前回の続きです。この本は、「日本陸軍終焉の真実」という副題がついています。
日本と日本陸軍が道を誤ったことについて、失敗の原因を分析する際には、政治指導者、統治機構、世論、現場の軍隊の行動、戦略や作戦、兵器と補給など、さまざまな視点があります。そして、これらに関して、たくさんの本が出ています。しかし、この本のように、軍事官僚が陸軍省内部から見た記録は、そうはないでしょう。
また、作戦を立て遂行するためには、部隊(大量の兵士)を養い動かすこと、武器弾薬を補給すること、その経費をどう見積もり手当てするかなど、その背後に膨大な事務作業があります。それを、官僚たちはどのように処理したか。興味深いです。
平時は、毎年の定例作業なのでしょう。前年の実績を元に、増分と減分を調整すればすみます。しかし、戦時になると、変更部分がとてつもなく多くなり(本文中に、一挙に3倍になるとあります)、また不確定要素が増えます。作戦の進行や変更によって、どんどん変わってきます。それをどう裁いたかです。
順次、興味深い記述を紹介します(引用する際には、一部書き換えてあります。また、注は私が入れたものです)。
まず、登場する軍人の名前には全て、陸軍士官学校の第何期生であるかが、記されています。年次が重要だったことがわかります。これは、現在も同じ。
また、頻繁に人事異動があります。官僚機構ですから、当然ですが。例えば軍務局長は、昭和6年当時は小磯国昭、その後10年の間、昭和16年の武藤章まで、12人です。一人で3度勤めた人もいますが。
(行革について)
・・人馬の減少、官衙の改廃等はなかなか細かいものであった。後年の軍備充実の大まかなやり方は、当時としては全く夢にも考えられない有様だった。鈴木宗作中佐の指導を受けて、本当に文字通り一兵一馬の予算をはじきながら、毎日コツコツと、火事場のような課の中で仕事を進めていた・・
・・判任官(注:現在では常勤職員でしょうか)一名の削減がどうしてもできず、ついに省内の各課を歴訪してどこでもけんもほろろの有様、ついに(広島県)宇品の運輸部の小蒸気船の機関長が判任文官だということを知って、防備課に三拝九拝、やっとこれを嘱託か雇員かに直して、ようやくつじつまを合わしたこともある・・(p37)。
この後に、馬を削った際の、著者の作戦と現場からの反発が書かれていますが、これは本文をお読みください。おもしろいです(失礼)。
この項、続く。