三位一体改革73

13日の日経新聞経済教室は、佐藤主光一橋大学助教授の「交付税は財政調整に特化」「補助金で財源保障、機能分離の視点を明確に」でした。(6月13日)
原稿の校正をしていて、HPの間違いを見つけました。「地方案の実現度」の表です。17年秋に官房長官が各省に補助金廃止の割り当て(合計6,300億円)をしました。各省はほとんどそれに答えなかったのですが、いくつかの省が回答しました(合計1,178億円)。もっとも、その中には地方団体が求めていなかったもの(166億円)が含まれていました。それをこの表でどう表示するか、悩ましいのです。例えば、総務省は10億円の割り当てに対し、10億円の満額を回答しました。しかし、そもそも地方団体の要求に、総務省分はなかったのです。今回、各省回答数字を改め、地方案以外は括弧書きにしました。(6月19日)
今日20日の日経新聞は、連載「分権のデザイン、財政から描く」を書いていました。「地方交付税見直し。我田引税、改革遠く」という内容です。夕張市の財政再建団体への記事も、載せていました。(6月20日)
21日の日経新聞は、連載「分権のデザイン、財政から描く」で「自治体の起債自由化、道半ばの市場原理」でした。(6月21日)
21日の日経新聞連載「分権のデザイン、財政から描く」は、人件費の削減でした。(6月22日)
23日の日経新聞連載「分権のデザイン、財政から描く」は、破綻寸前の過疎地でした。(6月23日)
22日の朝日新聞は、坪井ゆづる論説委員と松田京平記者が「骨太、分権置き去り」「作業大詰め、届かぬ地方の声。財政再建に追いやられ」を大きく解説していました。
「昨年までの骨太作りと大きく違う。三位一体改革で論じられた分権の影が薄いのだ。巻き返しを図る自治体側は12年ぶりに、内閣と国会に意見書を提出し、新地方分権推進法の制定を求めるが、地方交付税の減額といった財政再建の大合唱にかき消されている」。ぜひ原文をお読みください。(6月22日)
毎日新聞6月25日の「発言席」は、交付税の削減に関して、井戸敏三兵庫県知事の「過疎地に住むな、なのか」でした。(6月26日)
三位一体改革によって、国と地方の税収配分がどう変わるかを表にして、「国と地方の税源配分」に載せました。また、税目別の国と地方の取り分を図示したものも載せました。どの税金が大きいか、どの税金で地方の取り分が小さいかがよく分かります。「続・進む三位一体改革4」の原稿用に作った表です。自治税務局寺崎補佐の協力を得ました。ご利用ください。(6月23日)
27日から日経新聞で、神野直彦東大教授による「やさしい経済学-地方財政改革」の連載が始まりました。(6月27日)
2日の日経新聞ニュース入門は、地方交付税改革を大きく解説していました。(7月2日)
28日の日経新聞夕刊は、知事に対する地方交付税に関するアンケート結果を載せていました。改革で重視すべき点は、1番が行政サービス維持に必要な財源保障機能の維持、2番が算定・総額決定への自治体の参画、3番が国が特定の事業に誘導する算定方法の廃止、4番が特別会計への直接繰り入れでした。(7月1日)
3日の朝日新聞は、交付税アンケートを大きく載せていました。「削減、小自治体に打撃」です。この記事の当否は別として、近年の交付税の削減は、小規模自治体にきつく利いているはずです。
まず、小さな自治体の方が、交付税依存が大きいのです。同じように交付税が削減されても、財政力の強い団体と弱い団体とでは、効果が違うのです。東京都、名古屋市、過疎の町を比較してみてください。東京都はそもそも交付税をもらっていない、名古屋市は少ししかもらっていないから減っても影響は少ない。ここでは、小さな町=財政力の弱い町と考えています。次に、近年、段階補正と事業費補正を削減しました。これらの補正は全国的な制度ですが、小さな町に大きく利いています。その削減は結果として、小さな町に削減が大きいのです。
この記事では別に、「身にしみる負担」が取り上げられていました。もっとも、これまでその町が独自で行ってきた優遇策が削減されるのなら、それは致し方ないことです。そのための財源を、他の事業を縮小するか増税するかで、確保するしかないのです。どこからも、お金は降ってきません。(7月3日)
(続三位一体改革は?)
