(時代錯誤)
27日のNHKニュースによると、「文部科学省は、不登校対策や学力向上など学校現場での教育環境の改善に向けた取り組みを直接、支援するため、小・中学校の校長の裁量で活用できる経費として、100億円余りの交付金を新たに創設することを決め、来年度予算の概算要求に盛り込むことになりました」
うーん・・、皆さんどう思われますか。そもそも市町村は、こんな支援を国に期待しているのでしょうか。(小学校は2.3万校、中学校は1.1万校あり)1校当たり、どれだけの金額になるのかは不明ですが、これくらいの金額なら市町村も捻出できます。地方団体は、教員給与費の2分の1国庫負担金2兆5千億円を要らないと言っているのです。このような数十万円の補助金を要望する市町村があれば、その団体は地方分権なんて言わない方が良いですね。
文科省は、もっと先にするべきことがあるでしょうに。地方団体が欲しいのは補助金ではなく、問題を解決する知恵や手法、アドバイスでしょう。
昨日紹介した山出市長会長の意見と、完全にずれています。地方の主張は、「基本的制度と結果の水準は国が決めて、実行は現場に任せてくれ」です。ところが文科省は「現場の個別運営に口出しをしたい」のです。小中学校は市町村立ではなく、「国立」なんですかね。
校長の裁量で使えるお金を渡すのなら、職員給与費を含め全ての運営費を、校長の責任と裁量で使えるようにしたらどうでしょうか。イギリスはそうなっているようです。(8月27日)
(知事会の行動)
27日のNHKニュースによると、「全国知事会は・・・3党のマニフェストについて『いずれも地方の声を真しに受け止め、地方分権改革が重要な柱として盛り込まれている』として、一定の評価はできるという認識で一致しました。ただ、今の三位一体の改革のあとの平成19年度以降の改革の進め方や地方交付税の確保のあり方などについては、具体性に欠けていたり、言及されていない部分もあるとして、来週30日の公示に先だって緊急声明を発表し、地方の声が反映されるよう引き続き、3党に働きかけていくことで一致しました」(8月28日)
29日の日本経済新聞は、「衆院選、郵政・年金に議論集中」「地方分権埋没、自治体が危機感」を書いていました。
「選挙の2大争点は郵政民営化と年金に絞られ、国と地方の税財政改革(三位一体改革)など地方政策は置き去りの感が否めないからだ。全国知事会は税財源移譲の拡大などを公約に盛り込むよう働きかけたが、『地方分権が郵政民営化に埋もれる』との懸念を払拭できないでいる」
「与党公約は3兆円の税源移譲を確約するだけで、政府方針の追認にとどまる。『分権改革の意思表示はあるが、具体論はわからない』と不満がくすぶる」「民主党の『約12兆円分の補助金を一括交付金に切り替える』との公約に対しても不安がでている。交付金は補助金より地方が自由に使えるが、省庁に配分権限を残しかねない」(8月29日)
(文部官僚、現場からの主張)
30日の読売新聞「論点」には、西尾理弘出雲市長が、「教育改革、地方の主体性尊重して」を書いておられました。
「教員給与費の半額を国がもつ義務教育費国庫負担金を地方へ移すことは、教育の分権を確立する重要な第一歩だと思う。憲法上の建前から、教員人件費は国が負担すべきだという議論もある。だが、憲法26条が規定する義務教育を受ける権利とは、あくまで基本目標を定めたものだ。この目標達成のため、国は地方の協力を得て財源を確保して義務教育の体制を整備する、と解釈すべきである。現実には、・・国の負担は3割程度で、地方の負担は7割に達する」
「この際、国はさらに財源を地方へ移して地方の自由度を高め、国の指導・助言の下、地方が切磋琢磨して義務教育の充実・発展を期すようにすべきである。そのためにも、知事や市長の義務教育行政への参画を認める必要がある・・・」
「文部科学省は・・・総額裁量制を導入した、だが、依然として文科省の財源配分の考え方に拘束されている。・・教育現場が、文科省に気兼ねせずに地域の特色を生かす教員配置を行えるようにする必要がある。文科省は『地方の主体性』を真に尊重すべきである」
「文科省は『地方に任せれば、教育格差が生まれる』と懸念する。だが、問題なのは、現行制度が公立学校を硬直化させていることだ。結局、公立中心の地方と、私立が台頭する都会との間で学力格差を広げている」
「義務教育の財源確保は国庫負担金の方が安定するとの議論もある。だが、文科省の国庫負担金の要求は、財政当局の査定で十分認められない歴史の繰り返しだったのではなかったか。地方への税源移譲と交付税で財源確保する方が安定的だと思う」
