舞鶴市役所若手有志勉強会

今日は、舞鶴市の若手職員勉強会に行ってきました。このグループは、拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」を、みんなで10回に分けて読んでくださったそうです。その人たちの手あかに汚れた=読み込んだ跡のある拙著に、サインを求められました。ありがたいですね。そして、今日、市役所のほかの職員や近隣の自治体職員に声をかけて、講演会を開催してくださいました。60人ほどの方が、土曜日の午後に集まって、熱心に聞いてくれました。
各地で、勉強意欲に燃えた職員、問題意識を持った職員、改革意欲を持った職員が増えていることは、うれしいですね。私も及ばずながら、応援させてもらいます。こういう人たちが増え、役場の中心に育ってくれると、間違いなく地方自治は変わるでしょう。今、進めている分権改革・三位一体改革は政府主導ですが、地方に自由度が増えたときに、現場でその自由度をムダにすることなく活用してくれるでしょう。
講演後の「質問ペーパー」も多く、全てに十分なお答えができませんでした。ごめんなさい。何度やっても、人前でしゃべることは難しいです。時間配分、笑いをとるところ、力を入れるところ・・。今日は特に聴衆が若く、年齢差を感じました。感想欄に、ある人は導入部で話した「『戦後60年の地方行政』は知っている話で退屈だった」と書いてあり、別の人は「あの部分がおもしろかった」と正反対の反応が書いてありました。全員を引きつけるのは、難しいですね。
img031
(追加)
昨日の講演会は、最初に主催者から私に対する10の問いで始まりました。公私にわたる質問を5秒で答えよ、というものです。場がすっかり和やかになりました。講演後には直ちに聴衆からの質問票が集められ、それへの回答をする、といったように、主催者は「なかなかの知恵者」でした。
主催者の人たちからメールが来ました。一部を転載します。
「今日の参加者は、我々の予想=50名前後をはるかに超え、77名でした」→話をしながら、えらい多いなあと思ってたんです。「ある職員が、『必ず講演会には眠たくなり、寝てしまうのに、今回の講演会は寝ることがなかった。良かった』と言っていました」→ありがとうございます。「『自らのサラリーの一部が、返すあてのない赤字国債であることなどへの絶望感と焦燥感を感じた』、ともらすメンバーの言葉を聴いて、思いを一にすると同時に、勉強会メンバーの心配をよそに、たくさんの若い連中が休日に足を運んでくれたことに希望と期待を感じ、今夜はさまざまな感情が交錯する夜となっています」→私の思いが伝わりましたかね。(9月4日)
先週末に行った「舞鶴市役所若手有志講演会」に関して、ある先輩から、「なんで、行ったの?」と聞かれました。「いやー、私の本を輪読してくださったのですよ」と答えたら、先輩曰く「そりゃ、いかなけりゃならんわな」。(9月5日)
img032

三位一体改革57

(時代錯誤)
27日のNHKニュースによると、「文部科学省は、不登校対策や学力向上など学校現場での教育環境の改善に向けた取り組みを直接、支援するため、小・中学校の校長の裁量で活用できる経費として、100億円余りの交付金を新たに創設することを決め、来年度予算の概算要求に盛り込むことになりました」
うーん・・、皆さんどう思われますか。そもそも市町村は、こんな支援を国に期待しているのでしょうか。(小学校は2.3万校、中学校は1.1万校あり)1校当たり、どれだけの金額になるのかは不明ですが、これくらいの金額なら市町村も捻出できます。地方団体は、教員給与費の2分の1国庫負担金2兆5千億円を要らないと言っているのです。このような数十万円の補助金を要望する市町村があれば、その団体は地方分権なんて言わない方が良いですね。
文科省は、もっと先にするべきことがあるでしょうに。地方団体が欲しいのは補助金ではなく、問題を解決する知恵や手法、アドバイスでしょう。
昨日紹介した山出市長会長の意見と、完全にずれています。地方の主張は、「基本的制度と結果の水準は国が決めて、実行は現場に任せてくれ」です。ところが文科省は「現場の個別運営に口出しをしたい」のです。小中学校は市町村立ではなく、「国立」なんですかね。