7日に、「骨太の方針2006」が閣議決定されました。各紙が、歳出歳入一体改革の具体的方針を決めたことを伝えています。しかし、地方財政・地方交付税については、総額の抑制などが議論になっているだけで、三位一体改革その2や分権については、ほとんど取り上げられていません。8日の日経新聞地方面が、交付税総額減額を回避したことを、いくつかの知事の意見とともに紹介していました。(7月8日)
7日の朝日新聞は、地方交付税に関する全国市区町村アンケート結果を大きく解説していました。小自治体に削減の大波。検診やごみ収集有料化、行政の役割問う機会に。公共事業、実質ゼロも。柱は職員数カット、などの見出しです。(7月7日)
月刊『地方財務』2006年7月号が発行されました。拙稿「続・進む三位一体改革」4が載っています。
早速訂正です。p114資料37の注4で「30.094億円」とあるのは「30,094億円」の間違い、注5で「7.393億円」とあるのは「7,393億円」の間違いです。(7月4日)
遅ればせながら、留守中の記事などを紹介します。
(骨太の方針2006)
11日の朝日新聞では、松田京平記者らが「分権、役割論議から」「骨太方針に一括法見直し。カネの攻防一休み」「闘う知事会、色あせ」を詳しく解説していました。
11日の日経新聞は「財政、次への課題・上」で、地方財政を取り上げていました。「かみ合わぬ国と地方」として、骨太の方針2006で地方財政改革が不十分だった点を指摘しています。「財政優先か地方分権優先かの水掛け論をしている余裕はない。税源と権限を地方に移す基本に沿って、国と地方の関係を一体的に見直し、制度を再設計することが求められている」。
12日の日経新聞経済教室「正念場の財政再建、小泉後の課題2」では、小西左砂夫教授が「地方は財政責任果たせ」「国依存から自立を、相互扶助を軸に収支均衡」を書いておられました。骨太の方針と地方財政の将来像について、バランスよく解説しておられます。ぜひご一読ください。
(全国知事会議)
12、13日と松江市で、全国知事会議が開かれました。
13日の日経新聞地方面では、中西晴史編集委員が、これについて「分権改革、論議今ひとつ」と解説しておられました。「三位一体改革推進も闘う知事会議も消えた。12日の全国知事会議最大のテーマは国・地方の税財政改革(三位一体改革)の第1ラウンドを終えた来年度以降の分権改革の進め方だったが、論議は迫力を欠いた・・」。17日の日経新聞は「全国知事会の研究・上」を載せていました。「色あせる闘う姿勢」「陳情復活、目立つ形骸化」です。(7月17日)
11日の読売新聞「論陣論客」では、増田寛也岩手県知事と堺屋太一さんが、「骨太方針、見えぬ分権改革」のインタビューに答えておられました。14日の読売新聞では青山彰久記者が「岐路に立つ闘う知事会」「分権改革の議論停滞。歳出削減圧力に防戦一方」を解説しておられました。(7月18日)
21日に政府は、先に地方6団体が提出した意見書に対する回答を閣議決定し、全国知事会長らに渡しました。回答は、まだ関係のHPには載っていません。日経新聞21日夕刊などによると、回答は「骨太の方針2006」の引用に終始し、事実上のゼロ回答だということです。(7月23日)
24日の日経新聞は、谷隆徳記者の「全国知事会の研究・下」「かすむ分権の理念。市町村に配慮、守りに腐心」を載せていました。「最近の知事会の議論は低調だ・・」「各県トップが一堂に会する知事会議は本来、もう一つの政府である。国のかたちを論議するふさわしい場だ。地方から矢継ぎ早に改革案を突き付けないと、分権改革は小休止になりかねない。知事会の真価が問われている」(7月24日)
産経新聞は25日から、「小泉構造改革の決算」を連載しています。第1回は、規制緩和でした。第2回の今日は、三位一体改革です。「三位一体改革は、地元に補助金を運ぶ代わりに票を集めた地方選出議員にとって最も痛い改革になった」「三位一体改革は、地方財政が抱える問題点を浮き彫りにした。しかし、地方の自立に向けた処方箋は示されていない」。(7月26日)
地方6団体の三位一体改革推進ネットに、6団体からの意見書に対する内閣総理大臣の回答と、それに対する6団体の評価が載っています。(7月26日)
