秘書官たちの権力争い

10月31日日経新聞オピニオン欄、アド・マチダ氏(トランプ大統領の元政権移行チーム政策立案責任者)の発言に、興味深いことが含まれていました。ホワイトハウスの中枢幹部の混乱についてです。

「プリーバス氏が首席補佐官だった時は(イバンカ、クシュナー両氏を)警戒していた。そんな状態では困る。だから国土安全保障長官だったケリー氏を後任の首席補佐官に起用し、まず大統領執務室へいつでも予約なしに入れる『ウォーク・イン・ライツ(大統領との自由な面会権限)』を持つ人をなくした」
「普通は6、7人だがプリーバス氏の時は35人もいた。これではトランプ氏が仕事をできない。執務室へのウォーク・イン・ライツを持つ人をゼロにすることについて、イバンカ氏もクシュナー氏も了解してくれた。彼らも政策について大統領と話す時には事前の予約が必要になった」

アメリカ大統領だけでなく、総理大臣にしろ会社の社長にしろ、権力者を支えるスタッフをどのように管理するかは、とても重要かつ難しい課題です。
補佐官や秘書官、大臣や部局長、副社長や部長の間で、権力者に仕える競争(権力者を取り込む競争)が始まります。
権力者が、部下たちの状況を把握しておれば、部下たちの間に優先順位をつけます。ところが、個室に入った権力者には、すべての情報が過不足なく入ることはありません。個室からは外が見えず、入ってくる人と情報が限られるのです。部下からすると、権力者に近づくことができる権限が、重要になってきます。

本来、抱えている課題の重要度合と、権力者が取り組みたい順で、優先すべき課題が決まります。そして、それを担当している部下が執務室に呼び込まれる順番が決まるべきです。しかしそれは、自動的にあるいは計算すれば出てくるものではありません。
外交と内政、経済と福祉、誰と面会するかや、あすの晩飯はどこで何を食べるかまで、どれを優先し限られた持ち時間をどれに割くか。数学で解ける問題ではありません。

秘書官たちあるいは補佐官や取り巻きを含めて、直接権力者に会うことができる部下たちの間で、どのように序列ができるか。もちろん、権力者が指名して部下の序列を作るのですが、必ずしもそうなりません。
時間が経つと、補佐官たちに序列ができます。一つは、一番回数多くかつ長く権力者と会っている者が、第一人者になります。
もう一つは、権力者の執務室の扉のノブを握っている秘書官が、第一人者になります。それは、誰を執務室に入れるか入れないか(権力者に会わせる会わせないか)の決定権を握るからです。会社においても、副社長より秘書室長が権力を持つことがあるのです。

あわせて、権力者の日程を調整する者が、実権を握ります。仕事の優先順位は、あすの日程をどうするかに現れます。たくさんある課題の内、どれの説明を優先するか。たくさんある面会希望の内、誰を優先するのか。誰を会わせないのか。
ところが、権力者はとても忙しくて、あすの日程を自分で判断する時間はありません。仕事を効率的に処理する=あすの日程を作るには、権力者が信頼する筆頭秘書官が必要です。そして、彼が権力を持つことになります。

補佐官たちの権力争いとしてみると、このように分析できます。他方、権力者と筆頭秘書官からすると、これを認識した上で、補佐官たちを管理することや、日程を調整する必要があります。

日本政治、改革の時代の終わり?

11月1日の朝日新聞オピニオン欄「平成の政治とは」、佐藤俊樹先生の発言から。

・・・平成は、グローバル化という潮流のなかで日本の「総中流社会」が崩壊し、格差が広がっていった時代です。その変化に対応しながら、より公平な社会をつくっていく。それがつねに政治の焦点になってきました。
小泉政権の郵政改革、マニフェスト選挙で政権交代を実現した民主党……。平成の政治の基本潮流は「改革路線」でした。保守・革新の枠を超えて、政党の崩壊や分裂を繰り返しながら、改革の旗印が消えることはありませんでした。ところが、今回の衆院選ではその旗手に名乗りをあげた希望と維新が票を伸ばせなかった。「改革の時代」の終わりではないでしょうか・・・

・・・背景にあるのは有権者の改革疲れだと思います。平成の初頭、日本は米国を脅かす経済大国でしたが、GDPは伸び悩み、今では中国に抜かれました。苦しい改革を重ねてきたのに、人々の暮らし向きはさほど変わっていません。
現在の日本経済は世界経済の動向に大きく左右されます。政府が打ち出す政策の効果はもともと限られている。さらに、以前は低成長や少子高齢化は日本特有の課題だとされていましたが、最近は多くの国で同じ状態になりつつある。横並び意識が強い日本人には危機感を感じにくい状況です。
安倍政権の安定ぶりにはそんな巡り合わせもあったように思います。「改革」の旗印がまだ説得力を持ちつつも、次第に政治への期待が低下していった・・・

いつもながら、鋭い指摘です。毎日の出来事を追いかけているだけでは、見えてこない視点です。
私もこの説には同意しますが、少し違う見方もしています。
一つには、改革という言葉がインフレ状態になり、あまりにも安易に=中身を伴わずに使われています。それに、国民が気がついているのです。××革命という言葉も、同様です。
二つ目には、改革によってどのような成果が出ているかを、政府も識者も十分に説明していないことです。国民には、改革でどのようなよいことが実現したかが、いまいち分かりません。改革は常に未来形であって、過去形では認識されていないのです。これも、政治家に幾分かの責任があります。未来に向かって「改革」を訴えますが、その結果について語りません。
三つ目に、このことにも関連しますが、改革さらに革命には痛みを伴います。既得権益、既存勢力を削減するのですから。しかし、痛みについては、多くが語られません。「敵」を明確にしてそれと闘うなら、それだけの覚悟が必要であり、「血」も流れます。かつては、国鉄と労働組合、郵政と郵政族、官僚などが「敵」とされました。

