1月10日の日経新聞経済面「三度目の軌跡、データで見る」に、わかりやすいグラフが出ていました。1950年代から現在までの、産業別従事者数の推移です。
農林業が、1,500万人から260万人に大きく低下しました。製造業は、700万人から増加し、1964年に農林業を抜きました。1992年には 1,569万人とピークに達し、その後減少し、約3分の2の1,000万人程度にまで減っています。建設業は200万人から、経済成長とともに増加しまし たが、最も多かったのはバブル崩壊後の公共事業拡大期です。1997年に685万人に達しましたが、その後は公共事業の削減もあり、500万人程度に減っ ています。
卸・小売業、飲食店は、700万人程度から増加し、1996年に1,463万人と製造業を抜きました。その後、少し減っています。医療・福祉は600万人で、建設業を抜きました。
このように言葉で書くとわかりにくいですが、記事に出ているグラフはわかりやすいです。日本経済や産業の移り変わりが、一目瞭然です。
月別アーカイブ: 2011年1月
社会の制度・インフラの輸出
1月9日の朝日新聞経済欄で、韓国がカンボジアやラオスで、証券取引所の売り込みをしていることを伝えていました。市場経済の重要なインフラである証券取引の仕組みを、教えるのです。
新興国にとって、もの作りを輸入するだけでなく、経済や社会の制度・インフラを輸入することも重要です。日本も明治以来、たくさんの制度を欧米から輸入しました。典型が、法律や行政の仕組みです。
日本も先進国になったので、アジアなどの新興国のお手伝いをすることが、期待されています。法務省が、カンボジアなどでの法整備に協力していることが有名です(参考文献、松尾弘著『良い統治と法の支配-開発法学の挑戦』(2009年、日本評論社)など)。また、JICA(国際協力機構)が、いろんな技術援助をしています。
少し視野を転じて、先進国を含めた世界への社会インフラの貢献となると、あまり思いつきません。かつて、日本が先進国に「輸出」した法律の例として、迷惑メール防止法を教えてもらったことがあります。アメリカの国会議員が、日本に勉強に来たのです。他に、何かありますかね。
省庁再編10年
2001年1月6日に新府省が発足して、10年になりました。早いものですね。私は当時、省庁改革本部でこの仕事に携わっていて、5年か10年のうちには、もう一度省庁再編(大規模なものでなく、見直し)が行われるだろうと、予測していました。
国家行政機能をどう大括りにするかは、「家の間取り」の問題であり、時代の変化に応じて、また運用してみて都合が悪ければ変えるだけのことです(拙著「省庁改革の現場から」p192)。民間企業でも、地方自治体でも、しょっちゅう改変を行っています。国にあっては、この10年間を振り返ると、大きな再編は行われませんでした。主な変更は、次の通りです。
防衛庁が、防衛省になりました。公正取引委員会が、総務省から内閣府に移りました。内閣府に、食品安全委員会と、消費者庁ができました。総務省の郵政事業庁が、郵政公社を経て、民営化されました。厚生労働省の社会保険庁が、解体されました。農林水産省の食糧庁が、廃止されました。国土交通省に、観光庁と運輸安全委員会が設置されました。
これだけ見ても、社会の変化がわかりますね。このほか内閣府にいくつかの委員会が作られ、各省での局や部の改変もあります(一覧表があればよいのですが、見つけることができませんでした。現在の組織図)。
省庁改革の内容は、省庁再編だけでなく、内閣官房や内閣府の強化(政治主導の強化)、行政機能と組織の減量、独立行政法人制度の創設、政策評価と情報公開でした。いずれも、かたちとしては達成しました。しかし、省庁改革が目指したものは、「この国のかたち」の再構築でした。省庁改革を設計した行政改革会議の「最終報告」(1997年12月)は、次のようなことを掲げています。
日本国民のエネルギーが白熱し、眩いばかりの光彩を放った半世紀が過ぎ、それに適合的であった戦後型行政システムを改める必要がある。それは、行政の改革であると同時に、国民が統治の客体という立場に慣れ、行政に依存しがちであった「この国の在り方」の改革である。
