ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン著『国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源』(2013年、早川書房)を紹介します。貧しい国と豊かな国がなぜできるかについては、関心があるのですが、昨夏に出版されたときは、「いくつもある見方の一つだろう。まあいいや」と読みませんでした。書評で取り上げられていたので、年末年始の休みに読みました。
著者たちの主張は、経済的発展の違いは、地理的条件でも、気候の違いでも、文化の差でもない。為政者の無知でもない。問題なのは、政治経済の制度である、というものです。古代から現代まで、アフリカから中南米まで、具体的な例が豊富に検証されています。近いところでは、アメリカとメキシコの国境に接する2つの市や、韓国と北朝鮮が隣り合っていながら、なぜこれだけ経済発展に違いがあるのか。近代において、イギリス、アメリカ、日本などが経済発展に成功しながら、それまで栄えたスペイン、中南米、中国が取り残されたのか。
経済を発展させるのは、私有財産制度、自由主義市場経済であり、それを保障する民主主義が必要なのだということです。それら「制度」が組み込まれた社会が、発展するのだと主張します。独裁下や天然資源があることだけでは、一時的な発展はありますが、永続はしないのです。その主張には、納得できます。ご関心ある方は、お読みください。
ただし、次の2つの点を指摘しておきます。
一つは、このような経済発展と社会の安定は、近代と現代においてなり立つものであって、古代社会などに当てはめるのは無理があると思います。例えば、古代エジプトや平安時代の日本には、この物差しは当てはめられないでしょう。著者は、古代ローマやマヤ文明にも当てはめていますが、そこまで射程を広げると、「制度」の内容が曖昧になります。
二つ目は、文化の要素です。私は、拙著『新地方自治入門』で、地域の財産を、自然環境、公共施設、制度資本、関係資本、文化資本に分類しました(p190)。著者のいう「制度」は、私の分類では、公共施設と制度資本にかなり重なります。しかし、民主主義を支える意識や、治安の良さ、他人を信頼する関係など(関係資本と文化資本)は、民主主義や市場経済を支える重要な要素です。彼らが言う「制度」の重要性は否定しませんが、それを成り立たせるには、国民の「文化」が必要なのです。もちろん、これらの文化は、一定の経済発展があり、社会の安定があってこそ、育つのですが。
著者は、違いを「包括的な経済制度・政治制度」と、「収奪的な経済制度と政治制度」と表現していますが、これは、いささかわかりにくい表現です。全ての国民が権利を保障され、政治と経済活動に参加できる制度が確立していることを、指しているようです。「包括的」は、今はやりの日本語に言い換えると「包摂」(排除されない)かもしれません。
上下巻合わせて、約700ページです。これでもかこれでもかと、古今東西の実例が出てきます。それはそれで、なるほどと思うのですが、ふだん新書くらいしか読んでいない身には、重いです。「結論と概要だけを書いてくれないかな」と、身勝手なことを考えてしまいます。社会科学系の洋書は、和書に比べて分厚いですね。本屋の洋書売り場に行っても、その厚さと重さに感心します。