公文書館企画「ふしぎなふしぎな百人一首」

国立公文書館で、企画展「ふしぎなふしぎな百人一首」が始まりました。関係者から「宣伝せよ」との指示が来たので、紹介します。
子ども向けの仕掛けもあります。夏休みの自由研究にもよいですよ。入場無料、冷房も効いているはずです。しかし、最近の子どもって、百人一首を知っているのかなあ。

ところで、リンク先のページの下に、カラー刷りのチラシが付いています。「企画① 教えて蓮生さん」「企画② うちわで塗り絵」などです。ここに出てくる貴族やお姫さまの絵って、どこかで見たことがありますよね。
かつて、このページに下宿していた「肝冷斎」、例えば「地仙ちゃん登場」に似ていると思いませんか。(新しいサイトでは、引っ越しの際に混乱したので、古いサイトを見てください。まだホームページを作り始めの頃で、作成年月日も入っていません。おぼろげな記憶では、2005年頃でしょうか)。
公文書館も、面白いことをしますね。肝冷斎が売り込んだのでしょうか。まあ、絵草紙の無表情な古典的挿絵より、子どもには親しみが持てるでしょう。
もっとも、最近の肝冷斎は、画風が変わってきています。

慶應義塾大学、地方自治論第14回目

今日は、慶應大学で地方自治論、第14回、最終回の講義でした。
これまでの授業のおさらいをしました。これまで配ったレジュメの総目次を配って、全体像を振り返るとともに、何が重要かをお話ししました。それが、期末試験の傾向と対策になります。

その後、アンケートを書いてもらいました。この授業で何を学んだかと、私の授業についての評価です。公共政策論と同じです。81人の学生が出席し、A4用紙にびっしりと書き込んでくれました。
「この授業で学んだこと」は、私の意図通りの反応が返ってきました。自治論については省略するとして、私の経験を踏まえた説明が理解されていました。
「ほかの授業では、理論ばかりを聞いていましたが、実態を合わせて聞く授業は初めてでした」「大学の授業では制度を習いますが、運用を聞くのは初めてです」「理論だけでなく現実を聞いて、身近に感じることができました」「政治の授業で、戦後政治を聞くことはありましたが、今を聞くのはなかったです」とも。
また、公務員の実態、面接の対策、社会人のマナーの話も、評判が良かったです。

「私の授業についての評価」は、次のようなものでした。
毎回、前回学生が出した質問に答えたことは「一方向でない授業で良かったです」という反応が多かったです。他方で、「毎回の質問への回答が長すぎます」「回答のいくつかは、先生のホームページに載せてはどうですか。時間の短縮になります」という意見もありました。
大型連休に課した小レポートについて、「講評してくださったのはありがたかったです。初めての経験です。どのように書けば良いかがわかりました」という意見。
「新聞を読むようになりました」という学生が結構いました。「岡本先生のホームページの解説を読んでニュースを読むと、さらによくわかりました」とも。
「レジュメが簡潔でわかりやすかったです」という意見と、反対に「レジュメが簡潔過ぎます」という意見もありました。これは、意図して簡潔にしてあります。隙間は、学生に書き取ってもらうためです。重要なことは、自分で書くことで覚えることができます。
「配られる資料が多くて整理するのが大変でした」「板書の図を使った説明がわかりやすかったです」という意見とともに、「板書をもう少し丁寧にしてください」という意見もありました。「話に脱線が多い」「ノートを取るのが難しかった」という意見もありました。
「朝の1限でしたが、起きて出席できました。それだけの価値がありました」と言ってくれる学生が数人いました。「遅刻してくる学生には腹が立ちましたが、彼は先生の話を聞いていないという損をしているので、まあ許します」という感想も(笑い)。

相反する反応があるので、全員に満足してもらうことは無理です。院生相手なら、本は読んでくることを前提に、内容も難しくしても大丈夫です。しかし学部生を相手にすると、一定の基礎知識と重要な点は教える必要があります。「次回の授業の準備のために、教科書の××ページを読んでくること」と義務づける方法もありますね。
もらった意見は、次回の参考にします。

水曜日(公共政策論)、金曜日(地方自治論)とも、14回ずつ休み無しで勤めることができました。これは、自分を褒めてやりたいですね。毎週、レジュメと配付資料を用意することは、結構負担でした。かつて使った資料を再利用できると思っていたのですが、駄目でした。ほぼすべてを、最初から作り直しました。
これまでの経験と、授業を進めていくうちに、話すポイントを絞るようにしました。若いときは、あれもこれも教えたいと思ったのですが、大量かつ多分野の詰め込みは、学生には頭に残らないでしょう。特に公務員にならない学生は、地方自治制度のすべてを知る必要はありません。自治の基本、現在の制度が唯一のものではないこと、時代の変化とともに課題も変わってくることを理解してもらえれば良いのだと、割り切りました。その代わり、重要な点やトッピックは、新聞記事などを配って、掘り下げて解説しました。

カルガモの親子

皆さん、カルガモってご存じですよね。川や池にいて、親鳥が雛を連れて移動する光景が、ニュースで取り上げられます。
今朝、出勤の用意をしていたら、玄関に出たキョーコさんが大声で、私を呼びます。「早く来て!」と。「なんかいな。大声出さんでも・・」と言って、靴を履いて外へ。
そこで見えたのは、わが家の前を歩いている、カルガモの親子です。親鳥はトコトコと、その後ろを2羽の雛がよちよちと付いていきます。登校途上の小学生は喜び、犬を散歩中のおじさんは、犬を押さえつけて、カルガモ親子を通します。

