13日の日経新聞に「自民党50年」が載っていました。その中で「高度経済成長の波に乗り、富の分配を努めた前期。冷戦終結で反共の目標を失い、中道勢力との連携で何とか政権を維持してきた後期」との総括があります。よく言い当てていると思います。ただし、財政面からの分析を続けるなら、「高度経済成長の波に乗り、富の分配を努めた前期」の続きは、「経済成長が止まった後も、赤字国債でその路線を続けた後期」だったと思います。これは、自民党への批判でなく、日本の政治と行政への評価です。
私の主張は、「新地方自治入門」に書いたように、戦後日本の国民と国家の目標は豊かになることであり、それに成功した。その間、政治と行政は経済成長の上がりである税金で、公共サービスと社会資本整備をした。それが、日本社会を豊かになることに寄与し、政治と行政も成功した、です。政治=自民党政権と、行政=各省・官僚は、行政サービスを拡充するとともに、公共事業や補助金を配分し、減税や租税特別措置という「補助金」を配分したのです。これは、地域別・業界別に行われ、「主計局-各省(各局)-族議員-業界」という鉄のトライアングルを作りました。また、このような業界別でなくても、公共サービスとともに本格的増税をしたことがないというかたちで、国民全体に利益を還元したのです。できたのです。
経済成長が止まり、税収が増えなくなっても、借金(国債と地方債)で、この構図を続けました。いえ、続けています。「新地方自治入門」p125図表5-2をご覧下さい(戦後日本の経済成長と税収に載せてあります)。これまでのような、族議員の集合体である自民党や各省官僚制は、この構図に適した仕組みです。富の配分政治を変えるためには、族議員を打破し、各省官僚制を変革しなければなりません。
同じく日経新聞「風見鶏」では、西田編集委員が「シンクタンクで行こう」を書いておられました。「霞ヶ関の官僚機構と二人三脚で、自民党は結党以来の50年間、ほぼ一貫して政権を担ってきた。霞ヶ関は自民党の知恵袋であり、シンクタンクとも言える存在だったが、自民党は50周年記念事業の目玉として独自のシンクタンクを創設する」「霞ヶ関の発想からは出てこない政策が必要になっている」「小さな政府と言っても、党内でイメージが定まっていない。自分の首を絞める話だから、こういう問題意識は役人からは絶対出てこない」
2つは別の記事でしたが、期せずしてシンクロナイズ(同調)していました。