28日の毎日新聞連載「縦並び社会、格差克服への提言」では、「地方の自立へ向けて」として、長野県栄村村長が「交付税を本来の姿に」、石原信雄さんが「経済の原則を抑えると活力がなくなるが、放置すると地域格差が大きくなる。その格差に政治がどうかかわるかが重要だ。ある程度の地域格差はしかたがない。しかし、東京一極集中を放っておくと地方の購買力が低下し、企業の経営や経済全体にも跳ね返ってくる・・・東京に本店のある企業が納める法人税などは、全国で上げた利益によってもたらされる。都会が地方に税金を回すのは当然だ・・・中央省庁が持つ経済政策の権限を道州制で地方に移し、地域が企業にとって魅力ある施策を打ち出せるようにすることも不可欠だ・・」といった趣旨のことを主張しておられます。(7月30日)

文書整理=廃棄

29日の日経新聞別冊は「書類整理し、机すっきり」を載せていました。仕事の書類を分類すると、捨てられるもの5割、捨てられないが手元に置いておかなくてもよいものが3割、残った2割が手元に置いておいた方がいいもの、という「5対3対2の法則」を紹介しています。半年過ぎた文書を見る確率は10%、1年過ぎた文書を見る確率は1%という、アメリカ政府の調査結果も。
複写機のなかった時代を想像すれば、多くの文書(複製)は持つ必要がないですよね。鹿児島県の文書課長時代に、文書廃棄運動をしました。県庁から運び出した文書の量は、厚さにして(大きさを問わず)20キロメートルを超えたと記憶しています。皆さんの事務所でも、会計課に行って、年間のコピー用紙購入枚数を調べてください。膨大な量です。それと同じ分量を捨てないと、事務所はパンクします。職員が文書を見る時間は増えません。とすると、増えた文書は積み上げられ、化石となるのです。と書いていて、自らも反省。

2006欧州随行記6

(いすは人をつくる)
30万人といったら、日本では中規模の市くらいの人口規模だ。中核市は、要件が人口30万人以上となっている。横浜市の350万人、大阪市の260万人など政令市は別として、県庁所在市と思えばいい。例えば、宇都宮市や奈良市は30万人より大きい。
その団体が、外交を行い、通貨を発行し、一国としてやっている。空港、税関、パスポートコントロール、放送、通信、郵便、銀行・・。国としての様々な機能を備えている。
日本の市役所と比べるなら、国会は市議会、大統領は市長、各省は各部と思えば、それほどの驚きはない。国会だって、施設だけ見れば、日本の市議会の方がはるかに立派だ。しかし、施設設備でなくその内容、いってみればハードでなく、ソフトとコンテンツがどうかである。
何人もの議員が、「岡本さん。失礼だけど、この国の大統領とか首相は、人口から言えば日本の市長みたいなものだろ。でも、威厳があるねえ。発言も立派だし。うちの地元の市長は、この国より人口が大きいけど、こんなに立派に応対できるかなあ」とおっしゃる。確かにそうだ。
左から、大統領府官房長、大統領、私、大使。
こちらが、相手を大統領だと思うから、立派に見える面もあるのだろう。でも、発言内容は、国のあり方であり、外交についてである。ひるがえって、日本の市長はどうか。まず、私たちが、相手を市長と思うから、大統領ほどには敬意を払わない。これは、差し引こう。発言内容はどうか。市のあり方について、あれほどの発言ができるか。
アイスランドは、ここにも記したように、決して条件の恵まれた国ではない。皆さん声をそろえて、「第2次大戦までは貧しかった」とおっしゃる。独立を果たしたが故に、宗主国デンマークに頼ることができなくなった。自分たちで考え、自分たちで生きていかなければならなくなったのである。
日本の自治でいえば、「補助金が少なくて」とか「税収が少なくて」なんて言っておられない。言う相手がいない。自分たちで稼ぐ、自分たちで節約するしかない。
「椅子は人をつくる」という言葉がある。私たちが見た「小国」アイスランド政府と政府関係者は、まさにこれではないか。一つには、それぞれの人が仕事をこなすことで、立派な威厳のある人に見える。この人たちだって、30万人の市の市長になったら、「市長さんらしく」見えるのだろう。
もう一つは、団体が自立すると、その団体は、その条件の中で立派に運営していくということである。日本の市とアイスランドを比べなくても、日本の県は人口や経済力では、ヨーロッパの中規模国と同じくらいだ。スウェーデン、オーストリアだって、大阪府くらいだから。
