連載を始める前に、全体の骨子を決めて、結構な分量を書きためておきました。しかし、蓄えが減るのは早いです。次の締めきりが追いかけてきます。10月と11月は、別の原稿や講演があったので、「明るい公務員講座」の執筆を怠っていたのです。もちろん、私には本業があり、これは昼夜と忙しいのです。
私の原稿は、完成させる前に、関係者に読んでもらって、意見を聞くことにしています。ありがたいことに、事実の間違いの指摘のほかに、文章を読みやすいように加筆してくれる「右筆」もいます。彼の指摘は、時には私の原文をズタズタにしてくれます。「え~、ひどい」と思うのですが、彼の加筆した文章の方が、正確で読みやすいのです。悔しいですが。
編集長からの「注意喚起」に急かされて、続きの原稿を完成させました。第1章第4節の原稿(連載では第6回と第7回分)を提出し、ゲラの校正も終わったので、年内の掲載分はこれでしのげます。もっとも、1月掲載分も、12月中には原稿を出す必要があるので、手を休めることができません。しかし、12月は、年賀状書きという修行が待っています。
月別アーカイブ: 2015年12月
明るい公務員講座、3
『地方行政』連載、「明るい公務員講座」第3回11月30日「実は人間関係に悩んでいる」が発行されました。今回の内容は、次の通り。
中身の悩みと進め方の悩み。上司も早い段階で相談に来て欲しい。ホウ・レン・ソウ。実は人間関係に悩んでいる。苦手な上司。嫌な上司は反面教師。
何人かの読者から、お便りがありました。
・・・自分で考えずに前例を調べるのは気が引けましたが、これまでの事例を参考にして改革すると考えれば良いのですね・・・
・・・「仕事に悩んでいると思っていますが、実は人間関係に悩んでいるのです」と言い切るのは、今更ながら、「なるほど」と思いました・・・
結いの場、女川町
「地域復興マッチング・結の場」が、11月26日に宮城県女川町で行われました。その結果報告です。
参加者は、被災地域企業7社12名、支援提案企業36社61名です。参加した被災地域企業からは、次のような声が寄せられています。
「いろいろな悩みを真剣に聞いて頂き、様々なアドバイスも頂き、参考になる話があった。まずは社内で整理して、出来ることからスタートしたい」
「今後、どう支援を受け入れて、こなせるかが課題。真剣に取り組んでいきたい」
「参加した多くの方にたくさんのエールを頂いた。お応えできるように頑張りたい」
支援企業の皆さん、ありがとうございます。
ブルデュー
加藤晴久著『ブルデュー 闘う知識人』(2015年、講談社)と、あわせてブルデュー著『自己分析』(邦訳2011年、藤原書店)を読みました。ブルデューについては、文化資本の考え方を、個人から広げて地域の財産の一つとして使わせてもらいました(拙著『「新地方自治入門」』)。それが書かれている『ディスタンクシオン』は、大部なのと読みにくそうなので勘弁してもらい、石井洋二郎著『差異と欲望―ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む』(1993年、藤原書店)で理解しました。
加藤晴久先生には、東大駒場時代にフランス語を学んだので、その懐かしさもあって、『ブルデュー』を手に取りました。先生の解説で、ブルデューが文化資本を提唱した背景がわかりました。それで、『自己分析』も読んだのです。それについては、追って書くとして。
『ブルデュー』の巻末に、著作リストがついています。加藤先生の短い解説付きです。そこに、Le Sens pratique 1980年、邦訳『実践感覚Ⅰ・Ⅱ』(みすず書房、2001)について、次のように紹介されています。
「『ディスタンクシオン』と並ぶ代表作のひとつ。アルジェリア・カビリア族の人類学的研究を踏まえた行動理論の集大成。邦訳Ⅰは理解不能」と。
そうなんですよね、翻訳書には、読んでいて「これは何を言いたいのだろう」と思う日本語に出会うことがあります。一つには、原文自体が理解困難な文章である場合。もう一つには、翻訳のできが悪い場合があります。若いときは、難しい翻訳を読んで、「私の頭が悪いんだ、勉強不足だ」と思いましたが、最近は「これは翻訳が悪い」と決めつけて、読むのをやめてしまいます。
本書には、20世紀後半のフランスの思想家たちが難解であることを取り上げて、次のようなインタビューを紹介しています。フーコーが、会話の明晰さと書くものの晦渋さとの差について問われたときの答です。「フランスではすくなくとも10%、理解不可能な部分がなければならないんだ」。この話を向けられたブルデューは、「フランスではある本が真剣に受け止められるためには、10%ではだめで、少なくともその2倍、20%は、理解不可能な部分がなければ」と答えます。p154~。
そんなものを読まされる者は、大変ですわ。このページでも、ソーカル事件を紹介したことがあります(2015年4月4日)。