慶應義塾大学、地方自治論第11回目

今日は、慶応大学で地方自治論、第11回の講義でした。
先週取り上げた議会と条例について、たくさんの質問をもらっていたので、それへの回答で半分時間を使いました。
例えば、「『地方公共団体は法令に違反してはならない』との定めがありますが、反した場合はありますか」。これは、いくつか実例を挙げて、解説しました。
「条例の効力は、区域内、住民だけに及ぶのか。参政権のない外国人にも及ぶのか」。良い質問ですね。時間があれば、最初にこれらを丁寧に説明すれば良いのですが、そうもいきません。すると、教科書を読んでもらい、授業ではポイントだけ説明して、残りは質問に答えることが効率的です。

条例論の延長で、自治体が先導した政策を説明しました。公害・環境、福祉、情報公開、景観行政などなど。多くはその後、国の施策になっていますが、定住外国人対策はまだ国の出足は鈍いようですね。
今回は、具体の事例を最新の情報にして資料を配布しました。整理してくれた小栁君、ありがとう。

学生諸君
授業で紹介した本は、近藤康史著『分解するイギリス―民主主義モデルの漂流』(2017年、ちくま新書)です。

日本のポピュリズム

朝日新聞6月20日のオピニオン欄、「「風」の正体」。
橋下徹・前大阪市長の発言から。
・・・「風」を頼りに一定の政治勢力を築いたという自負のある僕だから言い切れますけど有権者の風を的確に捉えることなどできません。追い風と思えば一瞬にして逆風になる。「風の正体」をもっともらしく分析しても無駄ですよ(笑)。
ただ、こんなに難しい民意の風でも、実体験上その姿をおぼろげながら感じたところがあります。
まずは、相手や現状に対して有権者が不満を増幅させているときに、自分の方に支持が来る。政権交代は野党が積極的に評価されるというよりも、与党が不評を買ったときに起きる。そのチャンスを捉えるしかない。時の運です・・・

大嶽秀夫・京都大学名誉教授の発言から。
・・・ 日本のポピュリズムは争点を単純化して、本来は利害調整の場である政治の世界を善と悪の対決の場に仕立てる手法です。都知事の小池さんも都議会自民党を都政改革の抵抗勢力に見立て、都議選に向けて対立候補を擁立しています。まさにポピュリズムと言えます。どっちが勝つかという話だから、観客としてスポーツ選手を応援する感覚にも似ている。何よりも抵抗勢力と闘っている政治家は格好いい、頑張っているというイメージが有権者にはあるんです・・・

原文をお読みください。

戦後はいつ終わるか

朝日新聞6月29日のオピニオン欄は、小熊英二さんの「今なぜ反体制なのか」でした。
・・・日本以外の国では、「戦後」とは、敗戦直後の10年ほどを指す言葉だ。日本でも、敗戦から約10年の1956年に「もはや『戦後』ではない」という言葉が広まった。ところが「戦後×年」といった言葉は、今でも使われている。
それはなぜか。私の持論を述べよう。「戦後×年」とは、「建国×年」の代用なのだ。
現在の国家には、第2次大戦後に建国されたものが多い。中華人民共和国、インド共和国、ドイツ連邦共和国、イタリア共和国などは、大戦後に「建国」された体制だ。これらの国々では、体制変更から数えて「建国×年」を記念する。
日本でも大戦後、「大日本帝国」が滅んで「日本国」が建国されたと言えるほどの体制変更があった。だが、その体制変更から数えて「『日本国』建国×年」と呼ぶことを政府はしなかった。
しかし「建国」に相当するほどの体制変更があったことは疑えない。それなのにその時代区分を表す言葉がない。そのため自然発生的に、「建国×年」に代えて「戦後×年」と言うようになった。だから戦争から何年たっても、「日本国」が続く限り「戦後」と呼ばれるのだ。
では、どうなったら「戦後」が終わるのか。それは「日本国」が終わる時だ・・・

