先達の経験談

粕谷一希著『粕谷一希随想集3 編集者として』(2014年9月)p337に、次のような記述があります。
・・これまで10回の連載(「乏しき時代の読書ノート」)で、敗戦直後から昭和27、28年までの私の読書歴を簡単にスケッチしてきた。それは15歳、中学3年生から大学までの7、8年間である。それはある人々からすれば、その程度のことかといわれそうだし、ある人々からすれば、ナント迂遠な迷走をつづけたことかといわれそうである・・
この文章に、とても共感しました。立派な先達がこのような感慨を述べられることに、私のような凡人も安心します。人生観を変えるような本もあれば、時間の無駄だった本もあります。しかし、それが今の私を作っています。
読書だけでなく、人生もそのようなものなのでしょうね。いろんな回り道をして、今の私があります。最初から結末や過程がわかっている人生って効率的ですが、面白くないでしょうね。結末がわかっている人生なら、たぶん生きよう(たどろう)とは思わないでしょう。
回り道をして、後からみたら無駄だと思えるような過程を経て、ある目的に達する。人生は、そのようなものなのでしょう。もちろん、迷い道ばかりで、一つのことを成し遂げないようでは、満足感は得られないでしょうが。3千メートルの頂に立つ場合に、まっすぐ垂直のようなはしごを登るのか、富士山のような裾野の広い山を登るのか、八ヶ岳のような山を迷いながら登るのか。人生は、頂もわからず、登山道もわからない山を登っているのでしょう。若い時から、先達の経験談や失敗談は、すごく勉強になりました。
ところで、伊東元重先生が、『東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと』(東洋経済新報社、2014年8月)を書かれました。この本は、大学生に「人生の戦略」を教える本ですが、先生の経験談でもあります。先日、先生に「まだこのような本を書かれるには、早いのではありませんか」と申し上げたところです。しかし、大学生や院生からすると、伊藤先生の経験談は宝物でしょうね。