ところが、わが家は都会の住宅街、家の前の道路は、4メートル幅の舗装道路です。カルガモが歩いていく方向に、入っていける庭はありません。そのまま100メートル進むと、青梅街道に出てしまいます。車がひっきりなしに通っています。これはいけないと、追いかけて、まずは方向転換をさせ、元来た方向へ誘導。しかし、解決にはなりません。
で、さらに100メートルほど先にある交番まで、ひとっ走り。運良くお巡りさんがいました。「困っているので、保護をお願いします」と、現場に来てもらいました。お巡りさん曰く「困りましたねえ。私が、ずーっと見張っているわけにも行かないし」。早くもカラスが2羽、電線から親子を狙っています。
私は、「動物保護は区役所に頼みましょう。電話してください」とお願いして、私も仕事があるので離れました。
地下鉄に乗ったら、汗びっしょりでした。久しぶりに走りました(苦笑)。

夜、家に帰ってキョーコさんに聞いたら、パトカーが来てくれたそうです。ひとしきり、ご近所の話題になっていたようです。
それにしても、池や川のないわが家の近くで、どうして卵をふ化させたのでしょうか。雛が2羽ということは、既に何羽かは犠牲になったのでしょうか。
何回かここに書きましたが、大きなカエルも住んでいるのです。キョーコさんによると、TさんちとHさんちの庭に、1匹ずつ生きているそうです。

説明責任

7月19日の朝日新聞オピニオン欄、「説明責任はどこへ」。
井上達夫・東京大学教授の発言から
・・・アカウンタビリティーは説明責任と訳されますが、私は「答責性」と言っています。ただ説明すればいいというのではなくて、きちんと説明しないと責任を問われて首が飛ぶという緊張感ある概念です。政治家の場合は選挙で落とされ、官僚の場合は解任されたり左遷されたりする・・・

小田嶋隆・コラムニストの発言から
・・・説明責任という言葉をメディアが使う場合は、こういう人にこういう種類の説明責任を問うと、範囲と対象を明確にする「報道責任」があるのではないでしょうか。
日本社会では、アカウンタビリティーはメディア側では首を要求する言葉になり、責められる側では誰の首を差し出せば決着するのかを考える言葉になっているような気がします。
アカウンタビリティーを「説明できる状態での業務遂行を推奨する概念」と表現するべきだと思います。少なくとも、自信を持って説明できる状態で自分の職務に取り組むということです。米英的な民主的で明快な組織運営の中で、個人が緊張感を持って組織と対抗していくなかで出てくる発想です。
しかし、日本の組織は誰の業務なのかがわからず、「みんなでやっています」となっています。問題が起こった時に誰が責任を取るのかといえば、その時に偶然、課長の椅子に座っている人だったりします。単なるトカゲのしっぽ切りのようになって、政治家でいえば秘書に責任を取らせるようなことが起こります・・・

慶應義塾大学、公共政策論第14回目

今日は、慶応大学法学部、公共政策論第14回、最後の授業でした。官僚の役割を実例を基にお話しした後、おさらいをしました。
一つは、私が考える公共政策論についてです。何を(社会の課題)、誰が(主体)、どのように解決するか(手法)について、従来の公共政策論より視野を広げました。社会のリスクは時代とともに広がっていること(かつては個人の責任だったものが、社会のリスクになっていること)、主体は、政治と行政だけでなく、企業や非営利団体も重要な主体であること。すると、規制・誘導・提供などの手法だけに限らないこと、などです。
もう一つは、実務家教員として経験を踏まえた、社会の見方や考え方です。これは、毎回の授業で折に触れて、お話ししていたことです。

その後、アンケートに答えてもらいました。この授業で何を学んだかと、私の授業についての評価です。慶應大学の学生は、紳士淑女ですね。多くの学生が、A4用紙にびっしりと書き込んでくれました。
「学んだこと」については、私が教えたかったことを、焦点の違いはありますが、それぞれに適確に書いてくれました。「新聞を読むようになりました」という記述も多かったです。
「授業への評価」も、高い評価をもらいました。「本に書いてないことを教えてもらった」「実体験の雑談が勉強になりました」「配ってもらう資料やレジュメがわかりやすかったです」とです。
毎回、学生に意見や質問を書いてもらい、次回の授業で主なものに答えるようにしました。これは、評判がよかったです。「前回授業の質問への回答がうれしかった」「ほかの学生が何に興味を持っているかが分かりました」「ほかの学生が、私とは違う考えだと分かりました」とか。

批判もありました。「話がどんどん広がるので、理解するのが難しかったです」「板書が汚くて読めませんでした」など。
多くの学生に喜んでもらえたことが、一部の学生には不満だったこともあります。「教科書を読んでいることを前提に授業をするので、わかりにくかったです」「前回授業への回答が長すぎます」「脱線が多いです」。もっとも、この不満は少数でした。もらった意見は、今後の授業に生かしましょう。

今日も55人の学生が出席したのですが、多くの学生が、14回を休まずに出席しています。9時開始の授業は、学生にとってはつらかったと思います。そのように記入した学生が、何人もいました。「でも、出席して良かったです」とも書いてくれました。

成績評価はレポートで行います。どのようなレポートが出てくるでしょうか。また、私の振り返りについては、別途書きましょう。