私も、いつになったら、次に何が起こったら「戦後」が終わるか、考えてきました。何をもって、区切りとするかです。「もはや戦後ではない」は、1956年の経済白書で宣言されました。戦争が終わって11年です。
私は、かつて、戦後半世紀の日本の発展を区切る際に、『新地方自治入門』(p125)などでは、3期に分けました。「高度経済成長期」「安定成長期」「バブル崩壊後」です。これは、貝塚啓明先生に助言をもらって、つくりました。参考「経済成長の軌跡」。
ここでは、そもそも出発点を1955年においていました。それまでを「戦後復興期」としました。また、さまざまな統計数値がそろうのが、この頃からなのです。その10年を入れると、4期です。もし2期に分けるなら、高度経済成長期までと、その後で区切るのでしょう。最近では、第4期(実質第5期)として、「復活を遂げつつある現在」をつけています。

これは、経済成長率で区切ったのですが、日本社会を大きく区切る際には、有用だと考えています。しかし、このような区切りでは、「長い戦後」の中、あるいはその延長の中を、区切っているだけです。
小熊さんの指摘は、正しいと思います。ところが、そのような考え方では、政治体制が大きく変わる、日本国憲法が大幅に書き換えられるまで、「戦後」は続きます。

小熊さんの原文は、この後に戦後日本の体制をめぐる対立について論じておられます。そちらも重要な指摘、というか、それがこの文章の主旨なのです。原文をお読みください。

慶應義塾大学、公共政策論第11回目

今日は、慶応大学法学部、公共政策論第11回の授業でした。三井住友海上火災保険株式会社の本山部長に来ていただき、企業の社会貢献について、お話しいただきました。
この授業では、社会(公共生活)を支えているのは、行政だけでなく、企業やNPOも大きな役割を果たしていることを説明しています。NPOについては、第7回の授業で、日本財団の青柳さんに来ていただき、話してもらいました。

企業については、どなたに来ていただくか、悩んでいました。企業の社会貢献は、本業、本業関連、本業とは関連が薄い貢献が、あります。
この会社を選んだのは、損害保険そのものが、社会を支えているからです。国民にとって、国家が基礎的な保険機能と最終の保険機能を果たします。前者は、例えば健康保険や失業保険です。後者は、例えば大震災での被災者支援です。
しかし、国家の前に、経済活動としての民間保険が、国民や経済活動のリスクを引き受けています。火災保険、自動車事故の保険、海外旅行の際の保険などなど。この機能がなければ、個人の生活も企業活動も、とてもリスクの大きなものになります。すると、本人が引き受けるか(破産する恐れがあります)、活動に乗り出さないか(新しい事業ができません)となります。

また、その事業の延長として、CSRに取り組んでいます。今日は、そのお話をしてもらいました。
この会社が取り組んでいる「事故防止、防災・減災」「気候変動への対応」「高齢社会への対応」「地域社会の発展」という4つの項目。これらは、私が授業で「社会のリスク」として取り上げた項目です。学生諸君には、すんなりと理解してもらえたと思います。

これまでの私の講義に関して、学生からは「企業は、本業とCSRをどのように関連づけているのですか」「儲からないCSRに支出することについて、株主は納得するのですか」といった質問も、寄せられていました。
本山部長の説明は明快で、私も勉強になりました。ありがとうございました。

明るい公務員講座・中級編27

『地方行政』連載「明るい公務員講座・中級編」の第27回「組織を動かす(1)組織の編成」が発行されました。今回から、第4節「組織を動かす」に入ります。
これまで、良い上司になる方法を、2つに分けて説明してきました。仕事の管理と、職員の指導です。これで良い課長になることができるのですが、もう一つ上を目指してもらいたいのです。それが、あなたの課をうまく動かすことと、課を超えて役所全体を動かすことです。

優秀な選手をそろえた野球チームが勝つとは限りません。徳川家康は、河原で子供たちの石合戦を見て、少人数の組が勝つことを予測しました。そこには、仕事と職員に分解できない「組織の力」があるのです。
どうしたらそれをつくることができるか。私は、管理職になって以来、ずっとこのことを考えてきました。「明るくやろう」も、組織を強くする要素です。乞うご期待。
今回の内容は、次の通り。
組織の力、組織の編成、組織は目標達成のための手段、復興庁で組織をつくる。

ところで、ここまで話が進むと、「中級編」ではなく「上級編」ですね(苦笑)。