中根千枝著『タテ社会の人間関係』

連載「明るい公務員講座・中級編」で、日本の職場の生産性の低さを書きました。その際に、日本社会の特徴である「集団主義」を思い返すために、中根千枝著『タテ社会の人間関係』(1967年、講談社現代新書)と、『タテ社会の力学』(1978年、講談社現代新書。2009年、講談社学術文庫に再録)を読み返しました。
学生時代に読んで、なるほどと思った記憶があります。あの頃は、日本人論が、はやりでした。『タテ社会の人間関係』は、出版以来半世紀が経ちます。117万部を売り上げたベストセラーで、講談社現代新書でも売り上げナンバーワンだそうです。

他人とのつながりにおいて、資格でつながることを重視する社会と、場に参加することを重視する日本社会とを対比して、日本社会の特徴を浮かび上がらせます。
場に参加することを重視すると、ウチの者とヨソ者が区別されます。参加者は全面的な参加を要求されます。契約や資格によって参加していないので、長くその組織にいる者が上位に来ます。リーダーも権限によって構成員を指揮するのではなく、部下たちの同意によって動きます。

これが、先進国に追いつく際に、うまく機能しました。コンセンサス重視、決まったことはみんなで作業するです。
しかし、お手本がなくなったときに、逆機能になりました。コンセンサス重視は、頻繁な会議であり、しかもそこでは物事は決まりません。特に方向転換、改革はできません。上司も部下と一緒に働くことは、上司が判断しない、責任を取らないことにつながります。
あらためて、この本の切れ味の良さを確認しました。

私は、海外の職場での経験がないので、それらとの対比ができないのですが。多くの識者がこのような分析をしています。
日本人論の中には、稲作文化に起源を求めたものもありました。ムラの生活には、そのような面もあるでしょう。しかし、「タテ社会」は、稲作文化であるアジアの国には一般的ではないのです。稲作文化だけでは、説明できません。
では、なぜ日本で、タテ社会が発展したのか。多分、稲作文化の上に、江戸時代の鎖国・封建社会が、競争や流動性の少ない社会を生み、それがこのような特徴を育てたのでしょう。競争や変化が激しい社会、取引が重要な関係なら、タテ社会は発達しなかったでしょう。
それが、昭和の日本になぜ続いたか。それは、会社・職場が第二のムラとして機能したからだと思います。この項続く

(2冊とも、本棚のどこかにあるはずなのですが、見つからないので、買いました。これなら、読んだ本を捨てずに並べてあることは、意味のない行為です。反省)。

秋の美術館巡り

今年の秋も、たくさんの美術展が開かれています。先日の運慶展に続き、いくつかを見てきました。

東京芸大美術館では、「皇室の彩 百年前の文化プロジェクト」を開いています。
「およそ 100 年前。大正から昭和最初期の頃に、皇室の方々の御成婚や御即位などの御祝いのために、当代選りすぐりの美術工芸家たちが技術の粋を尽くして献上品を制作しました。中には、大勢の作家たちが関わった国家規模の文化プロジェクトがありましたが、今日ではそれを知る者がほとんどいなくなっています。いったん献上されたそれら美術工芸品は、宮殿などに飾り置かれていたために、一般の人々の目に触れる機会が極めて限られてきたからです」。
ということで、めったに見ることができない、優れた美術工芸品です。先日見た超絶技巧と言い、このような工芸品を作る、そして技を伝えるには、それだけのスポンサー、パトロンが必要ですね。

東京都美術館では、「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」をやっています。ゴッホがここまで、浮世絵を「写していた」とは。彼が浮世絵に心酔したとともに、日本人にゴッホファンが多かったのですね。
国立西洋美術館では、「北斎とジャポニスム―HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」を開催しています。これは、見ると驚きます。北斎の意匠や構図から取った、洋画が並んでいます。「なんや、まねしただけや」。いまなら、著作権の侵害でしょうが。
ゴッホだけでなく、たくさんの画家が、影響を受けています。

この2つの展覧会を見ると、日本画が西洋画壇に与えた衝撃は大きかったのですね。しかし、これだけ西洋に影響を与えつつ、日本では、北斎や浮世絵を受け継ぐ後継者たちが出てこなかったのでしょうか。明治画壇は、それよりも洋画を学ぶことを優先したようです。それを鑑賞する日本社会も、西洋を憧れたからでしょう。

どれもお勧めです。近接しているので、1日で巡ることができます。でも、1日で3つ見るのは疲れます。お勧めではありません。

石巻、地域の財産を生かしたまちづくりイベント

石巻市を中心に行われているイベント「石巻に恋しちゃった」を紹介します。
このイベントの特徴は、「石巻・女川・東松島で、趣味や特技をもつ地元市民を発掘し、「達人」として講師になっていただき、物づくり講座やフィ-ルドワークなどの体験プログラムを行う「まちづくりプロジェクト」です」。
外から有名人を呼んでくるのではなく、地域の魅力や人の魅力を発掘し、育てるのです。

お菓子作り、アクセサリー作り、健康、ゲーム、工場見学・・・。
様々な分野の「達人」がおられます。でも、普通の市民です。そこがよいのですよね。東京に憧れるのではなく、地元の財産を生かすのです。それも、風光明媚な観光地といったモノではなく、ヒトによる活性化です。これは、なかなか難しいことです。

今回で10回目になります。
11月中に、たくさんのプログラムが行われます。お近くの方、また地域おこしの参考にしたい方は、行って見てください。