日本のリーダーと国民が、世界第2位の経済大国になった時に、海外で新たな挑戦をせず、国内に閉じこもったことには、次のような背景もあります。
一つは、古来変わらない、人間の意識です。人は、成功体験に縛られます。「これまでこれで成功したのだから、これからもこれで行こう。無理をして変えることはない」というものです。
そして、それでもしばらくの間、日本が発展できることを許したのが、国際環境です。これが二つ目の背景です。
すなわち、日本は、欧米先進諸国をお手本に、追いつけ追い越せで頑張りました。ところが、その日本を追いかける国が、いなかったのです。その後から発展した諸国、アジアでは韓国、中国、タイなど。世界では、ブラジル、インドなど。それぞれの事情で、日本に続いて来ることがなかったのです。それらの国の発展は、1990年代を待たなければなりませんでした。これらの国が、もう少し早く発展しておれば、日本は、欧米を追いかける利益を、独占することはできなかったでしょう。すると、「お尻に火がついた」状態が、日本人にもっと早く、認識されたと思います。
日本の政治リーダーたちが、アジアや世界を意識に入れておれば、違った世界になっていたでしょう。しかし、相変わらず、輸出市場として、あるいは観光先として、せいぜい政府開発援助先としてしか、考えなかったのではないでしょうか。
国際社会の中での日本を考えることは、国内では「追いつき型思考」ではなく、「新たな挑戦思考」を導きます。世界では、世界秩序構築に貢献し、また、日本の国益を追求することにつながります。
この点、戦前の日本人の方が、アジアや世界を考えていた、と思えます。それは、世界の列強に仲間入りし、伍するためでした。世界は弱肉強食であるというイメージに、おびえていたからでしょう。ただし、それが戦争につながったことから、手放しで評価はできません。
一方、戦後の日本は、平和憲法で戦争を放棄し、国際的な紛争に参加しないことで、「世界は平和だ」と思いこんだのかもしれません。そして、それは、じっとしていても享受できると、思いこんだのでしょう。すると、積極的に参加しなくてもよいと、思いこんだのでしょう。(続く)。