250万人、画像貼り付け

先日達成した250万番。証拠の画像と貼り付けることに成功しました。ホームページ作成ソフトを入れ替えてから初めてのことなので、試行錯誤の末です。「250万番達成の記事

で、ほかの画像貼り付けにも挑戦。「被災者支援本部の勤務姿」の似顔絵も、成功しました。社長が移植してくださった上の絵に比べ、私が移植した下の絵はなぜか小さいのですが。細かいことは、良しにしましょう(笑い)。この記事は「略歴」にもリンクを張ってあるので、完成させたかったのです。

年賀状投函

なんと今年は、今日12月24日に、年賀状を書き終え、投函しました。去年は12月27日に、おととしは28日に投函して、「快挙だ」と自慢していたのです。多分、役人になってから、こんなに早く出したのは、初めてのことでしょう。毎年、仕事が忙しくて、冬休みに入ってからせっせと書いていましたから。退職しただけのことはあります(苦笑)。
もう一つの理由は、枚数を減らしたことです。千枚以上書いていた頃に比べると、半減です。すみません、たくさんもらっていながら、返事を出さずに。
一枚一枚、表書きと添え書きを書きました。顔を浮かべつつ。いつものように、使い慣れた万年筆でです。
友人は別として、若い時にお世話になった人たちとは、40年近い賀状の交換です。ありがとうございます。これが、私の財産ですね。もっとも、親しいのに、賀状は出さない人もいて。

気仙沼線・大船渡線BRT、グッドデザイン金賞受賞

大震災の大津波で流された鉄道の一部が、専用バスで復旧しています。岩手県と宮城県にまたがる、気仙沼線・大船渡線BRTです。このBRT(bus rapid transit、バス高速輸送システム)は、元の線路敷きを舗装して、バス専用道にしています。ところによっては、一般道を走ります。今回、2016年度のグッドデザイン金賞を受賞しました。
私も乗ったのですが、車体は格好良い赤で、遠くからでも目立ちます。駅舎=バス停もしゃれたデザインで、待っていても気持ちが良いです。
関係者から、「宣伝せよ」との指示が来たので、紹介します。

ところで、私は、かつては鉄路復旧派だったのですが、地元の人の意見を聞いて、バス復旧派に転向しました。理由は2つです。
1 遠くまで乗る人がいない。
私は、「鉄道はつながってこそ鉄道だ」と主張しました。ところが、地元の人曰く「端から端まで乗る人って、1年間に何人いますかねえ」。言われてみれば、ほとんどの乗客は高齢者と高校生です。町内か隣町までしか乗りません。市町村長や議員さんたちに聞いても、ご自身が県庁に行くにも東京に来るにも、自動車を使っていて、鉄道を使っている人はほぼいないようです。これじゃあ、「鉄道で復旧してくれ」と主張しても、迫力がないですね。
2 本数が増えた。
鉄道時代は、1時間に1本も走っていませんでした。それがバスになって、2倍程度に増えています。利用者にとっては、大きな列車で本数が少ないより、小さなバスでも本数が多い方が便利です。
さらに、
3 近くにバス停ができた。
鉄道の駅は動かせませんが、バス停なら簡単です。高台に移転した病院にも、玄関までバスが来てくれるのです。
欠点と言えば、雪が積もると、遅れることがあるようです。しかし、鉄道も遅れることがありますよね。

なぜ、こんなことになるのか。かつては、道路事情が悪く、車も少なかったのです。鉄道は、唯一の交通機関でした。ところが、その後、道路整備が大きく進み、また自動車も増えました。NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」で、列車で東京に行く人を見送った知人たちが、忘れ物に気付いて車で追いかけ、先回りをして駅で渡すという場面があったそうです(私は見ていないのですが)。それが、現実です。
さらに、鉄道は整備も運行も、料金でまかないます。他方、バスの場合は、道路は税金で造って、乗客の負担はありません。
北海道などで、鉄道の廃止が議論されています。幹線を除けば、高齢者と高校生が利用者なら、バスの方が便利です。

戦争、マスメディアの責任

12月23日の朝日新聞オピニオン欄「社説余滴」は、加戸靖史・論説委員の「『逃げるな消さう』重い過去」でした。第二次世界大戦中の本土空襲についてです。
・・・国は戦後、「国民は戦争被害を受忍しなければならない」という「受忍論」をたてに、空襲被害の補償を拒んできた。「命を投げ出して国を守れ」という国策が多くの人を死なせたのに。大前さんの詳細な検証からは、受忍論の理不尽さが浮かび上がる。
国民を死に追いやりながら、責任を取ろうとしない国は明らかにおかしいと思う。
では、国が言うがまま「死ぬまで頑張れ」と書き続けたメディアはどうだったか。
私は今まで、自分が属する社が何を書いてきたか、聞いたことも、考えたこともなかった。そのこと自体、いたたまれない思いにかられる・・・