日経新聞「私の履歴書」4月は、福澤武・元三菱地所社長でした。若いとき肺結核を患い、中学高校に通えず、大検で慶應大学に進みます。28才で卒業し、採用年齢制限のなかった三菱地所へ。その方が、社長になられるのです。連載では闘病生活に多くが割かれ、会社員時代のご苦労は少ししか触れておられないようです。ご自身の経験からすると、生死の境をさまよい、人並みの生活を送れなかったことのほうが、重い意味をもったのでしょうね。「それに比べれば、会社員の苦労なんか・・」ということでしょうか。
私が特に興味を持ったのは、丸の内(東京駅の前、三菱村と呼ばれる地区)の再開発です。丸の内は東京を代表するビジネス街です。東京駅の玄関であり、丸ビルに代表される、大企業が集まった地区です。私が就職した頃、そしてその後長く、私には、「縁遠い街」でした。行くことは、まったくありませんでした。東京駅で降りてご飯を食べるにしても、裏口である八重洲口にある猥雑な地域を利用していました。純粋なビジネス街であって、そこで勤務している人や仕事に関係ある人以外は、近づかない地区でした。それを、現在のような、高級商店やレストランがある街に変身させたのが、福澤さんです。今回の連載を読んで、初めて知りました。
その原点は、アメリカ勤務にあります。1975年から3年半、ニューヨークに駐在します。パートナーは、名門証券モルガン・スタンレーの不動産子会社です。
・・・街づくりのヒントも見つけた。モルガン・スタンレーはもともと、金融機関が多いウォール街のあたりに本社を構えていたが、ロックフェラーセンターに引っ越すと、女性社員たちが大喜びをしたという。会社の近くで食事も買い物も楽しめるようになったからだ。
「ビジネス・オンリー」の街はいつしか活気を失っていくのではないか。週末はゴーストタウンと化す丸の内の街並みが頭をよぎった・・・(4月22日掲載分)
それでいうと、霞が関も官庁街であって、街ではありません。今でこそ、いくつかの庁舎にコンビニやしゃれた食堂が入っていますが、かつては、職員食堂と小さな商店しかなく、休日に出勤すると「陸の孤島」でした。今も大して変わっていませんが。街との接触を避け、機能面で純化することは、生活のしやすさやにぎわいを考えると、良くないですね。郊外に移転した大学もそうでしょう。部外者を排除し純化すると、たぶん生活も思考も、「狭くなる」と思います。一種の租界であり、塀には囲まれていませんが、刑務所の中と同じです。街の中で雑居している方が、人間らしく生活できます。溜池にある三会堂ビルは良かったです。周囲は飲食店がたくさんあり、赤坂も近かったです。今度の執務室がある4号館は、陸の孤島の霞が関でも、その真ん中にあるのです。