国による保護をやめれば、それぞれの地域は立派に生きていく。ヨーロッパの国々が立派に国を運営しているのに、日本人ができないはずがない。万が一、失敗しても、それはその地域の人たちの責任だ。しかも、条件が悪い北欧の国だって特色ある国をつくっているし、日本の分権は、独立しようなどと言っていないのだから。
保護国側の言い分は、「その地域は、まだ、自分たちで運営するだけの能力がない」である。植民地・保護領の独立と、分権は似ている。いずれも、地域が自立を求めるのに、保護者が「まだまだ」という。既得権を失いたくないからだろう。権限も渡さずに「能力がない」というのは、子供にボールを触らせず、「おまえはまだボールを蹴れないから」と言っているようなものだ。最初は下手でも、触っているうちに上手になる。
いすは人をつくる。自立は地域をつくる。(この項、8月6日)
7月15日(土曜日)
(日本へ)
朝の4時に起きて、5時にホテルを出発。7:40の飛行機でパリへ。なぜか、こんな早朝になる。たぶんこれが、アイスランドにとって便利なのだろう。
パリで、昼食などを取って時間待ちをする。19:40発、実際には20:00発の飛行機で、成田へ。
機内で食事をしながらテレビを見ると、ニュースでサンクトペテルブルグ・サミットを報道している。飛行機は、ちょうどフィンランドからサンクトペテルブルグの近くを飛んでいる。この下でやっているんだ。もっとも、現地時間は夜のはず。東へ向かう飛行機は、進行方向に向かって左側の窓、北極よりは、夕日の雲が続いている。右側の窓、南の大陸は夜。パソコンに向かい、こつこつとこの原稿を書いている。
(道中の暮らし)
久しぶりの海外旅行だったが、まずは快適に過ごせた。
機内では長袖シャツのノーネクタイ、すなわちクールビズで過ごす。ネクタイなしでも、失礼でなくなったのがありがたい。もっとも、日本人の間の話だが。長袖シャツは冷房対策。私は、国内を新幹線で移動する際もそうしている。
お金は、例によって現金を使わず。両替もせず。ホテルでの支払い、ちょっとした記念の品だけ。これはカードですませるのが便利。
ティップは、家にあったユーロの小銭を持ってきて使った。イギリスはユーロに加盟せず、ポンドだけど。ロンドンのホテルで、シャンプーが置いてなかった。翌朝「シャンプーください」と英語で書いて、ユーロのコインを置いておいたら、ちゃんとコインはなくなっていた。シャンプーは、ホテル用のあの小さいのが、4つも置いてあった。
必需品が、体洗いのメッシュのタオル。ホテルのタオルは分厚すぎて、体を洗うようにはできていない。これまでの旅行でも持って行くのだが、必ずホテルに忘れてきた。ソウル、パリなどなど。風呂に入ったあと干しておいて、翌朝出発時に鞄に入れるのを忘れる。次のホテルで気がつくが、その時は遅い。今回は、無事なくさなかった。まあ、忘れてもたいしたものではないが、その後が不便なのと自分の注意散漫に腹が立つ。
インターネットは、さらに使いやすくなった。パリでは、電話回線で海外ローミングを使った。ロンドンでは、ラン回線端末があって、差し込むとホテルのHPにつながり、そこからインターネットに入れる。1分50ペンス=約100円。電話回線(市内通話)も同額だが、スピードが違う。一日中つないでおくと、20ポンド=4,000円。
レイキャビックのホテルは、ラン回線端末があって、これは無料だった。空港のビジネスラウンジには、パソコンが何台か置いてあって、インターネットが自由に使える。出発までの時間待ちにこれはいいと座ったが、私のHPを始め、NHKのページも開けない。正確には、日本語のページが開けない。「言語に対応するブラウザがない」との表示がでる。「次のうちから選べ」と表示が出て「Japanese」選ぶが、対応できないらしい。何度か試みて開くと、ほとんどが文字化けしている。
もちろん、NHKインターナショナル(英語ページ)は開くことができる。そうなんだ。インターネットは国境をなくすというが、世界言語は英語なんだ。BBCとCNNは、私たちもお世話になる。しかしそれは、英語だからだ。
(電話は嫌い)
議員の多くは、海外でもつながる携帯電話を持ってきた。せっかくの海外なので、私は持ってこなかった。私は電話は大嫌い。できれば電話のない国に行きたいと、いつも思っている。こちらからかけるのは仕方ないとして、こちらが何かしているときに突然かかってくる電話は、身体に悪い。しかも、そのような電話は良い話でなく、緊急の用件か悪い話が多い。だから、出たくない。