校長の裁量で使えるお金を渡すのなら、職員給与費を含め全ての運営費を、校長の責任と裁量で使えるようにしたらどうでしょうか。イギリスはそうなっているようです。(8月27日)
(知事会の行動)
27日のNHKニュースによると、「全国知事会は・・・3党のマニフェストについて『いずれも地方の声を真しに受け止め、地方分権改革が重要な柱として盛り込まれている』として、一定の評価はできるという認識で一致しました。ただ、今の三位一体の改革のあとの平成19年度以降の改革の進め方や地方交付税の確保のあり方などについては、具体性に欠けていたり、言及されていない部分もあるとして、来週30日の公示に先だって緊急声明を発表し、地方の声が反映されるよう引き続き、3党に働きかけていくことで一致しました」(8月28日)
29日の日本経済新聞は、「衆院選、郵政・年金に議論集中」「地方分権埋没、自治体が危機感」を書いていました。
「選挙の2大争点は郵政民営化と年金に絞られ、国と地方の税財政改革(三位一体改革)など地方政策は置き去りの感が否めないからだ。全国知事会は税財源移譲の拡大などを公約に盛り込むよう働きかけたが、『地方分権が郵政民営化に埋もれる』との懸念を払拭できないでいる」
「与党公約は3兆円の税源移譲を確約するだけで、政府方針の追認にとどまる。『分権改革の意思表示はあるが、具体論はわからない』と不満がくすぶる」「民主党の『約12兆円分の補助金を一括交付金に切り替える』との公約に対しても不安がでている。交付金は補助金より地方が自由に使えるが、省庁に配分権限を残しかねない」(8月29日)
(文部官僚、現場からの主張)
30日の読売新聞「論点」には、西尾理弘出雲市長が、「教育改革、地方の主体性尊重して」を書いておられました。
「教員給与費の半額を国がもつ義務教育費国庫負担金を地方へ移すことは、教育の分権を確立する重要な第一歩だと思う。憲法上の建前から、教員人件費は国が負担すべきだという議論もある。だが、憲法26条が規定する義務教育を受ける権利とは、あくまで基本目標を定めたものだ。この目標達成のため、国は地方の協力を得て財源を確保して義務教育の体制を整備する、と解釈すべきである。現実には、・・国の負担は3割程度で、地方の負担は7割に達する」
「この際、国はさらに財源を地方へ移して地方の自由度を高め、国の指導・助言の下、地方が切磋琢磨して義務教育の充実・発展を期すようにすべきである。そのためにも、知事や市長の義務教育行政への参画を認める必要がある・・・」
「文部科学省は・・・総額裁量制を導入した、だが、依然として文科省の財源配分の考え方に拘束されている。・・教育現場が、文科省に気兼ねせずに地域の特色を生かす教員配置を行えるようにする必要がある。文科省は『地方の主体性』を真に尊重すべきである」
「文科省は『地方に任せれば、教育格差が生まれる』と懸念する。だが、問題なのは、現行制度が公立学校を硬直化させていることだ。結局、公立中心の地方と、私立が台頭する都会との間で学力格差を広げている」
「義務教育の財源確保は国庫負担金の方が安定するとの議論もある。だが、文科省の国庫負担金の要求は、財政当局の査定で十分認められない歴史の繰り返しだったのではなかったか。地方への税源移譲と交付税で財源確保する方が安定的だと思う」
「私は、文部省OBで最初の自治体首長である。文科省の実績は評価するが、義務教育では知事や市長をもっと信頼し、名実ともに教育分権の確立に舵を切るべきである。むしろ、そうすることによって文科省は前向きの政策官庁として飛躍できる」
説得力ある主張です。少し長くなりましたが、引用しました(このような記事がインターネットで読めるようになればいいのですが)。
文科省の現役官僚は、西尾市長の主張に対しどのような反論をするのでしょうか。官僚のさみしいところは、それぞれは優秀なんですが、立場にとらわれて、全体的な視野に立った発言、国民の利益にたった発言をしないところです。たぶん、都合悪いことには反論はせずに、無視するのでしょうが。(8月30日)
31日の日経新聞夕刊では、「三位一体改革どうなるの」を中西晴史編集委員が解説しておられました。「半世紀以上前のシャウプ博士の指摘は、今も輝きを失っていない。・・当時との決定的な違いは、補助金廃止リストまでまとめた地方が中央省庁を追いつめていることだ。相手が不要だという補助金を『必要だ』と強弁して受け取らせようというのは、嫌がる馬の水を飲ませるようなもので、納税者の支持は得られまい」(8月31日)
