国家による経済への介入と道徳への介入

今、話題の、マイケル・サンデル著『これからの正義の話をしよう』(2010年、早川書房)に、次のような下りがあります。政治と宗教との関係の章p318です
1960年代と1970年代に(アメリカで)発言力を持った公共哲学では、政府は道徳・宗教問題に関して中立で、個人が自由に自分なりの善良な生活の構想を選べなければならないとされる。
(アメリカの)2大政党はともに中立の考え方をアピールしたが、その方法は異なっていた。おしなべて言えば、共和党は経済政策にこの観念を利用し、民主党は社会的・文化的問題に応用した。共和党は、自由市場への政府の介入に反対だった。その論拠は、以下のようなものである。個人は自由に経済上の選択をし、自分の金を好きなように使うべきだ。政府が納税者の金を使ったり、公共の目的のために経済活動を制限したりするのは、万人が共有するわけではない国家公認の共通善の押しつけだ。
民主党は、経済に政府がより大きく介入する措置を擁護した。だが、社会的・文化的問題になると、やはり中立性という言葉を持ち出した。政府は性行動や生殖に関する決断の領域で「道徳を法制化」すべきでないと民主党は主張した。一部の人の道徳的・宗教的信条をほかの人に押しつけることになるからだ。政府は妊娠中絶や同性愛を規制するのではなく、そうした道徳性を帯びた問題に対して中立を保ち、個人に自ら選択させるべきである・・。
なるほど、国家の介入が、市場経済と社会生活の2つの分野で、違ったのですね。納得しました。