アイスランドでパソコンを開くと、本省からのメールで「異動内示をするので、できるのなら次の時間帯で官房長に電話するように」との指示が来た。時差もあるし、早く聞いてどうなるものでもないと思い、「帰国してから受けて良いですか」と返事をしておいたら、「本人が良いのなら、それでよい」と返事が来た。
日曜日に日本に着き、月曜日は海の日でお休み。火曜日に出勤して、官房長に帰国の報告をしたら、その週の金曜日付での内閣府官房審議官への異動を告げられた。
総務課長の仕事は、しんどいけれどおもしろい仕事。まだまだ続けたかったが、総務課長2年半、通常国会3回は、総務省だけでなく各省を見渡しても、前例のない長さらしい。いつかは、後輩に譲らなければね。

長期推計の検証

5日の日経新聞「けいざい新景、キーデータ=政策3」は、医療費の長期推計を振り返っていました。2025年度の国民医療費が、どれくらいになるかの推計値です。1994年に見積もったときは、141兆円でした。それが、97年に見積もると104兆円になり、2000年では81兆円、05年には65兆円と下方修正されました。10年ほどの間に、半分以下になっています。
この間に、97年にはサラリーマンの負担を1割から2割に引き上げ、03年には3割に引き上げました。2000年には、介護保険も導入しました。予測値の減少は、このような改革によるものと考えられます。
一方、記事では、「そもそもの推計が過大であったのではないか」という見方も載せています。すなわち、将来の医療費を大きく見積もることで、国民に負担増の理解を得やすくしたのではないかという批判です。
いずれにしろ、その時々のニュースを報道するだけでなく、このような過去を振り返っての検証は、良い記事ですね。(5月7日)
6月30日の読売新聞論点は、村松岐夫教授の「政策自己評価」でした。これについての私の考えは、また別の日に述べましょう。(7月3日)
読売新聞の連載「教員採用の現場」の27日も、興味深かったです。単に事実を図表にしただけですが、大阪府の公立小学校教諭の年齢構成(ピラミッド)を男女に分けて示しています。
見ると、びっくりします。ピラミッドでもなく、提灯型でもなく、ハンマー型と言ったらいいのでしょうか。男子のピークは54歳、女子のピークは52歳です。そして、一番少ない=くびれているのが41歳です。そこから上は、提灯型です。ここまでで、年齢では約半分です。しかし、そこから下は細いままです。私は、これを極めていびつな年齢構成だと思います。皆さんは、どう思われますか。ぜひ、この図を見てください。
子供たちの人数は、6年先まではほぼ予測できます。外国人が増えない限り、また転入者が多くならない限り、1歳の赤ちゃんが6年後に小学生になるのです。その子供は、6年後には中学生になり、3年後に高校生になります。私学と他府県への移動を除けば、学校の「お客さんの数」は、ほぼ予測できます。
それでも、こんな採用をしていたのです。でも、誰も責任を取らないのでしょうね。公務員=責任を取らない。教育委員会=住民に責任を負っていない、です。少し過激とは思いますが、問題を提起しておきます。反論をお待ちしています。
31日の朝日新聞社説は、市場化テストについて書いていました。市場化テスト、法律名は「公共サービス改革法」は、内閣府経済財政政策担当の所管なのです。もっとも、私の担当ではありませんが。簡単な解説は「公共サービス改革法の概要」をご覧ください。
地方団体では、指定管理者制度が進んでいます。官が行っている事務について、官と民とを競わせる・民と民とを競わせる点で、共通しているところがあります。もっとも、いろんな点で違っています。
このほか、規制改革も所管しています。官から民へは、「新地方自治入門」でも主要なテーマとして取り上げましたし、行政論でも取り上げています。勉強したいと思っていたので、よいチャンスをいただきました。二つの制度の比較など、追って勉強の成果を載せたいと思っています。(7月31日)
31日の日経新聞教育欄は、福井秀夫教授の「教育委員会制度見直し。学校改革主導、首長に権限」を載せていました。私が常々取り上げている、教育委員会制度の無責任状態(例えば「新地方自治入門」p71以下)を、わかりやすく解説しておられます
