改革の勧め

私は、部下職員がアイデアをもって、これまでの仕事を変えるべきか、従来どおりですますかを悩んでいる時は、よほどのことがない限り、「変えてみようよ」と、勧めます。
どんな小さな改革でも、面倒なことです。上司に聞かれた時に、「これまで通りです」と答えるのは、楽です。それでも、変えようと思う気持ち。それを大事にしたいです。彼や彼女は、新しい目で、あるいは1年やってみて、これまでのやり方が変だと、思いついたのです。
せっかくの改革の芽を摘んでしまうと、もう彼は、次の改革に手を出さないでしょう。まずは「変だ」と思う発想、そして「変えよう」という意欲が、大切なのです。やってみて、以前の方が良かった場合、そんなことはまずはないですが、元に戻せばいいのです。
上司が問題点を見つけて、改革を部下に指示するということも、重要ですが、限界があります。工場現場での「カイゼン」は、従業員の自発的行為で、成り立っているのです。
小さな改革を実現することで、自信がついて、また学習して、次の大きな改革に取り組むことができます。元気な職場になるか、沈滞した職場になるか、上司の態度によるところが大きいです。
改革には、その職場の権限で改革できること、上司の了解が必要な場合、予算や定員が必要な場合、外部関係者や住民の了解が必要な場合と、軽いものから重いものまであります。その軽重を判断し、手順を考えるのは、上司の責任です。
ここで上司が「面倒だから、従来通りにしよう」と「逃げる」と、部下から信頼を失います。「このような改革案をもっていっても、どうせ、うちの課長は、いろいろ理由をつけて逃げるからなあ・・」と。

負うた子に教えられ

今日、職場で職員に「あの資料を・・」と頼んだら、「統括官、『明るい係長講座』では、あの資料といった指示はだめだと書いてありますよ」と指摘されました。おっしゃるとおり。指示は明確にしなければなりません。反省。

ブランド商品から見た日本社会の変化

1月25日の日経新聞「そこが知りたい」は、フランスのクリスチャンディオールクチュール社長のインタビューでした。
まず日本市場の変化について。
・・この10年間で激変した。働く女性が増えたことが大きく影響している。かつては女性は25歳までOLとして働いた後は結婚して家庭に入った。お客さんとして戻るのは50歳を過ぎてからで、売れたのは圧倒的にバッグだった。
今の女性は結婚後も仕事を続け、各国の服に目を向けるので衣料品が売れるようになった。1980年代はパリや香港に旅行してブランド品を購入していたが、今は国内で買っている。円安が進み、中国や欧州からの観光客も日本でブランド品を買うようになった・・
一部の富裕層が支えているとの見方があることについて。
・・世界中で経済的な格差が広がり、金持ちがより金持ちになったことは確かだ・・日本の百貨店ではハイエンドなブランドは好調だが、中間価格帯のブランドが伸びない。中間層の所得が増えないのが問題だ・・

経済成長を問い直す。2

昨日の続きです。記事のなかで、待鳥先生の主張が参考になります。
・・・しかし、経済成長を社会変化の原因と見なすだけで良いのだろうか。基本的で素朴な議論になるが、ここではあえて、経済成長そのものが人々の行動の結果だという観点を改めて強調しておきたい。
近代以降の経済成長に大きな役割を果たした要因の一つは、技術革新だとされる。技術革新の背景には、現場での創意工夫から研究室での理論構築や実験まで、無数の人々が自由な着想を自分の仕事に生かそうとした行動があった。経済成長はそれらが集積した結果だった。このような行動を許容し、促したのは、社会が全体として持ち始めた自由であった。身分による縛り、迷信などを含む古い価値観の制約などから解放され、人々が自由になったことが近代社会の大きな特徴だが、それはやがて、自由になった人々が何を追求するのかも自由だ、という発想にもつながっていった。幸福追求権である。その中で、積極的かつ自由に経済活動にいそしみ、豊かになろうとすることも、幸福追求の一環として理解されるようになった・・・
さて、少し政治学や社会学に、話を発展させましょう。
日本が経済成長に成功したのは、先進諸国をお手本に追いかけたからです。しかし、それだけでは、世界中の後進国の多くが最近まで、なぜ日本のように成功しなかったのかの答にはなりません。「日本人が優秀だから」は一つの答ですが、すると近年になって成長著しい新興国は、最近になって国民が優秀になったのでしょうか。日本人は、江戸時代は劣っていて、明治になって優秀になったのでしょうか。違うでしょう。
向上心を持って努力する国民性は、この大きな要素です。しかし、それを持つことができる社会、それを許す社会が、それ以上に必要なのです。江戸時代と明治以降の違いです。各人が、自由に学問や職業を選ぶことができる社会。個人の立身出世が、社会の発展に組み込まれたことが、日本社会を躍動的なものにしました。田舎の農家の子弟が、才能に恵まれ、努力すれば(そして運がよければ)、大学教授(博士)にも、大会社の社長(実業家)にも、政治家(大臣)にもなれたのです。もちろん、経済事情や家庭の事情で、完全に自由であったわけではありません。
そこには、自由と平等、努力できる社会が、日本の経済発展の基礎にあったのです。各人の欲望の解き放ちがあり、それが社会に組み込まれたのです。明治維新を成し遂げた元勲とその後を担った政財界の大立て者も、江戸時代に生まれていたら、単なる変わり者だったでしょう。
社会の安定や個人の幸せを考えた時に、経済成長率の大小以上に、このような自由で平等な社会が重要です。そのような観点からは、戦後日本の発展を支えたこのような社会的条件が失われていないか。若者に夢と活力を失わせていないかが、心配です。それは格差の固定であり、子どもの貧困であり、家庭を持てない非正規雇用などの問題です。これは、経済と経済学の問題ではなく、政治(学)と社会(学)の問題です。

福島復興、継続的な取り組み

日経新聞が、福島復興特集を継続してくれています。1月24日は「風評・風化と戦う」でした。県産食品の品質と安全性を消費者に伝える努力を、続けているお店が紹介されていました。記事にもあるように、福島に対する風評被害は、かなり減りましたが、まだまだ続いています。県産の食品と、観光客についてです。これについては、粘り強く、安全性を広報するしかないのでしょう。また、県知事とみずほ銀行社長との対談も載っています。みずほ銀行は、発災直後から復興支援に協力していただき、引き続き支援してくださっています。