平穏な大晦日

今日は、大晦日。松飾りを買いにいって、門につけました。いつも行く、ご近所の花屋さん曰く「今年は、これしか残っていないので・・」。31日ですからね。
昨年、工務店のプロに、塀に飾り付け用の金具をつけてもらったので、もう、ガムテープで固定するといった、みっともないことにはなりません(苦笑)。
昼間は、残る年賀状書きに、精を出しました。残念ながら、たくさんの葉書を残したままで、途中で断念。すみません、明日もたくさんの年賀状をいただきながら、こちらからは出さないとうことになりそうです(反省)。
夕方は、例年のように、日本最高のアマチュア蕎麦打ち名人宅へ、お蕎麦をもらいに行き、別途ご挨拶すべきところに顔を出した後、家に帰って蕎麦をいただきました。そして、今年最後のこの文章を書いています。
皆さんにとって、平成24年は、どのような年だったでしょうか。目標は達成できたでしょうか。実り多い幸せな年であったことを期待しています。
私は、大震災復興本部から、復興庁を立ち上げ、統括官(各省の局長と同じ職)に就きました。被災者生活支援本部次長の時代から、引き続き被災地の復旧のお世話をして、1年9か月が経ちました。
このホームページで紹介しているように、かなり復旧が進みました。そして、残る課題も、見えてきました(12月21日の閣僚懇談会に出した資料。同じく原子力災害についての資料)。引き続き、一日も早い被災地の復旧と帰還に向けて、がんばります。そして、その仕事が円滑に行くように組織を回すのが、私の仕事です。

私生活では、2月にインフルエンザにかかるという「不覚」がありましたが、それなりに健康に過ごしました。もっとも、歳を感じることも多いです(苦笑)。原稿は書けず、読書もはかどりませんね。このホームページは、ほぼ毎日、書くことができました。最近は、読者の方から「おもしろくない」「自己主張が少なくなった」「新聞記事と本の紹介ばかりだ」とお叱りを受けています。う~ん、なかなか時間がとれず、考える時間がないのです(言い訳です)。
家族も、元気で過ごすことができました。息子が就職し、税金の申告などでは「夫婦二人家族」になりました。
今年一年、つまらないこのページにお付き合いいただき、ありがとうございました。累計182万人で、年を越しそうです。
皆さん、良いお年をお迎えください。

12月30日、職員との打ち合わせ

今日は、12月30日。復興庁では職員が出勤して、課題解決に向けた検討会をしました。いくつか検討事項が残ったので、続きは来年の1月3日に集まることにしました。すみません、担当職員はその間に書類を作ってくれます。来年1月3日と言っても、その間にあるのは12月31日、1月1日、2日だけです。申し訳ない。
夕方に退庁する際、みんなに対して「諸君、良いお年を。来年にお会いしましょう」と発言したら、「労働者にも、年休を取る権利はありますよね」とか「今日も明日も出勤日じゃないから、休暇をもらわなくても良いんだよ」とか、笑いが起きました。難しい仕事を休日返上で、笑いながらやってくれる職員に、ただただ感謝です。
「統括官は、1月2日に出てくるのじゃないでしょうね」と聞かれたので、「家のメールに送ってくれれば、読んでおくわ」「それより、まだ年賀状が書けていない」と答えました。門松も買っていないし・・。

12月29日、福島出張

今日29日は、総理と復興大臣のお供をして、福島県に行ってきました。旧第一原発、川内村、そして郡山市にある川内村の仮設住宅です。川内村では、高校跡地に進出している企業や、新規に開店したコンビニなどを見てきました。たくさんの村民が、迎えてくださいました。
村長のリーダーシップの下、着実に帰村が進んでいます。もちろん、いろいろな障害はあります。一つ一つ取り除いていきます。
これで、今年は48日出張しました。記録を見たら、昨年の12月29日も福島に出張していました。職員と「そういえば、去年も出張だったよな。1年前とは思えないね」「あっという間の1年でした。去年の今頃は、まだ警戒区域の見直しをこれから進めるところでした」とか、語り合いました。毎日が忙しいと、何をしていたか、記憶が不確かになります。
明日は、東京の職場で、仕事の打ち合わせです。

12月28日、福島出張

今日は12月28日、例年だと御用納めです。霞が関の各省は、新内閣の指示による補正予算と新年度予算編成の作業で、そのような状態ではないようです。
私は、新復興大臣のお供をして、福島県庁に行ってきました。明日も、福島に入る予定です。

大震災、対策本部の活動の記録

季刊『行政管理研究』(2012年12月号、行政管理研究センター)に、小滝晃君の「東日本大震災(地震・津波)の初動・応急対応―緊対本部の12日間と復興対策本部発足までの3ヶ月間」が載りました。小滝君は、内閣府防災部局の参事官をしていて、2011年3月11日の発災直後から対策本部に勤務していました。この報告は、その時の記録をまとめたものです。
私は、2011年3月19日から被災者生活支援本部に関わりました。私が参加していない緊急対策本部の状況と、18日までの被災者支援活動が記録されています。残念ながら、小滝君の記録の範囲も地震と津波で、原子力発電所事故は含まれていません。
行政管理研究』2011年12月号には、山下哲夫君の「政府の被災者生活支援チームの活動経過と組織運営の経験」が載っています(2011年12月28日の記事)。
このような経験が、多くの人が読むことができる形で記録されることは、重要だと思います。何度か指摘しましたが、霞が関には、官僚に向けた政策雑誌がないのです(「官僚論」。そこで数少ない例として紹介した、『外交フォーラム』も『ESP』も、廃刊になりました)。