復興本部のホームページ

復興本部のホームページが、徐々に充実しています。
被災者等の状況」「仮設住宅や民間住宅など二次避難の状況」も、被災者支援チームのホームページを引継ぎ、情報を最新のものに更新しています。被災者支援班、広報班の諸君、ありがとう。
また、11日には、「基本方針」(7月29日決定)を、一部書き換えました。すなわち、第1次補正予算の際に、本来なら年金財源に充てるべき金額から2.5兆円を、復旧の経費に「流用」していました。今回、民主・自民・公明の3党の合意ができ、この金額について、3次補正予算の際に復興債で補填されることになりました。そのことを加筆しました。この金額は、ほかの要素が変わらないならば、増税などで財源を確保しなければなりません。

住宅と人とのつながりと

8月5日に内閣府が、震災に関連した自殺者が16人になると、公表しました。6日付けの読売新聞が詳しく報道していました。仕事がなくお酒に頼る人や、飲酒運転が増えているとの報道もあります。
他方で、9日の朝日新聞は、仮設住宅での孤立を防ぐために、各地で対策がなされていることを伝えています。市から委託を受けた人が、仮設住宅を回ってお茶会を開き、お年寄りの話し相手を務めている例。仮設住宅の集会所に、週末に集まって、夕食会を開いている例などです。
住宅を造るだけでなく、このような心の手当も、必要です。

時代の雰囲気と歌

日経新聞は文化欄で、第2次世界大戦と敗戦を知る作家たちに、大震災について語ってもらう連載をしていました。その締めとして、8月6日朝刊に、宮川匡司編集委員が「求められる時代の歌」を書いておられます。
・・戦争を肌で知る作家・詩人の声を聞き、ある共通点に気がついた。どの人も現在の日本に、大きな不安や暗さを感じている。あの時代より暗いと感じるのは、なぜなのか。
1950年代から80年代まで、日本は右肩上がりの時代を生きてきた。しかし、バブル崩壊からリーマン・ショックへと至る時代の閉塞感は、一通りではない。この大震災は、その果てに起きた。戦中戦後を生きてきた方々の憂慮のわけは、そこにある。
財政の破綻、原発事故対策の遅れ・・・。嘆くべき材料を数え上げたらきりがない。ただし、日本人は政治・経済・科学技術の方策だけで混乱を乗り切ったわけではない。
かつて焼け跡には「リンゴの歌」が流れていた・・「青い山脈」もまた、そんな歌の一つ。「古い上着よ さようなら/さみしい夢よ さようなら」。暗い戦争の記憶を振り払うようなこの歌は、戦後を生きる人々を、どれだけ鼓舞したことだろう・・
不安が絶えない今だからこそ、人々が心を寄せる「時代の歌」がいる・・

救援物資の保管と仕分け、配送の無償協力

先日、国際空港上屋株式会社に、お礼に行ってきました。被災者支援のために、企業からもたくさんの物資が寄付されたことは、皆さんご承知のとおりです。海外からも、たくさんの物資が寄せられました。それらは主に成田空港に到着します。
それを一時保管し、物品ごとに仕分けし、搬送する必要がありました。実は、これが広い場所を取り、大変な作業なのです。この保管と仕分けを無償で、協力していただいたのです。しかもモノの性格から、事前に計画的に届くわけではありません。突然大量に届くのです。それらにも対応してもらいました。ありがとうございました。
また、それを被災県まで運ぶ搬送についても、DHLジャパンが無償で協力してくださいました。それぞれ、大臣名でお礼状を出したのですが、お会いしたいとの申し出があり、私の方からお礼に行きました。

物資を寄付してくださるのはありがたいのですが、いくつかの地方団体が個人からの寄付を一時断ったように、その保管と仕分けさらには個人への配達は、大変な作業なのです。これは、政府が調達する物資にも共通します。被災者支援チームのホームページでも紹介しましたが、調達と搬送に仕組みと人手がかかります。自衛隊には、大活躍してもらいました。また、中継拠点で物資がたまり困ったので、仕分けの専門家に助けてもらいました。
モノは、被災者にわたることと写真で「目に見える」のですが、このような作業やサービスは、一般の方には見えにくいです。私も携わって、初めて知りました。

関係者の皆さん、ありがとうございました。たびたびこのようなことがあっては困りますが、次回はこれを教訓に、円滑に行うようにします。