立谷市長の新著・危機時の市長の行動

立谷秀清・福島県相馬市長が、『東日本大震災 震災市長の手記』(2017年、近代消防社)を出版されました。相馬市は、福島県東北部、太平洋に面した町です。大震災の際には、津波に襲われ、大きな被害を出しました。私は、発災半月後に現地に入り、市長の陣頭指揮ぶりを見て、感激しました。

発災直後、市役所では、津波に襲われている現場の事情がわかりません。順次そしてばらばらに入ってくる情報を基に、市長は次々と対策を打ちます。対策本部では、白板に、わかっていることと対応を書き込み、関係者が共有できるようにします。それを写真に撮って残しておきます。また、するべきことを1枚の紙に整理し、関係者に指示します。
私が、国の被災者支援本部で行ったことと同じことを、現場でやっておられました。私も、その写真をお借りして、説明会や講演会で使わせてもらいました。

市長は、アイデアマンであり、実行力があります。発災直後から、仮設住宅での支援、高齢者向けの公営住宅の設計、災害孤児の支援、民間企業の支援の受け入れなどなど。あの混乱のさなかに、次々と実現して行かれます。
この本に書かれていないことを含めて、市長から話を聞くたびに、脱帽でした。お会いすると、「岡本さん、こんなことを考えているんだけど、できないかなあ・・」が、市長の挨拶でした。
おっしゃることは、現場の実情からもっともなことです。しかし、これまでの予算や仕組みでは、できなかったことが多いのです。いくつかは国の予算を弾力化し、またいくつかは民間の支援で実現することができました。

この本にも出てきますが、市長は市役所の活動を、半年ごとに記録誌として残しておられます。他の自治体に参考になる良い資料です。しかし、記録誌では、世間の人に読んでもらえません。市長に「本にしてはどうですか」と提言したのは私です。
拙著『東日本大震災 復興が日本を変える』は、国で被災者支援と復興に当たった私の記録です。この本は、自治体現場での首長の奮闘の記録です。市長の発想、苦悩、決断が生々しく載っています。住民とのやりとりも。自治体関係者には、是非読んでいただきたい本です。

アメリカ旅行3・困ったこと

「知るは楽しみ」と言います。知らない土地を見ることは、楽しいですね。もっとも、観光客では、その町の本当の良さは分かりません。町は、建物などの施設だけでなく、買い物などの機能、そして住民のつながりでなっています。住んでみないと、分からないことは多いのです。
私は、ニューヨークとワシントンは、何度か訪れたことはあったのですが、それぞれ仕事で、自由時間は少なかったです。今回は、余裕を持って日程を組んで、観光客として、それぞれの地を楽しんできました。

それを前提としつつ、今日は、アメリカ旅行で困った3つのことを書きます。その1から。
1 冷房がきつい
いや~、参りました。ホテルは部屋の冷房を切っても、涼しかったです。全館冷房だからでしょう。これは、長袖のパジャマを持って行っていたことと、掛け布団を重ねることで対応しました。
一番きつかったのは、ワシントンからニューヨークへの、列車アムトラックです。凍える寒さでした。アメリカ人(と思われる人)でさえ、車掌に寒すぎると抗議していました。車掌は、どうにもならないという意味のことを言っていました。毛布のような布をかぶっている客もいました。現地の人に聞くと、「冷凍庫」と呼ばれるようです。
私は日本の新幹線や飛行機に乗る際は、寒さ予防のために上着を着るのですが、それくらいではダメでした。
観光バスも、冷房がきつかったです。駐車中はエンジンを切るので、冷房も泊まります。どうやら、冷房はオンとオフしかないようです。ガイドは「ブラジル製のバスですから」と説明していましたが。
日本人と、体のつくりが違うのでしょうか。

アメリカ旅行4に続く

高円寺阿波踊り

今年も、高円寺阿波踊りが始まりました。今日は近所の方に誘われて、高円寺駅前の演舞場に行きました。大変な人出で、大混雑です。解説によると、踊り手は1万人、観客は100万人だそうです。大イベントです。
連の中には、古典的な踊りのほか、近代的というか個性的な踊りもあり、上手な踊り手とそれなりの踊りの人も。今日の東京は、夕方でも30度。みんな汗びしょですが、楽しそうです。
今も、わが家にも、ドラムのビートが聞こえています。

