シンプルが生まれたのは150年前

グラフィックデザイナーの原研哉さんが、シンプルという概念が生まれたのは150年ほど前だと、おっしゃっています。なるほどと思ったので、紹介します。詳しくは、原文をお読みください(「シンプルはいつ生まれたのか」岩波書店PR誌『』2010年2月号)。
・・石器時代の石器は、そのほとんどが単純な形をしている。物の見方としてこれを「シンプル」と形容することもできる。しかしながら、それをつくった石器時代の人々は、これらを決してシンプルとは捉えていなかったはずである。なぜなら、シンプルという概念は、それに相対する複雑さの存在を前提としているからである。複雑な形を作り得ない状況での単純さは、シンプルと言うよりプリミティブ、すなわち原始的、原初的と呼ぶべきである。
・・人間のつくり出す物は、プリミティブから複雑へと向かう。文化は複雑から始まった。こう極論できるかと思われるほどに、現存している人類の文化遺産は複雑である。例えば青銅器。中国古代王朝の殷の遺跡、殷墟から出土した青銅器は、いずれもとても複雑な形をしている。造形の順序としては簡素から複雑へと、ゆるやかに段階的に進化して行きそうなものだが、簡素な形をした青銅器は、殷以前の原初的な段階を除くとほとんど見あたらない。中国の青銅器は、その端緒から複雑な形をなし、精緻な文様でその表面が覆われていた。
・・ことさら複雑な文様で覆われているということは、複雑さが明確な目的として探求されたことを示している・・集団の結束を維持するには強い求心力が必要になる。中枢に君臨する覇者には強い統率力がなくてはならず、この力が弱いと、より強い力を持つ者に取って代わられたり、他のより強力な集団に吸収されてしまったりする。村も国も、回転する独楽のような存在である。回転速度や求心力がないと倒れてしまう。複雑な青銅器は、その求心力が、眼に訴える形象として顕現したものと想像される。
(このほかに、イスラムのモスクが幾何学紋様や唐草文様でびっしり埋めていること、インド・ムガール帝国のタジ・マハールを埋め尽くす象眼細工、ヨーロッパ絶対君主の宮殿のバロックやロココといったあふれる装飾が解説されます。)
世界が「力」によって統治され、「力」がせめぎ合って世界の流動性をつくっていた時代には、文化を象徴する人工物は力の表象として示された・・そのような環境下では、簡素さは力の弱さとしてしか意味を持ち得なかった。
しかしながら、近代社会の到来によって、価値の規準は、人が自由に生きることを基本に再編され、国は人々が生き生きと暮らすための仕組みを支えるサービスの一環になった・・その流れに即して、物は「力」の表象である必要がなくなった。椅子は王の権力や貴族の地位を表現する必要がなくなり、単に「座る」という機能を満たせばよくなった。科学の発達も合理主義的な考え方を助長する。合理主義とは、物と機能との関係の最短距離を志向する考え方である。やがて猫足の椅子の湾曲は不要になり、バロックやロココの魅惑的な曲線や装飾は過去の遺物になった。資源と人間の営み、形態と機能の関係は率直に計り直され、資源や労力を最大限に効率よく運用しようとする姿勢に、新たな知性の輝きや、形の美が見出されてきた。これがシンプルである・・モダニズムとは、ものが複雑からシンプルに脱皮するプロセスそのものである・・

少子化、婚外子の文化的背景

朝日新聞1月25日付け別冊GLOBE、エマニュエル・トッド氏へのインタビュー「なぜ、アジアで極端な少子化が進むのか」から。記事についている図表では、各国の婚外子の割合が示されています。スウェーデン55%、フランス50%、イギリス44%、アメリカ39%、ドイツ30%、イタリア21%、台湾4%、日本2%、韓国2%です。ヨーロッパの婚外子割合は、私の想像を超える数字です。
・・世界の家族類型に関する分析では、日本も韓国も台湾も「直系家族」と呼ばれるタイプに属する。親が子どもに対して権威的で、親子の同居率が高く、家系を重視し、子どもの教育に熱心などが特徴だ。欧州ではドイツがそうだ。家系重視のため、結婚外から生まれる子供を許容しにくい面があるのではないか。
一方、米英や北欧の一部、フランスは、「核家族」タイプだ。親子関係より夫婦関係を重視し、親子関係は独立的で同居しない、一方、親は子どもの教育にあまり熱心ではない。家系を重視しない個人主義的な傾向が婚外子の増加と関係しているのだろう・・
別の記事で、出生率や婚姻数の変化が示されています。日本の合計特殊出生率は、1970年に2.13あったものが、2008年には1.37に減っています。人口1,000人当たりの婚姻件数は、1970年に10.0だったものが、2008年には5.8に減っています。これが少子化の原因です。
韓国の結婚件数は9.2から7.0へ、台湾は9.3から6.5へ。フランスは7.8から4.2に減っています。すると、日本の結婚数は、フランスより多いのです。しかし、フランスの出生率は2.00です。この逆転の理由が、婚外子です。

