今日9月11日、野田総理大臣や藤村官房長官らが、復興庁を訪問され、職員を激励していただきました。
月別アーカイブ: 2012年9月
津波避難者と原発事故避難者、その2
昨日に引き続き、福山哲郎著『原発危機 官邸からの証言』(2012年、ちくま新書)からです。福山氏は、当時、官房副長官でした。p176に「官僚らしからぬ発言」という見出しで、次のようなことが書かれています。
・・3月29日、原子力災害対策本部の下の、「原子力被災者生活支援チーム」が設置された・・このチームの発足に先だって、事前協議が各省庁の局長クラスで行われたときのことだった。かなり遅い時間だったと思う。各省庁から現状の取り組みと課題が報告された後、被災者生活支援チームで中心的な役割を果たしている、ある官僚が強い口調で発言した。
「1時間も2時間も、こんな会議をやっていてどうするんだ。何をやらなければいけないのか、保安院が率先してミッションを提示すべきだ。放射性物質が飛散する中で、我々も緊張感を持って作業に当たらなければいけない。それなりの準備もいる。岩手や宮城の状況とは、決定的に異なるのだ。それにもかかわらず、保安院や資源エネルギー庁から、まず今回の事故に対するお詫びやねぎらいの言葉が一言もないことは、理解に苦しむ。別にそんな言葉がほしいわけではないが、みんな必死に仕事をする中で時間をつくってこの場に出席している。会議が終われば、すぐ次の仕事が待っている。何をやるのか分からないような会議をしてもらっては困る」
出席していた官僚たちは一様にうなずいた。官僚らしからぬ率直な物言いだと、私は思った・・
それ以降、原子力被災者生活支援チームの会合は、副長官執務室に各省の副大臣を集め、担当の官僚同席のもと、最小限に時間を区切って毎日定期的に行うようになった・・
私も、鮮明に覚えています。各省からたくさんの幹部が、経済産業省の会議室に集められました。福山副長官から発言を促されたのですが、私は2度遠慮しました。「それでも」とおっしゃるので、上記のような発言をしました。
私が言いたかったのは、次のようなことです。
1 このチームの発足が、遅いこと(被災者生活支援本部は、すでに1週間以上も前から稼働していました)。
2 たくさんの幹部を集めた会議は、無駄であること。消防庁から気象庁まで集まっても、意味がない。課題を示し、それに関係する組織だけ集めてほしい。ここに集まった幹部は、それぞれ忙しく、部下たちは帰りを待っている。
3 会議でなく、課題を示しどのように対応すべきか、指示を出す集まりにしてほしい(被災者生活支援本部は、そのような形で運営していました)。
4 各省に作業をお願いするのだから、主催者からは、各省に対し「お願いします」の一言があっても良いのではないか。
福山前副長官は、かなり正確に書いてくださっています。もっとも、私は、この発言が「官僚らしくない」とは、思っていないのですが(笑い)。
結婚式の挨拶・その3
今日は、元部下の結婚式に呼ばれて、行って来ました。7月の沖縄、8月の函館に続き、3か月連続です。今回は、東京でした。
新郎は、被災者生活支援チームや福島復興局で、苦労してくれた若手です。今日も、座を和ませるために笑いを取りつつ、精一杯褒めたので、ご両親に「あそこまで褒めてもらって・・・」と、感激してもらいました。まずはお役目を果たした、ということですね(苦笑)。12月には、お子さんが誕生の予定とか。お幸せに。
来月は予定はないのですが、11月に、次の結婚式に呼んでもらっています。
関西弁ではなく、これが正しい日本語
「肝冷斎のページ」を覗いたら、私の悪口を書いていました(9月8日の記事の末尾)。間違いなので、正しておかなければいけません(キッパリ、笑い)。
私が話しているのが、正しい日本語です。東京の人やテレビのニュースで話しているのは、「東京方言」です。使う単語だけでなく、イントネーションとアクセントの位置が違います。と、私は思っています。
(例えば、最後の文を、しゃべり言葉にしてみます。アクセントは、ひとまず無視しましょう。私が言う正しい日本語では、「つこうたはる単語だけやのうて、イントネーションとアクセントの位置が、ちがうのとちゃいますか」です。)
現に私は、その清朝の高官とは違い、日本語の会話で苦労したことがありません。18歳で東京に出てきて以来、もう40年近くになりますが。部下に向かって「それちがうんと、ちゃうか」と言うのと同じように、総理大臣や大臣にも、「ちごうてんのと、ちゃいますか」と申し上げたことがありますが、話は通じています。これまで、お叱りを受けたことはありません。ただし、この文章を話すタイミングは、私なりに気を遣っています(誇張を含んでいるので、笑って読み飛ばしてください)。
もっとも、鹿児島の人や東北地方の人が、地元で友人としゃべるときと、東京でしゃべるときとで、言葉を使い分ける才能は、尊敬しています。
津波避難者と原発事故避難者
福山哲郎著『原発危機 官邸からの証言』(2012年8月、ちくま新書)のp174以下に、「被災者の生活支援」についての記述があります。2011年3月17日に、緊急災害対策本部の下に「被災者生活支援本部」(後にチーム)が作られたこと、3月29日に原子力災害対策本部の下に「原子力被災者生活支援本部」(後にチーム)が作られたことが、書かれています。私が担当したのは、前者の「被災者生活支援本部」です。
2つの支援本部を作らなければならなかった理由は、次の通りです。前者の被災者生活支援本部は、地震・津波であろうと、原発事故からであろうと、避難してきた人を支援しました。逃げてきた人には、どのような理由で逃げてきたか「背番号」は振られていないので、区別はできません。
ところが、私たち支援本部が手の出せない範囲があったのです。それは、原発事故で指示が出され、一般人が立ち入ることが制限された地区です。自宅待機や計画的避難区域になった地域です。
簡単に言うと、第1原発から半径30キロメートル以内は、許可なく立ち入ることができなくなったのです。たくさんの人が残されているのですが、私たちの本部では手が打てないので、別途に原子力被災者生活支援本部を作ってもらいました。
東日本大震災は、地震・津波被害と原発事故の、2つの異なった災害が含まれています。前者は天災であり、後者は事故です。例えば、後者には賠償という行為がありますが、前者にはありません。政府の対策本部も、別の法律に基づき、2つつくられています。
地震・津波被害の場合は、起きた時点で、災害はおおかた終わっています。もちろん、しばらくの間、救助救出作業は続きますが。一方、原発事故の場合は、水素爆発まで時間があり、さらに放射性物質の放出が止まるまで時間がかかりました。災害(事故)は、続いていたのです。
原子力発電所を安全に停止させるという対策とともに、近隣の住民をどのように避難させるか、放射性物質が拡散する範囲の住民にどのように指示を出すかが、大きな課題だったのです。すなわち、「原子炉対策」と「住民対策」という、2つの大きな課題があったのです。
地震と津波は「瞬間型」の災害であり、今回の原発事故は「持続型」の災害です。このほかに、「緩慢型」というリスクもあります。この区別については、拙稿「社会のリスクの変化と行政の役割」第1章注4を参照してください。