルキーを形成し、自由闊達な研究の足かせとなる問題をはらんでいた。そこでドイツは同じ大学・講座の助教授は、そこの教授になれない制度を取り入れていた。大学でのキャリアを求めるならば独立した研究者として新天地で羽ばたくという哲学を持っていたからだ。
ところが、日本はドイツの大学の「形」は取り入れたものの、独立した個人としての研究者を目指すという「精神」の方は置き去りにした。

その結果、日本の大学現場には旧態依然とした“家元制度”が大手を振ってまかり通ることになった。教授という権威の下で、学生や若手研究者らは全員がその徒弟であり、教授の手足となって研究し教授の共著者として論文を書く。研究は教授の下請けの域を出ず、多くは教授の業績となる。大学には東大を頂点としたヒエラルキーが存在し、大学院重点化で狭いタコツボがさらに狭く窮屈になった。徹底したタテ社会の論理である。
タテ社会の頂点に立つ教授の下では、ポスドクで海外留学に出ても、それは教授のツテであり、2~3年で帰国するひも付き留学にすぎない。弟子たちは独立した研究者として独創的な研究を競うのではなく、教授の跡目争いに没頭する。官庁や企業と同様に大学の世界でも、今いる組織を飛び出して活躍することは社会的リスクが極めて高い。これでは斬新な研究が生まれるはずがない。

西洋に咲いた近代の科学研究には、次世代の独立した研究者を育てるのは教授の責任という哲学がある。教授の役割は自分の後継者、内弟子の育成ではない。次世代を切り開く独立した研究者を育てることなのだ。指導者は育成したPhDで評価されるといっても間違いではない。ここが日本と欧米の一流大学の基本的な違いだ・・・

原発被災地、営農再開意向

福島相双復興官民合同チームが、被災12市町村の農業者戸別訪問活動結果を公表しました。

平成28年11月に、認定農業者への戸別訪問結果を公表しています。認定農業者では、522人のうち、営農を再開した者と意向のある者は444人、85%です(認定農業者は、担い手と期待される規模が比較的大きな農家なので、再開意向が多かったのでしょう)。

今回の対象者は、それ以外の人です。その結果は、再開済みと再開意向のある人は41%、再開意向のない人が42%、未定が17%です。
再開意向のない方は残念ですが、それぞれご事情があるのでしょう。被災地以外の区域でも、後継者難から耕作放棄地が増えているのです。
この調査結果から、次の対策を立てることができます。官民合同チームは、このような戸別訪問など、地道な活動を続けています。