2人のゲームと第3の関係者

高橋伸夫東大教授の『虚妄の成果主義-日本型年功制復活のススメ』(2004年、日経BP社。2010年、ちくま文庫)を読んでいて、長年の悩みが解決しました。
ゲーム理論に、「囚人のジレンマゲーム」があります。経済学では有名なので、ご存じの方も多いでしょう。簡単に言うと、捕まった2人組に、検事が持ちかけます。「2人とも自白したら、重い罪。2人とも自白しなかったら、軽い罪。1人だけ自白したらその容疑者は無罪、自白しない容疑者はもっと重い罪」とです。すると、2人とも相手を裏切って自白してしまい、共倒れになります。ただし、反復を続けると、容疑者は協調することが多いこともわかっています。
私は、学生の時にこれを勉強した時から、「それはその通りだけど、何か釈然としない」という気持ちを、持ち続けてきました。高橋先生の本に、フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの指摘(1944年)が、紹介されていました。すなわち、2人ゲームには、第3のプレーヤーがゲームの構造に現れていないことがあるのです(私の引用は簡略化しているので、正確には本文をお読み下さい)。そうです、このゲームは容疑者2人で成り立っているのではなく、検事が重要な参加者なのです。

少し飛躍しますが、労使の対立も、次のようになります。例えば賃上げをめぐって、使用者と労働者が対立します。一方が勝てば、相手方は負けです。しかしそうでしょうか。賃上げの場合、その原資(財源)が必要です。民間企業なら、稼ぎから出せばよいのでしょう。それだけの利益が上がらなければ、倒産です。一方、公務員の場合は、給与を上げれば、その財源は、住民・国民の負担にはね返ります。必要以上の賃上げをした場合、その「負け」を背負わされるのは、納税者です。また長らく、文部省と日教組が、対立してきました。しかし、この場合も教育という観点から考えると、最も重要な関係者は、生徒と保護者でしょう。

高橋先生の本には、1985年に旧電電公社がNTTに民営化された場合のケースが、紹介されています。規制が緩和され新規参入が可能になった時に、電電公社の幹部が、新規参入を勧めて回ったという話です。なぜ、独占企業が、ライバルを育成しようとしたか。それは、経営側と組合側が2人ゲーム状態に陥っていたことを解決しようとしたからだ、と解説されています。