残す・残さない

預けてあった本を、分類しながら考えました。それぞれに思い出のある本ですし、金を出したのですから、捨てるのはもったいない。かといって、とても収納できない。何を基準に捨てるか。世の中の読書家や蔵書家が、同じような悩みを書いておられたのを思い出します。その人たちに比べれば、私の分量はたいしたことはありません。
極端に言えば、これまで預けてあったのだから、なくても困らないのです。しかし、そこまでは割り切れませんでした。次の基準は、「これから見ることのない本は、まず捨てよう」です。もっとも、これも「ひょっとしたら見るかもしれない」という思いがかすめて、基準になりません。より具体的に基準を引かなければなりません。
次の基準は、「時代と社会・制度が変わって新しい本が出ているものは捨てる」です。これなら、ある程度捨てることができます。法律学経済学の教科書のたぐいは、これで処分。自然科学も、次々新しくなっているので、この際捨てる。
次に、同時代のルポルタージュは、「時代遅れ」になってます。その時は勉強になったのですが。自民党政権・官僚もの・中国ソ連分析・経済ものなど。歴史を振り返るには意味があるのですが、もう一度読み返すことはないでしょう。ただし、政治学行政学は私の専攻なので、「もういいや」というもの以外は残す。
文化人類学・世相ものは、悩みました。梅棹忠夫・加藤秀俊先生を代表とする京都大学人文研の先生方の本、松田道雄・清水幾太郎さんの本など、いくつかを残し処分。世相史として価値はあるのですがね。山本七平さんを代表とする日本人論も、いくつかを残しこの際処分。世界の民族学、ルポも思い切って処分。
小説は少ししか持っていないのですが(私の関心はノンフィクションなので)、2度と読まないだろうから捨てる。エッセイや寝る前に布団の中で読んだような軽いものは、今後も次々買うだろうから捨てる。指導者論・中国古典に学ぶのたぐいは、残す。新書はどうして良いか悩み、一部を捨ててひとまず東京へ送り、あとで整理する。これは問題の先送り。
こうして振り返ると、いろんな分野を読んできました。手を広げすぎ、良く言えば、いろんな学問分野に興味を持ったということですね。でも、それがあったからこそ、今の自分があるのだと思います。特に私の専攻からいうと、社会の中で行政を位置づける・考えるためには、これが必要だったのでしょう。