31日の毎日新聞は、BBC(英国放送協会)の改革論議を、取り上げていました。先月訪問してきたばかりです。写真を見て「あっ、この建物だった」。私は記念撮影が嫌いなので、写真はありませんが。
この記事では、文化・メディア・スポーツ担当大臣が、BBCをNHS(国民健康保険制度)と並ぶ、英国の公共的財産とたたえています。私も納得します。このような評価は、重要ですね。日本の評価は、お金ばかりですもの。
BBCは、10年ごとに特許状が更新されます。かつての東インド会社も、そのような仕組みでした。この仕組みは、定期的に評価にさらされます。よほどのことがない限り、つぶされることはないのでしょうが、更新してもらうためには、自らを評価し、新たな目標を掲げなければならないでしょう。政府も、評価をします。このあたりは、国によって行政の手法が違い、興味深いですね。
BBC改革に際しては、公共的価値とは何かが議論され、NHK改革の規制緩和という観点とは、違っているようです。イギリス政府が出した白書では、BBCの目的を「市民権・市民社会の維持」「教育・学習活動」「文化の創造活動」「英国や各地方の代表としての活動」「英国を世界に伝える」「デジタル・ブリテンの建設」を挙げているとのことです。
拙著「新地方自治入門」では、地域の財産という観点から、地域の価値や行政手法を広く論じました。そのような観点からは、今回もいろんなことを学びました。いずれ、まとめて、お知らせしたいと思っています。
私たちが勉強した、ウエッブサイトの充実や正確な報道についても、書かれていました。

社会と政治6

6月30日に、2005年の国勢調査抽出速報が出ました。ポイントは、65歳以上人口が21.0%と世界最高になり、15歳未満は13.6%と世界最低になったことです。未婚者も増え、20代後半の未婚率は男73%、女60%、30代前半でも男48%、女33%です。1世帯あたりの人数は2.6人ですが、半分が一人暮らしか夫婦だけの世帯です。1日付け日経新聞など。また、1日の日経新聞には、人口推計の見直しの記事がありました。これまでの推計と実際とのズレが、表になって載っています。(7月2日)
書き忘れていたことですが、6月8日の朝日新聞で、山室信一教授と樋口陽一教授が「国家とは何か」を議論しておられました。どんな国家像を持つべきかなど、興味深いものでしたが、そこでもう一つの指摘が重要でした。「2004年の登録外国人は約197万人で、県別人口21位の岡山県の人口より多い。また、海外在留日本人数は96万人を超え、永住者は30万人を超える」。(7月2日)
4日の朝日新聞「政態拝見」は、「司法制度改革、政治を変え民主主義深める」でした。
「・・司法改革は法の世界にとどまらず、政治改革や民主主義の深化と不可分の関係にあるということだ。5年前の意見書もこう宣言していた。司法制度改革は、政治改革、行政改革、規制緩和等の経済構造改革といった様々な改革を、『法の支配の下に有機的に結び合わせようとするもの』である。それは、諸改革の『最後のかなめ』なのだ、と。」
「法と政治の密接な関係をわかりやすく示すのは、2009年までに導入される裁判員制度だろう。・・お上にお任せから、責任ある統治主体へ。様々な改革は、私たちに脱皮を求める」(7月4日)
日本経済新聞は「会社とは何か」の連載を続けています。27日は「官をしのぐ社会性」でした。うどんチェーンが支援する私鉄、企業が経営する区立保育園などの例が挙がっていました。私も、この主張には賛成です。
もっとも、これらの例は、そんなに代表例ではありません。そもそも、日本の近郊公共輸送機関は、私鉄と私営バスです。学校・保育園でも私学は多いのです。拙著「新地方自治入門」p219で、病院、学校、古紙回収を例に説明しました。サービスの供給主体が官か民かと、サービス内容が公か私かとは、別の話なのです。
でも、これまでの財政学や公共経済学、行政学の教科書は、そのあたりを明確に書いていません。だから、日経新聞の記者でもこんな記事を書き、それが紙面を飾るのでしょう。記者を責めるのは、酷なのかもしれません。
今、日本の社会や行政は、大きく変化しつつあります。それが、このような記事でもわかります。