昨日、システム思考について書きました。ところで、社会科学では、自然科学のシステム思考を適用して考える、「システム論」と呼ばれる学説があります。政治システム論や社会システム論が有名です。
社会を機能的に分けて、いくつかの仕組み(システム)から構成されていると考えます。そこには「構造」と「機能」があります。「入力」があり、「変換」されて、「出力」が出ます。それらが関係し合っている、という考え方です。
昨日も書いたように、複雑な社会を理解するには、要素に分けて考えるしかありません。機能によって分けて考えるというのが、このシステム論(思考)です。定型的な業務には、この考え方は向いています。一定の条件を入力すると、決められた結論が出る。行政の場合、ある申請がされると一定の結論(給付など)が出る、というようにです。
実際は、すべての申請が同じ内容ではないこと、前例のない申請の場合はどうするかという問題が生じます。そして、従来の仕組みでは処理できない事態がでた時、それを入力するのか(申請を受け付けるのか)、拒否するのか。入力した時に、どのように変換して出力するのかが、問題になります。決められたことをする行政(規則にないことはしない行政)と、新しいことを考える行政(前例がない、規則にないことを考える行政)との違いです。
次に、申請を受け付けるとして、臨時異例の処理としない場合は、新たにどのような仕組みを作るのかが、課題になります。どのようにシステムを設計するか、という問題です。それは決められた入力を処理する各部門の仕事ではなく、全体を統合している責任者の仕事です。ここで、昨日の結論と同じところに、たどり着きます。
そして、システム思考が分析でとどまっている限りでは、この二つの課題(前例のない入力と新たなシステム設計)は解決できません。
月別アーカイブ: 2010年3月
システム思考、分割と統合
日経新聞「経済教室」が、トヨタ自動車のリコール問題に関連して、「ものづくり再論」を連載しています。門外漢ながら、いえ門外漢なので、勉強になります。3月18日は、木村英紀先生の「システム思考の革新急げ」でした。先生の主張は、自然科学やもの作りについてですが、「システム思考」について、私なりに考えてみました。
システム思考は、自然科学や人工物を理解する仕方です。すなわち、複雑なものを機能に着目して部分に分けて、それらのつながりとして理解する、といったらよいでしょうか。
人間は、複雑なものを、そのままのかたちでは理解できません。全体として把握できないので、いくつかの機能の部分に分けます。また、人工物の場合は、部分が動くように作って、それを組み立てます。
例えば、人体を、消化器系、神経系、呼吸器系、循環器系として理解します。自動車を、動力(エンジン)、制動(ブレーキ)、変速(トランスミッション)などの部分に分けて考え、組み立てます。
さて、社会科学の分野に転用すると、「組織」も人工物の一つです。会社だと、製造、搬送、販売、購入、財務といった部門に分けて、仕事を特化させます。そして、それを統括します。
個人営業なら、一人で、購入、製造、搬送、販売、財務をこなすのでしょうが、少し大きくなると、一人で全部はできません。そこで、機能ごとに仕事を分割し、組織を分けます。官僚制組織も、この典型です。
これは、機能的かつ合理的ですが、全体像を把握し、各部門を最適化する作業が必要になります。そして、部門それぞれが最適かという問題と、部門間がうまくつながっているかという問題が生じます。
自動車で言うと、必要以上に大きなエンジンを載せているのが、前者の問題で、ブレーキとエンジンの機能はうまくつながっているかが、後者の問題です。組織の場合も、製造部門が大きすぎないか=無駄なものをつくっていないか。営業部門での情報が、うまく開発・製造部門につながっているか。といった問題が生じます。組織が大きくなればなるほど、この二つの統括は難しくなります。しかし、システム思考しか、大きな組織を動かすことはできません。
それぞれの部門が、目的に向かって効率的につながるようにするのがシステム思考であって、部門に分けるだけでは「分割」「分担」でしかありません。全体を統括する部門の役割が、大きくなります。
(このような機能別分担と統合のほかに、目的別分担や地域別分担もあります。県庁で言うと、農林部、土木部、福祉部に分けるのが目的別分担で、県内のいくつかの地域に出先事務所を置くのが地域別分担です。それらの場合も、企画、人事、財務などは、機能別分担になっています。)
今年度の授業終了
今日、消防大学校では、新任教官科82名の卒業式がありました。これで、消防大学校の今年度の授業は終了です。大学校では、4月早々に始まる次の授業の準備とともに、施設の改修や補修工事が忙しくなります。ふだんは授業を行っていますし、学生が寮に入っているので、工事ができないのです。学生のいない時期に、工事を集中させなければなりません。
建物は、15年から10年ほど前に建て替えられました。比較的新しいのですが、雨漏りがしたり、機械が動かなくなったりと、傷んできますね。
政治の存在意義
17日の読売新聞・地球を読むは、佐々木毅先生の「新前川レポート」でした。
・・グローバル化時代における政府の役割は、経済環境全体の大きな変化の中で、限界はあるにしろ、まずは国民に一定程度の安定感を与えることを通して、社会の生存能力を維持することである。
言い換えれば、日々疾風怒濤の中に置かれているグローバル企業の動向から、一定程度自立した社会空間を国民に提供することが政府の役割であり、国民を漫然とこの疾風怒濤の中に投げ込んでいるのでは、存在意義がないことになる。それでは、グローバル化と民主政治を抜き差しならない対立関係に導くことにつながる。
先に触れた旧来のシステムの解体の結果、何が起こったかというと、それは比喩的に言えば、社会の信用創造の慢性的な劣化であった。過度の癒着の排除の後に登場したのは、バラバラの中での相互不信、相互無関心の増殖であった。官と民、中央と地方から株式市場に至るまで、究極的には少子化に至るまで、この劣化は至る所に深く根を張っている。
これは、経済や社会の前進を阻むゆゆしい兆候である。この立て直しは基本的に政治の課題であり、それは最終的には、政府の存在意義の確立を通してのみ実現可能である・・
二院制
17日の日経新聞「核心」は、土谷英夫コラムニストの「この二院制でいいのか」でした。歴史的、諸外国比較から、二院制のあり方を論じておられます。
政治とは、正解が最初からあるものではありません。それを見つけ出す過程が、政治です。今回の衆参ねじれは、日本にとって良い経験だと、私は考えています。おかしかったら変える。これができるかどうかです。