第6回復興推進委員会の議論の中で、高橋紘士先生の「地域包括ケア」についてのお話が、勉強になりました。詳しくは資料(特にp2~6)を見ていただくとして、私が理解したことは次の通りです。
「地域」ということは、施設に入れて社会から切り離すのではなく、地域でみんなと一緒に支え合うことです。施設に入れてしまうと、社会から排除し、本人もやる気がなくなってぼけます。集中・排除型でなく、分散・溶け込み型です。
「包括」ということは、介護だけでなく、医療、そしてその前の保健・予防が一体となって支援することです。
さらにその際には、介護保険、病院、医療保険、検診といった「制度による支援」だけでなく、「その下」にインフォーマルな支援が必要です。先生がおっしゃったのは、「公的な制度が成り立つ前提には、親密性が必要である」「公助の前に、互助・共助が必要」ということでした。
互助はどのようにして作るかという点について、「互助は作るものではなく、生まれるものである。生まれるように誘導することだ」という発言にも、納得しました。
ところで、地域包括ケアの趣旨は、介護保険法に定められています。いずれ、「地域包括ケア法」あるいは「基本法」が必要なのでしょうね。
第5条第3項 国及び地方公共団体は、被保険者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、保険給付に係る保健医療サービス及び福祉サービスに関する施策、要介護状態等となることの予防又は要介護状態等の軽減若しくは悪化の防止のための施策並びに地域における自立した日常生活の支援のための施策を、医療及び居住に関する施策との有機的な連携を図りつつ包括的に推進するよう努めなければならない。
月別アーカイブ: 2012年12月
報道の自由を規制する
12月20日の朝日新聞が、イギリスでの「新聞報道を法規制するかどうか」の議論を伝えていました。イギリスの大衆紙が、殺害された少女の携帯電話の留守番メッセージを盗聴していた事件や、個人情報を金で入手する慣習、個人の医療情報を報道していることが問題になっています。
イギリスには、誤報やプライバシー侵害などの苦情を受け付け、是正を求めるメディア側の自主規制機関がありますが、中立性に欠けるとの批判もあります。
独立調査委員会が、「法律に基づく新聞監督機関の設立」を勧告しました。これが、報道や言論の自由を損なうとの批判を受けています。
報道の自由をどこまで認めるか。政治と憲法の大きな課題です。自由がなければ、自由主義や民主主義は機能しないでしょう。近代西洋国家が、自由と民主主義を手に入れる際に、言論と報道の自由は主要な人権の一つでした。
しかし、何を報道しても良い、報道するためなら何をしても良い、というわけではありません。わいせつな内容は規制され、プライバシーは守られるべきです。どこまでが自由か。最終的には、裁判所で判断されます。
それに至るまでに、個々の記者の良識に任せるのか、社の自主規制に委ねるのか、業界の自主規制で良いのか。政治学や憲法学で、もっと詳細な議論がなされるでしょう。
私がこの記事を読んで思い浮かべたのは、経済活動の自由です。自由主義市場経済が良いとしても、すべてを自由にしてはうまく機能しないことが実証されています。個人や企業の倫理に任せているだけでは、公正な商業・金融活動が行われないので、各種の規制が持ち込まれています。自由を守るためには、規制が必要なのです。
避難場所の証明書
総務省が、「届出避難場所証明事務処理要領」を、全国の自治体に通知しました。これは、元の市町村を離れて避難している住民のために、現在いる場所の証明書を発行しようというものです。
避難している人たちの多くは、住民票を元の市町村に残しています。いずれ、戻るのですから。ひとまず、避難先の自治体に住民票を移して、元の住所に戻る際に住民票を戻すということも可能ですが。住民票を、現在いる場所(避難先)に移さなくても、行政サービス(教育や福祉)は受けることができるようにしてあります。
ところが、民間サービスで、住民票がないと困る場合があることがわかりました。
自動車や携帯電話を買おうとすると、避難先での住民票を求められる。クレジットカードを作ったら、住民票のあるところに送られる。不在の時に、郵便物が配達され、後で受け取る際に現住所を証明するものがないので、受け取れないなどです。
「住民票を、元の住所と現在の避難地の2か所で出せばよい」という意見もあります。しかし、2か所に住所があると、2か所に税金を納めなければならず、選挙権も2つあることになります。これは困ります。
そこで、住民票は元の市町村に残しつつ、避難先に住んでいることを元の自治体が「証明する」ことにしました。
避難している人たちは、今いる場所を元の市町村に届け出ているので、事務自体はそんなに難しくありません。ただし、様式などを統一しておいた方が、その証明書を見る人たちにとって便利なので、そのひな形を総務省が示したのです。
避難元市町村は、順次、証明書を発行する予定です。
総務省の後輩たちが、良い方法を考えてくれました。私は、「被災者支援や復興は、これまでにないことを考える、行政のフロンティアだ」と言っています。その一つの例です。ありがとう。
年末年始のボランティア
「年末年始に向けたボランティア団体等へのメッセージ」を出しました。田村太郎さんは、復興支援NPOの有名人で、復興庁のボランティア連携班で非常勤職員としても働いてもらっています。
仮設住宅などでは、孤立が心配です。市町村役場も、NPOの助けを借りて、いろいろと取り組みをしています。その活動に、一工夫しようという助言です。
年末年始は、独りでいると、なお寂しくなります。ボランティア活動も、少なくなる時期です。いろんな媒体を使って、広報します。
12月16日の読売新聞が、被災者支援のNPOの全国連絡組織「東日本大震災支援全国ネットワーク」の加盟団体が、震災直後の3月では185団体だったのが、798団体に増えたことを紹介していました。12月15日では、804団体になっています。
計画の縮小、作業の手戻り
復興推進員会で述べられた発言の中に、なるほどと思うことがたくさんありました。
その一つが、これからの復興まちづくりにおいて、「見直し、縮小、手戻りが出てくる」という指摘です。発災直後は急いで、将来計画を作りました。それはそれで必要だったのですが、時間が経って落ち着いて考えると、別の考えも出てきます。すると既に作った「まちづくり計画」の見直しが必要となります。それはしばしば、現計画の縮小です。「あのときは、立派な計画を考えたけれど、これからの生活や資金を考えると、もう少し小さくしても良いなあ」とかです。戸建て住宅を考えておられた方も、これからの老後を考えると集合住宅の方が便利だとか。
そして、計画を見直すと、作業の手戻りが出てきます。ある人曰く「縮小とか手戻りは、役人が一番嫌うことです」。確かに、一度決まったことを見直すのは面倒だし、確保した予算を削減するのも嫌います。しかし、「立派な町並みができたけれど、人が住んでいない」という結果にならないように、縮小は嫌がらずに行うべきでしょう。
そのためには、世間の人も、「早く成果を出せ」と言わないでください。これは、行政(公務員)の成果を、使った予算の額で評価するのか、できあがった街の大きさで評価するのか、住む人たちの満足度で評価するのかにも、関係しています。予算で測るのが、一番簡単なので・・。