月別アーカイブ: 2015年10月
国会というところ2
国会というところ
政治と行政、清水記者の新著
清水真人著『財務省と政治ー最強官庁の虚像と実像』(2015年9月、中公新書)が、出版されました。著者は日経新聞政治部記者で、これまでも政治と財政について、多くの著書を世に問うています。著者の、1990年代からこれまでの取材に基づいた記録と分析です。新書とはいえ、なかなかの力作です。
当事者や関係者からすると、意見や異論はあるでしょう。しかし、日本の政治と行政の分析については、日々流されるニュース記事、奇をてらったしかしステレオタイプの週刊誌記事、他方でしっかりした分析だが時間がかかる学者の本などが多いです。その間で、このような現場に密着した、かつ事実を丁寧に記述して、それを大きな視点から分析する本は、意義があります。
レインボーハウス、震災遺児孤児の心のケア
先日、岩手県に視察に行きました(9月29日の記事)。その際に、陸前高田市のレインボーハウスに、おじゃましました。
この施設は、昨年できました。レインボーハウスは、親を亡くした子どもたちのケアをしてくださる施設です。あしなが育英会が運営しています。あしなが育英会は交通事故遺児が有名ですが、震災遺児孤児のケアもしてくださっています(仙台、石巻、陸前高田)。財源は寄付金です。
1か月に3日程度、子どもたちが(親も)集まり、職員(お兄さんやお姉さん)が話を聞いたり遊んでくれます。このような施設は、建物を見ても機能はわからず、かといって活動中はおじゃまになります。当然、私の視察した日はお休みの日で、別の用途に活用されていました。
行政でも、遺児孤児には財政支援をし、学校でもカウンセリングをしています。親を亡くした心の傷は大きく、また子どもはそれをうまく伝えることができません。学校には行くが、保健室で過ごす子どももいます。
行政の手が回っていない分野を、NPOが支えてくれています。この子たちの相手をして話を聞くことは、難しいことです。スタッフは専門訓練を受けています。「当時まだ赤ちゃんで、親の死の意味がわからなかった子どもが、4年経ってだんだん意味がわかるようになってくる」という指摘は重かったです。
このような活動を、行政がどのように連携を取り支援協力するか。課題です。学校(教育委員会)は「学校の外のことだ」と言うでしょうし、市長部局には担当組織がないでしょう。