年別アーカイブ:2015年

東宮へのご進講

2015年4月27日   岡本全勝

今日27日は、東宮御所で、皇太子殿下・妃殿下に、ご進講する機会をいただきました。両殿下には、これまでもたびたび被災地の視察や慰問にお出かけいただき、被災者を励ましていただいています。そのお礼も、申し上げました。この4年間に何ができたか、このあと何が残っているか、いま何が課題かを、お話ししました。資料は、何度か打ち合わせて、職員が、現場の状況がわかる写真付きの、わかりやすいものを用意してくれました。
両殿下とも、ご関心が深く、またよくご存じで、何度か「これは○○ですね」と、ご指摘をいただきました。発災直後の対応についても話が及び、当時の私の仕事や判断なども、ご説明しました。
帰ってきたら、職員曰く「殿下の前でも、関西弁でしゃべったのですか?」。う~ん、本人は少々緊張していましたが、たぶん日常使っている言葉で、しゃべったのでしょうね(苦笑)。

歴史の解釈、政治からの自由と政治からの押しつけ

2015年4月27日   岡本全勝

読売新聞1面コラム「地球を読む」4月26日は、山内昌之明治大学教授の「戦後70年、和解阻む歴史の政治利用」でした。
・・・世界のどの国にも自由に歴史を解釈する権利がある。しかし、自由に歴史を研究する権利を認めない政治体制は、公式のイデオロギーや公権力の統制によって国民の歴史認識を上から支配する。他方、事実でなく、強烈な思いこみや誇張を含めた物語として歴史を作る国も存在する。
中国共産党の激しい権力闘争や、韓国社会の時に非理性的な世論の下では、国内や国際舞台での争いを有利に進めるため、日本の過去を批判し続ける形で外交に歴史が持ち込まれる。自国については善行や美事だけを力説し、日本の過誤や悪事をことさらに強調する姿勢を見ると、唐代の史書「史通」を思い出す・・・
・・・中国と韓国では、歴史の解釈を古典的な「名教」(人の道を明らかにする教え)と考えがちなのだろう。いわゆる従軍慰安婦問題や南京事件についても、旧日本軍の関与の有無や死者の実数ではなく、自分たちの求める「事件」を想像させる現象があれば、それによって歴史を作れると信じているのだ。史実の学問的究明よりも、外交や宣伝戦でいかに効果的に歴史を利用するかという政治手法を優先させるからでもある・・・
・・・日本が戦後歩んできた平和国家としての実績を反省や謝罪の表れと認めない一方、大躍進や文化大革命、天安門事件で傷ついた同胞の悲運や死者数の実数を公表できないような歴史認識は不幸である・・・
歴史は、誰が解釈するのか。政府・政治は、それとどのような関係に立つのか。事実の探求だけでなく、事実の記述でもない場合があることがわかります。歴史とは何か。これは、E・H・カーの名著の表題ですが、自由な歴史解釈と政治によるあるいは政治の色がついた解釈との違いがわかります。その意味で、「歴史とは何か」についての、わかりやすい解説です。詳しくは、原文をお読みください。

春爛漫、でも忙しい

2015年4月26日   岡本全勝

昨日の土曜日と今日の日曜日と、日本列島は天気のよいところが多かったようです。春を楽しみに、お出かけになった方も、多いのではないでしょうか。肝冷斎も、ぶつぶつ言いながらも、野球観戦をはしごしているようです。
私は、例によって仕事と書類が片付かず、せっせとお仕事。いくつも引き受けた講演も迫ってきて、レジュメや資料作りを急がなければなりません。テーマを広げると、いろいろと考えたり、資料を集める必要があります。それはそれで、考えを整理するよい機会なのですが。
今朝、ある大学の先生に電子メールで質問したら、すぐに返事が返ってきました。私のことを棚に上げて、「日曜朝も、家族サービスせずに、パソコンの前におられるのですか?」と返信したら、「家族からは冷たい視線をあびております…」とのこと(苦笑と同情)。
事務次官になっても、新年度にそして発災から5年目になっても、忙しさは相変わらずです。秘書や部下職員に「私が忙しいのは、君たちが悪いからだ」と言うと、返事がなく、顔に「次官が自分で、忙しくしているのでしょ」と書いてあります。その通りです。
でも、復興大臣は、今日日曜日から1泊2日で、岩手県被災地視察です。大臣は火曜と金曜日に閣議があり、他の日も国会の委員会での答弁、衆議院議員として本会議への出席があり、国会開会中はどうしても視察が週末になるのです。復興庁は、そのような役所なのです。

大東亜共栄圏、司馬遼太郎さん

2015年4月25日   岡本全勝

司馬遼太郎著『明治国家のこと』「日本人の二十世紀」p321~。
・・・さきに、第一次大戦によって陸海軍が石油で動くようになってから、日本の陸海軍そのものが半ば以上虚構になった、という意味のことを言いました。
むろん、そのことは、陸軍も海軍も、だまっていた。やがて昭和になってから、陸軍が、石油もないのに旺盛な対外行動をおこす。それが累積して歴代内閣が処理できないほどの大事態になり、事態だけが独り走りする。ついにアメリカをひき出してしまう。
それで、日本は戦争構想を樹てる。何よりも石油です。勝つための作戦よりも、まず一路走って石油の産地をおさえる。古今、こういう戦争があったでしょうか・・・
・・・南方進出作戦―大東亜戦争の作戦構想―の真の目的は、戦争継続のために不可欠な石油を得るためでした。蘭領インドネシアのボルネオやスマトラなどの油田をおさえることにありました。
その油田地帯にコンパスの芯をすえて円をえがけば、広大な作戦圏になる。たとえばフィリピンにはアメリカの要塞があるから、産油地を守るためにそこを攻撃する。むろん、英国の軍港のシンガポールも、またその周辺にあるニューギニアやジャワもおさえねばならず、サイパンにも兵隊を送る。
それらを総称して、大東亜共栄圏ととなえました。日本史上、ただ一度だけ打ち上げた世界構想でした。多分に幻想であるだけに―リアリズムが希薄なだけに―華麗でもあり、人を酔わせるものがありました・・・
・・・ともかくも開戦のとき、後世、日本の子孫が人類に対して十字架を背負うことになる深刻な思慮などはありませんでした。昭和初年以来の非現実は、ここに極まったのです。
地域への迷惑も、子孫へのつけもなにも考えず、ただひたすらに目の前の油だけが目的でした。そこらから付属してくる種々の大問題は少しも考えませんでした・・・