今日は、仕事始めの翌日。早速、自民党の復興加速化本部が開かれました。平成26年度補正予算案、27年度の当初予算要求、税制改正案、提出予定の福島特措法改正案について、現在の進捗状況を報告しました。明日は、公明党でも、加速化本部が開かれます。まだ正月の6日、国会が始まる前に出てきていただき、議員の先生方には申し訳ないですが。このようにして、政治と行政は進んでいます。
放課後は、異業種交流会を本格的に開始。今日のメンバーは、非営利活動の若手たちでした。私にとって、視野を広げる、ありがたい機会です。彼らの、日本社会を変えようという情熱と行動力には、頭が下がります。
月別アーカイブ: 2015年1月
御用始め
今日は御用始め。復興庁では、大臣から訓示をいただいて、仕事を始めました。その様子は、NHKのお昼のニュースでも流れました。課題と取り組み方針は明確になっています。それぞれの対策を加速します。また、新しい課題に対応します。
ところで、私の若い頃は、御用納めの日や御用始めの日は、昼から職場でお酒を飲んで、「気合い」を入れていました。それはそれで、一つの区切りであり、リズムでした。最近は、そのような風習は、なくなりました。
復興庁でも、朝から仕事がフル回転。職員が次々と、「冬休みの宿題」をもって、報告や相談に来てくれました。私は、身体も頭もしゃきっとしました。休みをもらっているより、職場で仕事をしている方が、充実します。貧乏性です(苦笑)。夜のお酒も、休みの日より、今日の方がおいしかったです。
お正月休み終了
正月休みが終わり、明日から仕事です。
今日は、準備のために、少しだけ職場に顔を出しました。早速、出勤している職員に捕まり、いくつかを打ち合わせ。予算班も出てきていて、聞くと「31日、1日、2日と、3日間だけ休みました」とのこと。別のグループは、「年末に全勝さんに相談したあの件を、検討するために集まりました」とか。ご苦労をかけています。
その後は、日枝神社(仕事関係のお願い)と湯島天神(家族のお願い)を、はしごしました。例年大変な人出ですが、4日になると、行列は短かったです。天気もよいので、そのまま「ブラタモリ」。東大構内を横切って、春日まで。東大正門前にあった私の下宿が取り壊され、アパートが建築中でした。近所の家も、木造だったのが、ほぼすべてコンクリートに変わっています。私が暮らしたのは、もう40年近く前のことですから、変化して当然です。ところどころで地図や案内板を見て、昔を思い出していたら、守衛さんやおまわりさんに、「探しておられるのですか」と声をかけられました。見物客か、道に迷ったおじさんに見えましたかね(苦笑)。
9日間のお休みも、過ぎてしまうと、あっという間ですね。私は、年賀状書き、原稿書き、読書、初詣(地元の氷川神社、近くの大宮八幡宮をあわせ4か所。神様、喧嘩しないでください)と、散歩で終わってしまいました。まあ、よく寝ました。硬めの本がいくつか読めたので、良しとしましょう。お酒の量も控えて、太らないようにしましたが、これは失敗。
朝日新聞、報道検証第三者委員会報告、2
同じく、14 問題点の指摘と第三者委員会のからの提言、「(3)取材チームの編成の開示、署名記事及び社説執筆者の明示について」(p89)に、次のような記述があります。
・・また、今回の検証では、ついに筆者の特定できない記事もあった。その点も考えると、継続性のある重要な報道に際しては、その都度取材チームの編成、および執筆記者名を明らかにするなど、より透明性のある編集体制を望みたい・・
・・社説についても、論説委員らの合議によって内容を決定するため、執筆者個人の意見の表明ではないというが、専門分野をもつ執筆者の意見が中心であって、その氏名を記載して文責を明らかにした方が妥当なものもあろうから、責任を明確にするためにも、可能な限り執筆者は特定することを検討すべきであろう・・
私も、かねてこの2点を主張しています。特に、社説はどのような位置づけなのか、よくわかりません。察するに「論説委員の合議意見」のようです。それよりは、「論説委員の合議により、××委員が責任執筆した」という方が、責任の所在が明確になると思います。
朝日新聞、報道検証第三者委員会報告
新年2日の話題にはふさわしいとは思いませんが、このような休みの時期でないと、ゆっくり読めないので。
朝日新聞が、慰安婦報道に関して、間違った記事を書き、さらに取り消しや謝罪が遅れたことの検証です(12月22日報告書など)。大きく報道されたので、多くの方がお読みだと思います。報告書の最後の部分(14 問題点の指摘と第三者委員会のからの提言。p85以下)を拾い読みして、なるほどと思った点を書いておきます。
1 「(7)言論機関における第三者委員会設置についての注意喚起」に、次のような記述があります。
・・民主主義社会において、「報道の自由」は、憲法21 条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なものであり、日本の判例上もそのように認められてきた(最1判昭53年5月31日刑集32巻3号457頁)。この点に鑑みれば、特定の新聞社のあり方について、たとえさまざまな不祥事や事件があったからとはいえ、そのあり方や評価をメディアの外部に委ねることは、必ずしも最良の措置とは言えない。
当報告書は、この点を十分に認識した上で、朝日新聞社に対して、あえて社外から見た問題点を多岐にわたって指摘した・・
私も、これは疑問に思っていました。2重の意味で、問題だと思います。
まず一つは、問題を起こした組織が自ら検証をせず、他者に委ねることの問題です。「身内の調査では不十分だ」との批判があることは承知していますが、自ら検証せず他者に委ねることは、責任を果たしたことにならないと思うのです。他人に任せると、しばしばマスコミは「自浄能力が試される」と批判します。
また、報告書に、朝日新聞社はどこまで責任を持つのでしょうか。第三者委員会も、人選やテーマの設定、さらには議事の進め方によって、必ずしも客観的とは言えないこともあるのです。かつて各省が設置した審議会について、「官僚の隠れ蓑」と批判されたことは、記憶に新しいです。今回の検証委員会のメンバーは、日本を代表するすぐれた人たちであることは間違いありませんが。
もう一つは、報告書が指摘しているように、報道の自由を主張する新聞社が、報道のあり方を第三者に委ねることは、大きな問題です。製造業の会社が、事業のあり方の検討を第三者に委託することとは、意味が違います。そんなことはないと思いますが、将来何らかの事件があって、国会や政府に「マスコミの報道のあり方に関する第三者委員会」が設置されるようなことがあったら、マスコミはどのように反論するのでしょうか。
この項続く