カテゴリーアーカイブ:社会

日本人は沈黙に強い?

2026年3月23日   岡本全勝

3月7日の日経新聞に「日本人は沈黙に強い? 気まずさ感じるまで7.8秒、世界平均より長く」が載っていました。

・・・上司や初デートの相手などと話している時に会話が途切れ、気まずい思いをした経験がある人も少なくないだろう。だが、日本人は世界的に見ると沈黙に強い方なのだという。どんな背景があるのだろうか。
オンライン語学学習サービスを手掛ける米プレプリーは2024年、世界21カ国・地域の約3万人を対象に「予期せぬ沈黙から気まずさを感じるまでの時間」を調査した。日本人の回答の平均は7.8秒で、世界平均より1秒長かった。調査対象のうち最も沈黙に強いのはタイ(8.1秒)で、最も弱いのはブラジル(5.5秒)だった・・・

その理由として、日本では沈黙時間が何も起きていない時間ではなく、意味がやりとりされている時間と見なされるからだという説が紹介されています。
欧米人との1対1の会話の際に、沈黙はよいものとは受け止められないことも、指摘されています。無言で黙り込むのではなく、「考える時間をください」と一言伝えてから間を取るのが良いそうです。
また、講演でも一方的に話すだけでなく、参加者に質問を投げかけた後、3~5秒の間を置いて考えるための沈黙を作ると、共感が生まれるとも指摘されています。

私は会話時の沈黙が怖いので、すぐにしゃべってしまいます。だから、大勢の前で話すより、1対1の方が疲れます。ただし、講義講演の際には、話の転換の際に、一呼吸置くことを心がけています。

変化した日常風景

2026年3月21日   岡本全勝

物心がついてから、70年近くの時間が経ちました。社会は大きく変わったところと、あまり変わっていないところがあります。

特に変わったものとして、育児の風景があります。
私の子どもの頃は、赤ちゃんはお母さんが背中に背負うものでした。乳母車も、船のように大きかったです。乳母車の中で、遊ぶことができました。
最近では、お父さんも赤ちゃんを連れています。その際は、胸の前で抱っこをしています。お父さんもお母さんも、おんぶしている人はめったに見かけませんね。乳母車も、折りたためる、軽い小さなものになりました。ただし、シートベルトがついています。ベビーカーと呼ぶそうですが、これも和製英語らしいです。
電車の中でも、普通に見るようになりました。バスにも乗ることができますが、車内が狭くて窮屈ですね。

幼児を自転車に乗せている風景も、普通になりました。昔は、幼児を乗せる椅子がなかったのです。今は、自転車の前と後ろに幼児を乗せる椅子がついています。また、安定がよいように高さが低い(車輪が小さい)自転車や、楽にこげる電動補助自転車も多いです。

所得格差は拡大、再分配所得格差は横ばい

2026年3月21日   岡本全勝

3月2日の日経新聞オピニオン欄に、西條都夫・上級論説委員の「日本が向き合うべき問題は格差ではなく貧困だ 再分配の効率化進めよ」が載っていました。

・・・日本経済をめぐって、過去四半世紀にわたり格差拡大のナラティブ(物語)が繰り返されてきた。非正規労働の拡大や行き過ぎた新自由主義のせいで貧富の差が広がり、昭和時代の総中流社会は過去のものになった、という言説である。
先の総選挙でも、左派系のある政党は「税金は大金持ちから取れ」というスローガンをかかげ、それが格差を縮小する道だと主張した。
だが、本当に格差は広がっているのだろうか。2025年12月に厚生労働省が公表した「所得再分配調査」から浮かび上がるのは、通念とは少し異なる日本経済の姿だ。

それによると、23年の世帯別所得分布の均等度を示すジニ係数(0〜1の値をとり、格差は0に近いほど小さく、1に近いほど大きい)は当初所得では前回調査より上昇したが、再分配所得で見るとほぼ横ばいで、格差は広がりも縮みもしなかった。
世代別にみると、シニア層ほど所得や資産のバラツキが大きいのは周知の事実だ。高齢者の経済環境は長年の仕事の遍歴や人的なつながり、運不運といった個人的な要素を強く反映するので、若い世代に比べ、世代内の格差がどうしても大きくなる(大竹文雄著「日本の不平等」)。
したがって高齢化の進む日本である程度の格差が生じるのは自然な流れで、これが当初所得のジニ係数を押し上げた要因とみられる。

むしろ注目に値するのは、当初所得から税金や社会保険料を差し引き、社会保障給付(公的年金や医療などの現物給付を含む)を加えた再分配所得のジニ係数が横ばいだったことだ。
この傾向は実は今回に限らず、1999年の調査以降、一貫して続いているトレンドで、再分配ジニ係数は0.37〜0.39のボックス内を微妙に上下しているだけだ。
ちなみに人々の意識も驚くほど変化に乏しい。内閣府が24年夏に実施した「国民生活に関する世論調査」では、中流を自認する国民が89%に達し、1.7%の上流や8.7%の下流を圧倒した。
高齢化が世界トップ級の日本で、格差拡大に歯止めがかかっている現状をどう評価すべきか。欠点は多々あっても、税や社会保険などの再分配システムが今のところ何とか機能している証しだろう。
龍谷大学の竹中正治名誉教授は「過去10年以上にわたって人手不足が続き、その間、失業率の低下や最低賃金の上昇、そして非正規から正規雇用への登用が進んだ。これも格差を抑止する効果があった」と分析する・・・

