社員満足は誇りから

2月20日の朝日新聞オピニオン欄「くらし、良くなりましたか? 中小企業の経営者に聞く」、住宅メーカー社長の山崎清二さんの発言から。
・・・注文住宅を建てています。売上高は3年間で約3割増え、従業員の基本給は3年連続で上げました。金融緩和で、いまは低金利だからと住宅購入に踏みきる人が増えた面もありました。社員のくらしは、少しは良くなっていると感じています。
でも、金銭的な面だけで判断しているのではありません。くらしが良くなるとは、社会に自分の居場所があり安心できることだと考えます。大切なのは、働く誇り。お客さまに自信を持って自社のサービスをお薦めでき、褒めていただけて、働く背中を自分の子に堂々と見せられる。そんな環境づくりを進めています。
たとえば一般の住宅メーカーと違い、我が社は大型連休は休みます。火曜日は午後6時、他の日も午後8時には退社。土日でも交代で休みます。社員がお客さまと同じ目線で生活していないと、本当に満足していただける家はつくれないからです・・・

ワーク・フォー・東北

今日2月24日は、仙台まで、「ワーク・フォー・東北」の研修会講師に行ってきました。長くこのホームページをお読みの方は覚えておられると思います。復興庁が日本財団の助けを借りて始めた、民間の方を被災地に送る仕組みです。それも、職員不足を補うのではなく、意欲と技能を持った人を長期間送ります。166人もの人を送りました。地域づくり、産業振興などで活躍しています。「実績」。

被災地の復興は、お金だけは実現できないことがたくさんあります。被災地は、人もノウハウも不足しているのです。人を送ることを本格的に行ったのも、東日本大震災からです。「様々な手法」を使いました。人を求めている地域と、行きたい人とを結びつけること(マッチング)は、なかなか難しいです。また、送り込んだだけでは、その職員は孤立し、うまく行きません。そのための事前研修、途中での研修、随時の相談も必要です。それを、日本財団がやってくださいました。受け入れ自治体の評価が高く、引き続き仕事をしている職員もいます。

2月11日の朝日新聞社説「復興庁「御用聞き」から前へ」でも、次のように紹介してもらっています。
・・・復興庁の特徴は、震災前は国の役割とはされてこなかった仕事に力を入れていることだ。仮設住宅に住む人の交流促進や、復興にかかわりたい民間人材を被災自治体や団体に紹介するといった事業だ。行政が不慣れな分野だけに、ノウハウを持つNPOや企業と積極的に連携してきた・・・NPOや企業といった民間と二人三脚で、「公」の仕事を担う。こうしたやり方をさらに広げ、新しい行政のモデルを目指してほしい・・・
今日はその最後の研修会で、この仕組みの意義を評価するとともに、苦労をかけた皆さんにお礼を言いました。

被災地で不足する職員、専門技能を持った職員を送ったのですが、民間人が組織内に入り込むことで、市町村役場にとって良い刺激になりました。彼らの仕事の進め方、民間での広い人脈、外に積極的に出かけていく行動力。これらは、しばしば役場職員に欠けている点です。こんな経験は、市町村役場ではめったにありません。
さて、次の課題があります。
・受け入れた自治体が、これら応援に入った民間人や他の自治体職員が引き上げた後、彼らの「刺激」を生かすことができるかどうかです。極端な場合、「よそ者が来てくれて、役に立ったなあ」と過去形で話されると、単なる助っ人でしかありません。外から来た職員、特に熱意と技能を持った民間人の良い点を見習って欲しいのです。

ワーク・フォー・東北はひとまず使命を果たしたので、被災地に限らず全国への仕組みに発展しています。「ワーク・フォー・にっぽん
・全国に展開する仕組みはできていますが、うまく使うかどうかは、受け入れ自治体の関心と熱意です。

集団移転、コミュニティ維持

2月20日の日経新聞「災害考」は「集団移転、孤立防げ。コミュニティの維持」でした。このホームページでも何度か取り上げた、東松島市のあおい地区です。自宅再建273世帯と災害公営住宅307世帯、合計580世帯の新しくできた街です。
・・・移転予定者も参加して「まちづくり整備協議会」を設立した。街並みや居住ルール、集会所や公園、トイレなど公共施設の設計……。行政を交えた専門部会や、「井戸端会議」と題した住民同士の意見交換会は300回を超えた。
具体的な区画決定も行政任せにせず、同じ区画に入りたい世帯が近くになるようにした。認知症の家族がいる世帯は、近隣の目が届きやすい角地を割り当て地域で見守るといった住民のアイデアを採用。回覧板を回すグループが違っても、道路を挟んで向き合う世帯とはゴミ置き場の清掃グループとして交流するようにもした・・・

私も、お話を聞きました。1年間に100回の会合を持ったそうです。しかも、市内6か所の仮設住宅団地から、平日夕方に市役所会議室に集まってです。会長のコツは、「みんなの話を聞くこと」だそうです。
これだけの努力があって、コミュニティが作られているのです。お金を出せばできるものではありません、市役所が指示すればできるものでもありません。住民が積み重ねることでできるものです。それを、行政が支援することはできます。

帰還困難区域の復興、日経新聞社説

日経新聞2月18日の社説は「現実を直視した帰還困難区域の復興を」でした。
・・・帰還困難区域の復興に向けてはまずこの地域の現実を直視する必要がある。帰還を望む住民が減っているなか、復興拠点を地域の再生にどうつなげるのか、政府はその道筋を示すべきだ・・・
・・・事故から6年近くたち、帰還困難区域の中でも放射線量がかなり下がってきた場所がある。一律に帰還困難とするのでなく、拠点を設けて復興の足がかりとする考え方自体は妥当だろう。
重要なのは、どこを拠点に選び、どんな将来像を描くか、住民の声をきめ細かくくみとり、計画に反映させることだ。
県外を含めて他の地域に避難している住民の中には、移転先で生活再建をめざしている人も多い。復興庁などが避難者の意向を聞いたところ、帰還を希望する住民は1~2割にとどまり、「戻らない」とした人が半数を超える・・
原文をお読みください。

国立公文書館

国立公文書館って、ご存じですか。政府の公文書を保管展示する施設です。皇居の北側、近代美術館の隣にあります。
今、「漂流ものがたり」という展示をしています(3月7日まで)。これは、必見です。
江戸時代に外国に漂流した日本人の記録、それも生きて帰ってきた記録です。私も言われて気づいたのですが、出ていく日本人がいれば、流れて来る外国人もいます。その記録もあります。よくまあ、紙の文書が残ったものですね。それを取り調べた藩の記録が、江戸幕府に届き、その文書が明治政府に引き継がれたのでしょう。
幕政時代の公的機関の記録だそうですが、漂流という状況での人間の生き様が垣間見れて、興味をひきました。井上靖や吉村昭をはじめ、小説の題材にされたものもあるそうです。

あわせて、明治以来の内閣の文書も展示されています。明治天皇と大臣の署名、昭和天皇と大臣の署名。字の上手下手も含めて、興味深いです。
森有礼や佐藤栄作の字は、素人が見てもすばらしいですね。森有礼は、明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法発布の詔書に署名した後、発布式典当日の朝に暗殺されます。
終戦の詔書(昭和20年8月15日)に前日夜に署名した陸軍大臣の阿南惟幾は、15日早朝自決します。そう思って展示されている文書を見ると、無味乾燥な事実が、人による生々しい生き様に見えてきます。
それにつけても、子供の時に、お習字教室を逃げた我が身を反省します(大隈重信も字が下手で、直筆署名は展示されている大日本国憲法発布詔勅のほかは数件しかないそうです)。