市町村トップの危機対応能力講座

今日は、消防大学校の危機管理・防災教育科の一つとして、「トップマネージメントコース」を行いました。市町村長や副市長・危機管理監などを対象としたもので、大規模災害時の対応能力向上が目的です。専門家による講義と図上訓練とで、構成しています。
吉井博明東京経済大学教授のお話を、私なりに膨らませると、次のようになります。
大規模災害時には、被災現場がどうなっているかわからない=情報不足と情報の混乱。被害情報がないのは、電話が通じないからかもしれません。それは、しばしば同時に多発しています=全体像がわからない。しかし、待っていられない=急を要する。そして大災害時には、対応能力が不足している=消防職員では足らない。といった制約の中で、どこにどれだけの職員を送るか、どのような支援を求めるか、市民にはどのように伝えるかなど、首長の責任は重要です。
通常は、部下職員が情報を上げ、また案を持って伺いに来ます。しかし、災害対策では、待っていられないのです。また、市長が、市役所や市内にいない時もあります。その時は、誰が代行するか。
備えと訓練しか、方法はありません。先生は「過去問から学び、模擬試験で鍛える」と、表現されました。そして、首長も職員も入れ替わっていきます。
訓練にも、図上訓練と実動訓練があり、それぞれに、いくつかの手法があります。阪神淡路大震災以来、関係者の関心も高まり、より洗練されてきています。日野宗門先生の方法は、状況予測型図上訓練=イメージトレーニング方式です。参加者が一定の条件を与えられ、状況を予測し、するべき対応を考えるという方法です。

自衛隊海外派遣・国際協力

今日の日経新聞夕刊に、「自衛隊派遣、揺れた20年」が、特集されていました。1991年第一次湾岸戦争の時に、巨額の資金支援をしながら、人的貢献をしないことで、海外から大きな非難を浴びました。それがきっかけになり、1991年ペルシャ湾への掃海艇派遣、1992年のPKO協力法制定、それに基づくカンボジアPOKと、自衛隊の海外派遣を進めました。記事には、わかりやすい簡単な年表もついています。
当時は、大問題でした。しかし、もう20年前のことですから、今の大学生や若い人たちは、知らないのですね。
私は、連載「行政構造改革」第1章第2節3見えてきた日本の成功の問題点(2)「国際貢献を考えない」などで、国際貢献をしなかったことを、日本の失敗として取り上げました。
憲法において「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と宣言しながら、そのための努力や貢献をしなかったことです。
授業では、次のようなたとえ話をしています。
村の共同井戸に、ならず者が来て、火をつけた。村人が総出で、消火に当たった。その時に、岡本の息子だけが、消火に加わらなかった。「うちには、『息子を危険なところに出してはいけない』という家訓があるから」と。村の人は言った、「でも、共同井戸から一番たくさん水をくんでいるのは、岡本さんですよ」と。
消火が終わって、村人が慰労会をした。岡本家は「慰労会の費用を、みんなの分も出します」と、たくさん寄付をした。そして、「わが家の息子も、慰労会に参加します」と言ったけれど、村人は「一緒に汗をかいた者の打ち上げですから、岡本さんは結構です」と言って、参加させてもらえなかった。学生諸君は、どう考えますか、と。

上級幹部科卒業式

今日は、消防大学校で、上級幹部科の卒業式がありました。消防長(各市町村消防本部の長)や部課長、署長といった最高幹部級の課程です。平均年齢54歳。期間は12日間と、短めです。科目も、人事管理・危機管理・危機管理広報・惨事ストレスといった管理職ならではの科目と、状況創出型図上訓練・消防応援受援といった運用訓練などからなっています。
消防の応援・受援というのは、近年クローズアップされてきました。消防が自らの市町村の区域を越えて応援に行くことは昔からありましたが、遠くまで出かける、広域で応援することは、阪神淡路大震災が、一つのきっかけです。
ところで、応援と受援(応援を受ける)では、受援が難しいようです。各消防本部は、応援の経験はあるのですが、受援の経験はまずはありません。しかも、大災害の時には、たくさんの部隊が、各地から集まってくるのです。被災地ですから、自らの部隊を運用するだけでも大変です。その上に、受け入れるのですから。おわかりいただけると思います。
近年では、各地で、そのような事態を想定した訓練を、行っています。