31日の朝日新聞「9.11総選挙、何が論点」は、義務教育改革で、八代尚宏さんと藤田英典さんのインタビューが載っていました。
八代さんの主張は明快です。「国による画一的な教育から、人々のニーズに応じた弾力的で多様な教育へと転換している。規制改革と地方分権化は小泉構造改革の両輪だ。文部科学省は『教育は大事だから国が決める』というが、大事だからこそ、保護者や子供ら教育サービスの利用者、自治体の声に従うべきだ」
「国が義務教育の水準を定めて、自治体にきちっと義務づける。それをどのような手段で達成するかは自治体の裁量に委ねるべきだ。国は地方交付税で財源を確実に手当てしさえすればよい。財政難で地方交付税が削られる恐れがあるというが、教育や福祉のミニマム(最低)保障は最優先、とすればよい話だ」
「(他の点で各党の政策は)事前規制を緩和するかわりに、その質を保障するための事後評価が不可欠になるという視点が不十分だ。・・・国で評価方法を一律に決めることは疑問だ。むしろ、学校ごとに保護者や地域住民、退職教員らで第三者評価委員会をつくり、徹底的な情報公開を求め、自分たちで考えた指標で学校を評価し、提言するといった案もある。要は国任せの発想からどう脱却するかだろう」
「教育は大事だと言われながら、教職員組合しか利益代表がないだけに、政治家からは票にならないと見られていた。だが、今回の選挙は郵政民営化を契機として業界団体との結びつきを断ち、利権政治から脱皮するチャンスだ。成功すれば、今後の選挙では、不特定多数の人が関心を持つ教育政策が、より重視されるのではないか」
藤田さんの主張は、(教員の給与の3分の1を国が持つことをやめれば) 地域や家庭の格差が広がるというものです。でも、今回の改革は、教員の数を減らそうと言ってませんよね。
「一括交付金の提案は・・・外部委託や民営化が広がり、教育の質の劣化を招く」とも主張しておられます。既に、公立学校の教育に不満を持つ親は、塾に行かせるという「外部委託」を実行し、私学に通わせるという「民営化」を選択しています。これは文部官僚も含めてです。
このHPで何度も批判しているように、教員の給与財源と教育の質を混同する(すり替える)主張は私には理解できないので、これ以上は紹介しません。(8月31日)
8月31日に地方6団体が、「平成18年度予算概算要求に関する共同声明」を出しました。
「我々地方六団体は、政府の要請に基づき、・・昨年提出した地方の改革案に引き続き、平成18年度の政府の概算要求に反映できるよう、7月20日に「国庫補助負担金等に関する改革案(2)」を提出したが、これらの国庫補助負担金改革が、概算要求に反映されていないことは、誠に遺憾である」
「とりわけ義務教育費国庫負担金については、平成16年11月26日の政府・与党合意において、税源移譲額2.4兆円の内数として、地方の改革案どおり8,500億円を税源移譲の対象とするとされているにもかかわらず、文部科学省は、平成17年度暫定措置4,250億円を復元し、国庫負担率2分の1とした約2兆5千億円を要求した。このような概算要求は、地方の改革案に反するのみならず、政府の一員として当然尊重し守るべき政府・与党合意を全く無視したものである」
「また、その他の国庫補助負担金についても、各省庁は、地方分権改革の意義を理解せず、国庫補助負担金の一般財源化を行うことなく、依然として国に権限と財源を残すため、交付金化や統合化している」
この主張の通りです。官僚の一人として、各省の行動に恥ずかしくなります。(9月1日)

経済財政2

9月1日の新聞から。
朝日新聞朝刊「中央省庁『架空予算』80例超す」「3年以上にわたり要求通りに使われた実態が全くなかったり、計上額課題だったりしたものが大半の省庁で見つかり、公表分だけで80例を超えた。・・ずさんな予算要求と財務省の査定の甘さが露呈した格好だ」「経産省は産業育成名目の物産展に3年間で23億円の予算を計上したが2割が使われず余っていた、財務省も「財政投融資問題研究会」を作る予定で年2,600万円程度を計上したが、結局は設置せず海外の財政制度の調査などに充てていた」