このような目標は、省庁再編だけでは達成できません。最終報告が述べているように、「この国のかたち」の再構築は、行政改革のみによって成し遂げられるものではなく、経済構造改革、財政・社会保障改革、教育改革など、社会・経済システムの全面的転換が必要なのです。
その後、地方分権改革、規制改革、司法改革などいくつかの改革が進み、進みつつありますが、なお道半ばです。この文章の最初で、省庁組織が部分的に改変されていることも紹介しました(私が考える日本の構造改革の体系図は「行政改革の分類」のページの「構造改革体系図」を、近年の行政改革の鳥瞰図は、同じページの「行政改革の分類」をご覧下さい)。
このような、部分的改革を積み重ねることも必要ですが、あらためて、次なる改革の全体像を示す必要があるでしょう。それは、統一された哲学と、いくつかの改革の優先順位と工程表です。もちろん、これには大きなエネルギーが必要です。
2人のゲームと第3の関係者
高橋伸夫東大教授の『虚妄の成果主義-日本型年功制復活のススメ』(2004年、日経BP社。2010年、ちくま文庫)を読んでいて、長年の悩みが解決しました。
ゲーム理論に、「囚人のジレンマゲーム」があります。経済学では有名なので、ご存じの方も多いでしょう。簡単に言うと、捕まった2人組に、検事が持ちかけます。「2人とも自白したら、重い罪。2人とも自白しなかったら、軽い罪。1人だけ自白したらその容疑者は無罪、自白しない容疑者はもっと重い罪」とです。すると、2人とも相手を裏切って自白してしまい、共倒れになります。ただし、反復を続けると、容疑者は協調することが多いこともわかっています。
私は、学生の時にこれを勉強した時から、「それはその通りだけど、何か釈然としない」という気持ちを、持ち続けてきました。高橋先生の本に、フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの指摘(1944年)が、紹介されていました。すなわち、2人ゲームには、第3のプレーヤーがゲームの構造に現れていないことがあるのです(私の引用は簡略化しているので、正確には本文をお読み下さい)。そうです、このゲームは容疑者2人で成り立っているのではなく、検事が重要な参加者なのです。
少し飛躍しますが、労使の対立も、次のようになります。例えば賃上げをめぐって、使用者と労働者が対立します。一方が勝てば、相手方は負けです。しかしそうでしょうか。賃上げの場合、その原資(財源)が必要です。民間企業なら、稼ぎから出せばよいのでしょう。それだけの利益が上がらなければ、倒産です。一方、公務員の場合は、給与を上げれば、その財源は、住民・国民の負担にはね返ります。必要以上の賃上げをした場合、その「負け」を背負わされるのは、納税者です。また長らく、文部省と日教組が、対立してきました。しかし、この場合も教育という観点から考えると、最も重要な関係者は、生徒と保護者でしょう。
高橋先生の本には、1985年に旧電電公社がNTTに民営化された場合のケースが、紹介されています。規制が緩和され新規参入が可能になった時に、電電公社の幹部が、新規参入を勧めて回ったという話です。なぜ、独占企業が、ライバルを育成しようとしたか。それは、経営側と組合側が2人ゲーム状態に陥っていたことを解決しようとしたからだ、と解説されています。
若手研究者の活躍
若手政治学者が、次々と論文を出版しています。砂原庸介大阪市立大学准教授に、教えてもらいました。砂原先生のブログ(2010年12月19日の記述)をお読み下さい。私も、本屋の棚でいくつか出版されていることには気がついていたのですが、このように並べられると、なるほどと思います。
先日、ある人と、出版業界の不況、特に学者の本は売れないので出版されない、という話をしていたばかりです。そのような中での出版ですから、うれしいですね。また、その内容についても、皆さん、大変なエネルギーを費やしておられることに、感心します。
私の書いている原稿と比べ、恥ずかしい限りです。やはり、研究には、集中する時間とエネルギーが必要です。今の私には、それは無理なので、私がこれまで経験したこと、それもほかの人が経験していないことを元に、少しでも世間の役に立つことを、書いて残しましょう。