・・・ただ、格差の不拡大を喜んでばかりもいられない。一橋大の小塩隆士特任教授は「所得格差・貧困の近年の動向」という最近の論考で、今の日本経済は「みんな仲良く貧乏に」状態だと指摘した。
米国のように人工知能(AI)長者などのスーパーリッチが大量に誕生するわけでもなく、上流とそれ以外の差はさほど開かない。それはいいとしても、長期に及ぶ低成長の結果、所得分布の重心が低い方向にシフトした。さらに足元では円安による輸入物価、とりわけ食品価格の上昇が家計に重くのしかかる。

今の日本が早急に向き合うべき社会経済のテーマは、おそらく貧困リスクである。
それを浮き彫りにしたのが、総務省が2月に公表した25年のエンゲル係数だ。消費支出に占める食費の割合を示すエンゲル係数は貧しい世帯や国ほど高く、裕福になると低下することで知られる。
その値が2人以上世帯のケースで25年は28.6%に上昇し、44年前の1981年の水準に近づいた。05年ごろからじわじわ上がってきたが、近年は上げ幅が急だ。円安や天候不順による不作で、生きていくために必須の食品の値段が上がり、生活を圧迫される人が少なくない・・・

西牛東豚

2026年3月19日   岡本全勝

3月1日の朝日新聞に「節約志向、食卓から遠のく牛肉」が載っていました。
・・・家庭での肉の消費が落ち込んでいます。コメ価格が高騰し、物価高が続いていて、節約志向が強まりました。同じ肉のなかでも、高値の牛肉から、値ごろ感のある豚肉や鶏肉へ需要が移っています。
総務省「家計調査」によると、2人以上世帯の生鮮肉の支出は、2025年に年8・3万円と前年から3%増えた。これは金額ベースのみかけ(名目)の値で、物価上昇の影響を取り除いた実質でみると、前年比2%減で5年連続のマイナスになる・・・
・・・一方で、肉は種類によって差が大きい。25年の年間購入量をコロナ禍前の19年と比べると、牛肉は6・5キロから5・4キロへ減った。この間に、豚肉は21キロから22キロへ、鶏肉は17キロから19キロへそれぞれ増えている・・・

紹介したいのは、「西牛東豚」です。
・・・肉の消費は景気の影響を受けるだけでなく、地域差も大きい。
家計調査(23~25年の3年間の平均値)でみると、全国平均の年間支出額は牛肉2・1万円(5・6キロ)、豚肉3・4万円(22キロ)。47都道府県庁の都市別でみると、牛肉は京都が最多で3・6万円、新潟が最少で1・0万円と3・6倍も差がある。豚肉は新潟が最多で3・8万円、福井が最少で2・8万円と1・4倍の差だ。
牛肉は和歌山・奈良・神戸など西日本の都市の支出額が平均より多く、盛岡・前橋・福島・札幌など東日本は少ない。牛肉と豚肉の額を合わせてみると、北海道・東北・甲信越の都市は牛肉より豚肉を好む傾向が、近畿・四国・九州は豚肉より牛肉を好む傾向がうかがえる。鹿児島・福岡・熊本・大分など九州の都市は鶏肉の支出額も上位を占める。

「西牛東豚」ともいえる東日本と西日本の違い。なぜこうした地域差が生じるのかについて、農畜産業振興機構が過去の文献をもとに調べてまとめている。
かつて農耕用として関東以北では主に馬が、近畿では牛が飼われていたが、明治時代の肉食解禁で外国人居留地などで牛肉需要が起こり、農耕牛が食用にも使われるようになった。一方で、関東では旧内藤新宿試験場(今の新宿御苑)で西欧式の養豚が始まり、えさの食品残さが多かった都市部の環境が養豚に適していたため、盛んになったようだという。

全国のセブン―イレブンで売られている肉じゃがは、東日本では豚肉を、西日本では牛肉を使い、それぞれ商品名やパッケージも違う=図下。「地域による食の好みの違いを反映し、販売エリアを分けている」と広報担当者。
牛肉文化のはずの関西では、なぜ豚まんが名物になったのか。
設立から80年余り、「551の豚まん」で知られる蓬莱(ほうらい)(大阪市)。同社は「関西では一般に肉=牛肉を表し、豚肉の入った肉まんを豚まんと呼ぶようになった」と経緯をホームページで振り返る。関東では「肉まん」の呼び方が一般的だ・・・

0は、「ゼロ」か「れい」か。

2026年2月26日   岡本全勝

2月12日の朝日新聞夕刊「夕刊 ことば係」は「ゼロかレーか」でした。

・・・「郵便番号、150(イチゴーレー)……」。小学生時代、NHKの子ども向け番組をよく見ていた。当時、番組が視聴者から意見や感想を募る主な方法ははがきだった。私はアナウンサーが読み上げる宛先を書き取り、記念品を期待して感想をせっせとしたためた。
静かな口調でゆっくり読み上げられる「レー」が好きだった。「ゼロ」とは違う新鮮な響きと非日常感からくるワクワクがあった。

だが、レーがここに来て押され気味だ。
昨年10月、NHKの放送用語委員会は電話番号や郵便番号を読む際は「ゼロ」をまず推奨すると決めた。ゼロと読む派が電話番号で86%、郵便番号で77%に上る直近の調査結果などを踏まえた。レーの使用も否定されない。

薄情なようだが、今は私もゼロ派だ。レーは「例」などに音が似て、少し紛らわしい。
イチ、ニ、サン……は中国伝来の漢字(一、二、三……)の音読みで、それにならうと零も音読みでレイ(レー)となる。ゼロは外来語であり、ここに入ると統一がとれない。NHKはそんな考え方をしてきたという・・・