一橋での講義は、4回目まで進みました。受講生は、合計30人になりました。今年の講義は、具体事例として三位一体改革から入りました。昨年は、行政の問題について全体の構図から話したのですが、今年のやり方の方が、受講生にはわかりやすいようです。もっとも、話す私の方は、全体像を念頭に置きながら、しゃべっているのですが。
月別アーカイブ: 2006年5月
9連休
休みって、あっという間ですね。天候が良かったので、皆さん楽しめたのではないでしょうか。9日もあると思っていたのに、もう明日からお勤め。早速、参議院行革特別委員会です。
私は、一橋大学院の準備はしましたが、原稿「続・三位一体改革」は完成せず。どころか、まだ3分の1しか進んでいません。結構難渋しています。とほほ。でも、長年放置してあった大量の本を、整理できました。もっとも、新しい書斎への収納はこれからです。その他、親孝行を少しと、仲人のまねごともしました。奥さんのお供をして、スーパーの買い物にもついていきましたし。ゆっくりとできたことで、良しとしましょう。
9連休
休みって、あっという間ですね。天候が良かったので、皆さん楽しめたのではないでしょうか。9日もあると思っていたのに、もう明日からお勤め。早速、参議院行革特別委員会です。
私は、一橋大学院の準備はしましたが、原稿「続・三位一体改革」は完成せず。どころか、まだ3分の1しか進んでいません。結構難渋しています。とほほ。でも、長年放置してあった大量の本を、整理できました。もっとも、新しい書斎への収納はこれからです。その他、親孝行を少しと、仲人のまねごともしました。奥さんのお供をして、スーパーの買い物にもついていきましたし。ゆっくりとできたことで、良しとしましょう。
2006.05.05
4日の日経新聞社説は、「活力ある成熟国をめざして2、分権進め地域が成長を競う時代に」でした。
「潜在力発揮へ道州制を」「経済のグローバル化や人口減少社会の到来など、地域経済を取り巻く環境は厳しい。しかし悲観することはない。全国を東北、関東などブロック単位でみればそれぞれ欧州一国並みの経済規模や人口がある。」
「各地域の潜在力はもともと大きいが、それを生かし切れなかった背景には中央省庁による画一的な経済振興策があった。国土の均衡ある発展を掲げた全国総合開発計画も公共事業への地方の依存体質を強め、かえって地方経済の足腰を弱めた。
地域経済を立て直すには経済振興策の権限を全面的に地方に移し、補助金も廃止して税源移譲する必要がある。インフラ投資も地方に委ねれば、類似施設を幾つも造るような無駄は許されなくなる。政府の地方制度調査会が2月末に道州制導入を答申したが、道州制に移行すれば、経済産業省や国土交通省はほとんどいらなくなるだろう。道州制導入には時間がかかるが、景気が回復している今こそ、地域が競い合いながら独自の成長戦略を探る好機である。」
「特性いかし経済自立へ」「小規模な市町村の活性化も急務である。人口減少で集落の維持が難しい地域が増えるなど先行きは楽観できないが、生き残りのモデルは各地で芽生えている。」
「地域経済を復権するモデルは幾通りもある。自らにふさわしい姿を地元企業や住民が探り、中央から権限を移譲された自治体が側面支援してこそ、真に自立する道が開ける。」
残す・残さない
預けてあった本を、分類しながら考えました。それぞれに思い出のある本ですし、金を出したのですから、捨てるのはもったいない。かといって、とても収納できない。何を基準に捨てるか。世の中の読書家や蔵書家が、同じような悩みを書いておられたのを思い出します。その人たちに比べれば、私の分量はたいしたことはありません。
極端に言えば、これまで預けてあったのだから、なくても困らないのです。しかし、そこまでは割り切れませんでした。次の基準は、「これから見ることのない本は、まず捨てよう」です。もっとも、これも「ひょっとしたら見るかもしれない」という思いがかすめて、基準になりません。より具体的に基準を引かなければなりません。
次の基準は、「時代と社会・制度が変わって新しい本が出ているものは捨てる」です。これなら、ある程度捨てることができます。法律学経済学の教科書のたぐいは、これで処分。自然科学も、次々新しくなっているので、この際捨てる。
次に、同時代のルポルタージュは、「時代遅れ」になってます。その時は勉強になったのですが。自民党政権・官僚もの・中国ソ連分析・経済ものなど。歴史を振り返るには意味があるのですが、もう一度読み返すことはないでしょう。ただし、政治学行政学は私の専攻なので、「もういいや」というもの以外は残す。
文化人類学・世相ものは、悩みました。梅棹忠夫・加藤秀俊先生を代表とする京都大学人文研の先生方の本、松田道雄・清水幾太郎さんの本など、いくつかを残し処分。世相史として価値はあるのですがね。山本七平さんを代表とする日本人論も、いくつかを残しこの際処分。世界の民族学、ルポも思い切って処分。
小説は少ししか持っていないのですが(私の関心はノンフィクションなので)、2度と読まないだろうから捨てる。エッセイや寝る前に布団の中で読んだような軽いものは、今後も次々買うだろうから捨てる。指導者論・中国古典に学ぶのたぐいは、残す。新書はどうして良いか悩み、一部を捨ててひとまず東京へ送り、あとで整理する。これは問題の先送り。
こうして振り返ると、いろんな分野を読んできました。手を広げすぎ、良く言えば、いろんな学問分野に興味を持ったということですね。でも、それがあったからこそ、今の自分があるのだと思います。特に私の専攻からいうと、社会の中で行政を位置づける・考えるためには、これが必要だったのでしょう。