アメリカ旅行2・3つの都市

今回の旅行は、ボストンとニューヨークで子供たちに会うことでしたが、ワシントンも回ってきました。結果として、特徴の異なる3都市を、見ることになりました。

ボストンは、アメリカの古都。人口60万人あまりの、落ち着いた都市です。イギリス風の美しい町並みが残っています。高層ビルはありますが少なく、低い建物と緑の公園が美しいです。また、学生の街です。日本で言うと、京都より、金沢でしょうか。
ワシントンは言わずとしれた、首都です。政治的いきさつから首都が置かれた町で、その機能に特化しています。日本で言えば、永田町と霞が関が大きくなったものです。
そして、ニューヨーク。競争の町と言ったら良いでしょうか。マンハッタン島は、戸建て住宅が禁止され、高層ビルが建ち並ぶ、商業・金融などの業務都市+ミュージカルなどの娯楽の町です。改めて、その形に感嘆してきました。形だけだと、東京の大手町と丸の内がそのまま大きくなったようなものです。公園や暮らしが感じられない、コンクリートとガラスの町です。
彼の地で仕事をしたら、もっとすごさが分かるのでしょう。金の威力がすごいです。高層住宅の1フロアが100億円の住宅だとか・・・。トランプタワーも見てきました。ニューヨークには、ほかにもいくつかトランプ氏所有のビルがあります。

ボストンは、今のアメリカ合衆国発祥の地です。プリマス植民地(ボストンの南)から、イギリスからの移民が町を作り、それが独立革命を経て、今のアメリカ合衆国になります。ボストン・ティーパーティー事件の地です。
南北アメリカ大陸は、コロンブス以来、スペインとポルトガルが先行して植民地化しました。しかし、それはいわば「収奪の地」としてです。原住民とアフリカ大陸から連れてきた奴隷を使って、鉱産物や農作物を本国へと収奪します。「人は平等だ」という教えのはずのキリスト教・カソリックは、彼らを人間として扱わず、この収奪に手を貸します。
それに対し、イギリス植民地は、自営農民の定着です。故国を追われ、あるいは捨てて、この地で暮らすことを選びました。もちろん、原住民を追いやることになるのですが。こちらでは、住民の自立が基本にあり、自分たちで町を作るという民主主義が発達します。また、国よりも先に町ができるので、自治も発達します。

歴史のイフですが、もしイギリス人がアメリカ大陸に植民せず、スペインとポルトガル、さらにはフランス植民地だけだったら、アメリカ大陸の歴史も大きく変わったでしょう。また、南北戦争で、南(黒人奴隷を使った大規模プランテーション経済)が勝っていたら、アメリカ合衆国の歴史も変わっていたでしょう。そして、世界の歴史も変わっていたでしょう。

アメリカ旅行3に続く

アメリカ旅行1・見物

夏休みをとって、キョーコさんと、アメリカ(ボストン、ワシントン、ニューヨーク)に行ってきました。

現地では、ツアーを使って、効率よく見所を見て回りました。
ボストン美術館とメトロポリタン美術館は、客は私たち夫婦だけという、ぜいたくなものになりました。興味のあるところを、ガイドにじっくりと解説してもらえました。特にこれを見たいという意図はなかったのですが、次の2つを見ることができました。
ボストン美術館では、ゴーギャンの我々はどこから来たのか。我々は何者なのか。我々はどこへ行くのか」です鎌田浩毅先生が、『地球の歴史』(2016年、中公新書。上中下3巻)の帯に使われたあの絵です。
メトロポリタン美術館では、ベラスケスの「オリバーレス公伯爵」に巡り会いました。オリバーレスは、先だって彼に関する本を読んだばかりだったのです(6月17日の記述)。あの本を読んでなかったら、絵の前を通り過ぎたでしょう。感慨を持ってしばらく眺めました。

と書いたら、25日の日経新聞文化欄「名作オペラで読む絵画」は、モネの「ラ・ジャポネーズ」(西洋女性が真っ赤な派手な着物を着て、扇子を持っているあの絵です)を取り上げていました。これも、ボストン美術館の目玉として飾ってありました。

ニューヨークでは、日食を見ることができました。皆既日食はアメリカでは99年ぶり。ニューヨークは75%の日食だそうです。町の通りには、たくさんの人が出て、空を見上げていました。大騒ぎです。
観察用のサングラスを持っていなかったので、雲を通してちらと見ていたのですが(これも目を痛めます)。ロックフェラ・センター69階の展望台に登ると、日食観察用のサングラスを配っていました。それをもらって、ばっちり見ることができました。
偶然は、いろんなところに転がっています。

アメリカ旅行2に続く