今、話題の、マイケル・サンデル著『これからの正義の話をしよう』(2010年、早川書房)に、次のような下りがあります。政治と宗教との関係の章p318です
1960年代と1970年代に(アメリカで)発言力を持った公共哲学では、政府は道徳・宗教問題に関して中立で、個人が自由に自分なりの善良な生活の構想を選べなければならないとされる。
(アメリカの)2大政党はともに中立の考え方をアピールしたが、その方法は異なっていた。おしなべて言えば、共和党は経済政策にこの観念を利用し、民主党は社会的・文化的問題に応用した。共和党は、自由市場への政府の介入に反対だった。その論拠は、以下のようなものである。個人は自由に経済上の選択をし、自分の金を好きなように使うべきだ。政府が納税者の金を使ったり、公共の目的のために経済活動を制限したりするのは、万人が共有するわけではない国家公認の共通善の押しつけだ。
民主党は、経済に政府がより大きく介入する措置を擁護した。だが、社会的・文化的問題になると、やはり中立性という言葉を持ち出した。政府は性行動や生殖に関する決断の領域で「道徳を法制化」すべきでないと民主党は主張した。一部の人の道徳的・宗教的信条をほかの人に押しつけることになるからだ。政府は妊娠中絶や同性愛を規制するのではなく、そうした道徳性を帯びた問題に対して中立を保ち、個人に自ら選択させるべきである・・。
なるほど、国家の介入が、市場経済と社会生活の2つの分野で、違ったのですね。納得しました。
月別アーカイブ: 2010年8月
山岳遭難の救助費用負担
12日の朝日新聞オピニオン欄は、山岳遭難を取材している羽根田治さんの「安易な救助要請が山岳遭難を助長する。へり出動費は全額負担させ自覚を促せ」でした。
かつてこのHPでも、登山者が、長野県警にヘリコプターによる救助を要請し、警察ヘリが点検中で民間ヘリを紹介したら、自力で降りたという例を紹介しました(2005年9月28日)。記事では、手の甲をすりむいただけでヘリを呼んだ男性2人組の例を、紹介しています。しかも、救助後に救助隊員の事情聴取を拒否し、捨てぜりふまで残したそうです。
羽根田さんは、安易な救助要請を減らすために、救助費用の有料化を提言しておられます。「高額になる場合がある」との意見に対しては、保険に入るべきとおっしゃっています。私も、その意見です。反対論者には、「救助は無料だという原則」をおっしゃる方もおられます。しかし、その費用は、私たち国民の税金で賄っています。特に、里山に登るのではなく、高山に、しかも冬山だと、危険は承知の上でしょう。万が一の場合に備え、保険に入っていくべきです。登山は、通常の日常生活でのリスクとは、違うのです。
リスクがある場合、まずは保険で危険負担を分散することが、先にあるのではないでしょうか。それでもダメなら、政府の出番です。ところで、警察や防災ヘリは県が、消防ヘリは都と市が運行しています。住民でない人の救助にも、出動しています。費用負担は、県民や市民がしています。
新型インフルエンザ終息
WHO(世界保健機関)が、10日に、新型インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)が終息したと宣言しました。新聞が伝えています。警戒水準をパンデミックである「6」に引き上げたのが、昨年の6月でしたから、1年2か月かかったことになります。感染が確認されたのは214か国と地域、死亡者は1万8千人だそうです。
今回の新型インフルエンザは、弱毒性で被害は比較的軽くてすみました。最初の頃は、かなり厳重な対策をとりました。飛行場で体温を測ったり、隔離し、学校を休校したり。覚えておられると思います。危機管理としては、良い訓練になりました。しかし、強毒性の感染症だと、こうはいきません。
お墓の管理と経営
8月11日の朝日新聞オピニオン欄は、お墓の特集でした。長江曜子聖徳大学教授が、次のようなことを発言しておられます。
・・欧州では、お墓の問題を、福祉行政の一環として位置付けています。例えばスウェーデンでは、所得の0.07%を埋葬税として支払い、葬儀や墓の使用権の費用に充てています。無縁の墓は整理されますが、政府がその後も責任を持って遺骨の管理と祭祀を続けます。民間がお墓を経営することは、「永続的に管理できるかどうかリスクが高い」として、認められていません・・
日本では、お寺さんなどの墓地や民間の霊園と、地方自治体の墓地があります(地区の住民が管理しているのも、あるのでしょうか)。国によって違うものですね。
悲しいカエル
このホームページを長くごらん頂いている方は、覚えておられるでしょうか。ご近所のカエルです(2008年7月28日、30日の記事)。2年ぶりに、会いました。握り拳ほどの大きさです。2軒ほど隣の、お家の前でです。しかし、かわいそうに、車にひかれて、死んでいました。昨日の朝、大雨が降った後です。雨につられて出てきたのか、友達に会いに行くところだったのか。この道路は、車の通行も少ないのですが、残念です。
わが家の近所は、道路は舗装され、両側は住宅。しかも、そんなに広い庭のある住宅はありません。何軒か、広い庭があるのですが、それらも次々と壊され、その庭も少なくなっています。どのようにして生きているのか、不思議です。彼が、最後の一匹でないことを祈ります。