10日の読売新聞社説は、「国の出先機関 大胆に業務を地方に移せ」でした。
・・国の出先機関の本格的な見直しは戦後初めてとなる。中央省庁が再編され、市町村合併が大幅に進んだが、国の出先機関はほとんど手つかずのままだった。戦後の復興期や高度成長の時代には、国が地方をリードする必要があったが、今は、むしろ地方の自由を制約している。職業紹介や中小企業対策では、出先機関と都道府県の業務の重複が目立つ。より住民に近い自治体に業務を一元化した方が、効率的な行政ができるはずだ。大半の通常業務は地方に任せられるはずだ。国は、業務の全国統一基準を示したうえ、法令や政策の相談・監督役や技術の指導役に徹すればいいのではないか。
・・地方分権は、総論賛成、各論反対に陥りやすい。中央官僚の反対を抑え込み、具体的な成果を上げるには政治の役割が重要だ。福田首相や町村官房長官は、年末の最終段階になって、調整に乗り出すのでは遅すぎる。今後の節目節目で、各省庁に対して積極的に指導力を発揮すべきだ。
月別アーカイブ: 2008年3月
外国人の受け入れ
経済と国家
副業
東京は、暖かくなりました。8日は外出したので、9日は副業に精を出しています。大連載4月号ゲラを校正。これで第2章が終わるので、第3章を出版社に渡さなければなりません。それで、第3章第2節までを、ひとまず完成させました。これで、5月号から7月号まで、3月は持ちます。でも、去年の秋から、半年かかっています。この進み具合だと、追いつかれてしまいます。
その他、3月22日に「政策メッセ・ワークショップ」に呼んでもらっているので、レジュメの作成。私の出番は、「中央省庁再編:官邸主導の検証」です。田中秀明・一橋大学准教授がモデレーター、清水真人・日本経済新聞社編集委員、曽根泰教・慶應義塾大学大学院教授の予定です。
もう一本、3月末締め切りの原稿も、抱えています。とほほ。
翻訳書の罪
鈴木直「輸入学問の功罪」(2007年、ちくま新書)が、おもしろかったです。「輸入学問」という表題に引かれて読んだのですが、内容は「思想・哲学の翻訳書はなぜ読みにくいか」、特にかつて教養とされた、ドイツ哲学についてです。
カント、ヘーゲル、マルクス、ウエーバー・・、学生時代に挫折した記憶があります。当時は、理解できない自分、あるいは読み続けることができない自分が、恥ずかしかったです。先輩たちはすごいんだなあと、思っていました。
その後、「どうも、訳がおかしいのではないか」と思い始めました。2005年に、トクヴィル「アメリカのデモクラシー」の新訳が出て、自信を深めました。学生時代に線を引きながら読んだ講談社文庫は、読みにくかったです。新訳は読みやすいです。
鈴木さんの本では、資本論とカントについて、これまでの訳文を並べて比較してあります。古典とも言える岩波文庫などの訳が、とんでもない訳であることがわかります。日本語になっていないのですよね。
しかも、当時の大御所は、わかりやすい訳を徹底的に攻撃するのです。どうして、そのようなことになったのか。117ページあたりに、社会的背景が分析されています。
・・新政府のリーダーたちの多くが、地方雄藩の下級士族の出身であった。彼らは、上級士族はもちろん、江戸下町の庶民より、無教養であった。この新支配層が威光を放ち、庶民の敬意を勝ち取るために、外国語の知識や文明の利器ほど、好都合なものはなかった。文明開化は、新支配層の文化的コンプレックスを糊塗する、絶好のアクセサリーとしても機能した。
翻訳文化と外国語教育が、国家エリート選抜のための高等教育に囲い込まれることによって、実際の経済社会から切り離された。この卒業生が支配層に移行し、輸入学問は官尊民卑を正当化するステータス・シンボルになった・・
納得します。