日経新聞夕刊「政治裏表。公用車」の各省別保有公用車数。「財務省686台、国交省565台、防衛庁428台、法務省254台、厚労省198台、農水省139台、経産省116台、内閣府87台、総務省78台・・・」
本日は記事の紹介だけで、コメントなし。ただし、例として今年度の予算査定の方針を紹介しておきます。「平成17 年度予算の概算要求に当たっての基本的な方針について」(平成16年7月30日、閣議了解)
「・・・このため、従来にも増して、歳出全般にわたる徹底した見直しを行い、歳出の抑制と所管を越えた予算配分の重点化・効率化を実施する・・・」(9月1日)
先日紹介した「中央省庁の架空予算」は、2日の読売新聞も「架空予算など95件118億円、12府省庁で昨年度」として報道していました。(9月3日)
3日の日経新聞は、「予算のムダ110億円』として、内容を「執行実績なし」「過大計上」「流用」に分けて整理して説明していました。(9月4日)
やや小ぶりですが、金利の話を拾っておきます。私は、経済成長が大きくなっても財政赤字は解消しない。税収増より国債の利払いの増の方が大きくなるから、と主張しています(拙著「地方財政改革論議」p25、「新地方自治入門」p121)。
産経新聞1月3日の「主張」は、次のように書いていました。「やっと日本も『普通の経済』に戻ることになる。だが、ぬか喜びしてはいけない。長期金利はゼロどころか、いつ急上昇してもおかしくない環境にある」
「財政が悪化すれば通常、国債を基準とする長期金利は上昇する。資金が公的部門に吸収されるからで、『財政信認』が揺らげば上乗せ金利もつく。普通なら日本は二ケタでも不思議ではない。それがなぜいま1%台なのか。量的緩和の間接的効果と資金運用先のない銀行、日銀が国債を大量に買い支えてきたからである。普通の経済に戻ると、この構図は一変しよう・・・。利払い費の増加で、財政も雪だるま式に悪化する」。
4日の朝日新聞は、昨年末の経済財政諮問会議で、長期金利より名目経済成長率を高めに見通している政府見解について、議論があったと伝えています。その当否はさておき、政府見通しでも(記事にグラフがついています)、今後、長期金利は名目成長率と歩調を合わせて上昇するとなっています。(2006年1月4日)
(経済成長による増収と歳出増)
25日の日経新聞は、財務省が長期金利上昇に伴う国債の元利払い費(国債費)の増加額が、税収額の伸びの2~3倍に達するとの中期試算をまとめた、と伝えていました。試算では、名目成長率と長期金利を2%と設定し、それぞれが3~5%に上昇した場合を見積もった。1%上昇すると、税収は5千億円の増、国債費は1兆5選億円の増。2009年度に名目成長率が5%になると、税収は5兆1千億円の増、国債費は12兆5千億円の増となる。
常々、私が主張していることですが、当たり前のことですよね。このほかにも、実質的に名目経済成長率に連動している経費も多いです。年金や職員給与費などです。(1月25日)
日経新聞経済教室が、財政再建の道筋を連載しました。24日は、ペロッティさんの「歳出減で景気拡大も」「増税効果は一時的、強いリーダーシップ重要」、25日は中里透先生の「歳出削減に重点を」「改革が継続的に。増税先行、不要な事業温存」でした。(1月25日)
(訂正・景気回復と財政再建)
景気回復と財政再建に関しての私の主張について、誤りだとの指摘を受けました。指摘の通りですので、ここで訂正します。
私の主張は、「名目成長率が1%高まると、税収は40兆円の1%強、約4千億円増える。一方、国債の新規発行と借り換えが、年間150兆円。金利が1%上昇すると、国債費(金利払い)は、1兆5千億円増加する。その差は約1兆円。金利と名目成長率が高まるほど、この差は広がる。これでは、財政再建どころか破綻する」という内容です(ここでは租税弾性値を無視し、より簡単な形で示しました。場所によっては、少し違った説明をしています)。
指摘は、「金利払いの増加は各年度1%分1.5兆円だが、税収増は累乗になるので、長期ではこの考えは成り立たない」というものです。その通りですね。次の年(2年目)は、利払いの増加は1.5兆円(現在を基準にとっての増加分。以下同じ)であるのに対し、税収増は、40兆円×1.01×1.01=40.8兆円で0.8兆円です。以後、税収増は、3年目は1.2兆円。4年目は1.6兆円です。ここで、金利の増加分を上回ります。