「私は、文部省OBで最初の自治体首長である。文科省の実績は評価するが、義務教育では知事や市長をもっと信頼し、名実ともに教育分権の確立に舵を切るべきである。むしろ、そうすることによって文科省は前向きの政策官庁として飛躍できる」
説得力ある主張です。少し長くなりましたが、引用しました(このような記事がインターネットで読めるようになればいいのですが)。
文科省の現役官僚は、西尾市長の主張に対しどのような反論をするのでしょうか。官僚のさみしいところは、それぞれは優秀なんですが、立場にとらわれて、全体的な視野に立った発言、国民の利益にたった発言をしないところです。たぶん、都合悪いことには反論はせずに、無視するのでしょうが。(8月30日)
31日の日経新聞夕刊では、「三位一体改革どうなるの」を中西晴史編集委員が解説しておられました。「半世紀以上前のシャウプ博士の指摘は、今も輝きを失っていない。・・当時との決定的な違いは、補助金廃止リストまでまとめた地方が中央省庁を追いつめていることだ。相手が不要だという補助金を『必要だ』と強弁して受け取らせようというのは、嫌がる馬の水を飲ませるようなもので、納税者の支持は得られまい」(8月31日)
31日の朝日新聞「9.11総選挙、何が論点」は、義務教育改革で、八代尚宏さんと藤田英典さんのインタビューが載っていました。
八代さんの主張は明快です。「国による画一的な教育から、人々のニーズに応じた弾力的で多様な教育へと転換している。規制改革と地方分権化は小泉構造改革の両輪だ。文部科学省は『教育は大事だから国が決める』というが、大事だからこそ、保護者や子供ら教育サービスの利用者、自治体の声に従うべきだ」
「国が義務教育の水準を定めて、自治体にきちっと義務づける。それをどのような手段で達成するかは自治体の裁量に委ねるべきだ。国は地方交付税で財源を確実に手当てしさえすればよい。財政難で地方交付税が削られる恐れがあるというが、教育や福祉のミニマム(最低)保障は最優先、とすればよい話だ」
「(他の点で各党の政策は)事前規制を緩和するかわりに、その質を保障するための事後評価が不可欠になるという視点が不十分だ。・・・国で評価方法を一律に決めることは疑問だ。むしろ、学校ごとに保護者や地域住民、退職教員らで第三者評価委員会をつくり、徹底的な情報公開を求め、自分たちで考えた指標で学校を評価し、提言するといった案もある。要は国任せの発想からどう脱却するかだろう」
「教育は大事だと言われながら、教職員組合しか利益代表がないだけに、政治家からは票にならないと見られていた。だが、今回の選挙は郵政民営化を契機として業界団体との結びつきを断ち、利権政治から脱皮するチャンスだ。成功すれば、今後の選挙では、不特定多数の人が関心を持つ教育政策が、より重視されるのではないか」
藤田さんの主張は、(教員の給与の3分の1を国が持つことをやめれば) 地域や家庭の格差が広がるというものです。でも、今回の改革は、教員の数を減らそうと言ってませんよね。
「一括交付金の提案は・・・外部委託や民営化が広がり、教育の質の劣化を招く」とも主張しておられます。既に、公立学校の教育に不満を持つ親は、塾に行かせるという「外部委託」を実行し、私学に通わせるという「民営化」を選択しています。これは文部官僚も含めてです。
このHPで何度も批判しているように、教員の給与財源と教育の質を混同する(すり替える)主張は私には理解できないので、これ以上は紹介しません。(8月31日)
「我々地方六団体は、政府の要請に基づき、・・昨年提出した地方の改革案に引き続き、平成18年度の政府の概算要求に反映できるよう、7月20日に「国庫補助負担金等に関する改革案(2)」を提出したが、これらの国庫補助負担金改革が、概算要求に反映されていないことは、誠に遺憾である」
「とりわけ義務教育費国庫負担金については、平成16年11月26日の政府・与党合意において、税源移譲額2.4兆円の内数として、地方の改革案どおり8,500億円を税源移譲の対象とするとされているにもかかわらず、文部科学省は、平成17年度暫定措置4,250億円を復元し、国庫負担率2分の1とした約2兆5千億円を要求した。このような概算要求は、地方の改革案に反するのみならず、政府の一員として当然尊重し守るべき政府・与党合意を全く無視したものである」
「また、その他の国庫補助負担金についても、各省庁は、地方分権改革の意義を理解せず、国庫補助負担金の一般財源化を行うことなく、依然として国に権限と財源を残すため、交付金化や統合化している」
この主張の通りです。官僚の一人として、各省の行動に恥ずかしくなります。(9月1日)