拙著「新地方自治入門」p120では、「10%の成長で租税弾性値が1.2なら5兆円の税収増になり、これが6年間続けば、約30兆円の赤字国債は出さなくてすむ」と書きました。これも累乗を無視しているので、それを入れれば5年で約30兆円の増収になります。うーん、でも1年しか縮まらないのか。もっとも、この記述は「日本に10%の経済成長は無理だ」という文脈です。
同書p121と「地方財政改革論議」p25では、単年度として議論してありますので、間違いではありませんが、ここももう少し丁寧に書く必要がありますね(反省。ご指摘ありがとうございました)。(2月14日)
(公共事業費の抑制)
17日の日経新聞は、公共事業をGDP比で削減目標を立て、欧米並みに抑制するという、財務省の考えを伝えていました。公共事業費(施設費を除く)のGDP比は、日本はかつて5%近かったものが3.4%まで減ったとのことです。もっとも、欧米先進国(英米独仏)では0.5~1.3%なので、まだ3倍もやっています。
かつて拙著「地方交付税」p255で、社会資本整備を解説したことを思い出しました。そこに、概念の整理がしてあります。公共事業は、公共投資のうち施設整備費を除いたものです。公共投資とは、国・地方公共団体・公社公団の行う投資的事業(後に形が残り、効果が長期間続くもの)です。国民経済計算では、「公的固定資本形成」という数字がありますが、これは公共投資から用地費と補償費が除かれます(富の移転であって増加ではないので)。なお、国庫補助事業は、最終支出者である地方団体分として計算されます。
その記述から拾うと、1990(平成2)年の国民総支出は437兆円。うち公的支出が68兆円、そのうち公的固定資本形成は28.6兆円でした。地方公共団体分は21.9兆円、約8割が地方団体によります。これに用地費等を加えると、公共投資額は33兆円と推計されます。これを書いたのは、国が公共投資基本計画を定め、平成3年から10年間で430兆円の公共投資を行うと決めた頃でした。
また、「地方財政改革論議」p29では、1996(平成8)年の政府支出の国際比較を書いています。日本の公的資本形成がGDP比で7.7%であるの対し、欧米各国が1.4~3.1%でした。これを書いたのは、「骨太の方針2001」が出て、歳出削減対象として、公共事業・社会保障・地方財政が取り上げられたときでした。国の公共事業費は2002年度に10%削減され、その後も3~4%削減が続いています。地方単独事業は計画額・実績額とも、もっと大きく減っています。
こう書いてみて、時代が大きく変わったことを、改めて感じますね。拙著を読み返してみて、こんなことも書いていたんだと、すっかり忘れていたことにも驚きます。それでも、よく書いておいたものです。(2月18日)
9日の日経新聞経済教室は、大田弘子教授の「世代間の公平、議論を」でした。現在の財政政策では、世代間で大きな格差が生じます。あとから生まれた人ほど、負担が大きいのです。私も、「新地方自治入門」p115などで、この不公平を解説しました。「私たち公務員の給料は、子や孫が払っている」「究極の幼児虐待」とも説明しています。(5月9日)
11日の日経新聞経済教室は、井堀利宏教授の「健全化、利点に着目を」「先手打ち痛み軽減、受益者もコスト意識持て」でした。「残念ながら、現実の財政運営では、これまで現在世代の負担増となる財政再建策は先送りされ、その分だけ財政赤字の形で将来世代の負担増に回される傾向が見られる」(5月11日)
19日に、国内総生産(GDP)速報値が発表されました。1~3月期は、前期比で実質で0.5%増、2005年度の実質経済成長率は3.0%増でした。着実に、景気は回復しています。
もっとも、財政担当者は名目値に関心があります。生活者としては、物価の変動を除いた実質値に関心があります。いくら名目値(給料)が上がっても、物価が上がっていては、生活は良くなりません。しかし、税収は実質値でなく、名目値に連動して増減します。名目値で見ると、1~3月期は0.0%増、2005年度は1.7%増です。(5月21日)