カテゴリー別アーカイブ: 政と官

行政-政と官

財務省の陰謀?

7月28日の日経新聞経済コラム「大機小機」、「何でも財務省の陰謀なのか」から。

・・・防衛力強化、異次元の少子化対策。さまざまな施策の財源で増税や国民負担増が取り沙汰されるたび、永田町では「財務省の陰謀」論が飛び交う。いわく財務省は増税のことしか考えていない、岸田文雄首相は財務省の言いなりになっている……。はたして本当にそうなのだろうか。
こうした見方は、いわゆる積極財政派に多い。安倍晋三元首相が回顧録で「彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない」と記したこともあり、ほんの少しでも増税論を支持する議員がいれば「財務省のお先棒を担いでいる」などの言辞を積極財政派から浴びせられる。

財務省陰謀論は、かつての旧大蔵省が「最強官庁」と呼ばれた名残でもある。その最強官庁は省庁再編と政治主導への統治システム改革によって、とても首相官邸に伍するだけの存在ではなくなってしまっている。
直近の事例でいえば、少子化対策の規模は最後の最後になって3兆円から3兆5千億円へと、いきなり5千億円も官邸の主導で積み増しされた。この時、呆然とした財務官僚は多い。岸田首相が財務省の言いなりならばこんな事態は現出しない。防衛力強化の財源としての増税も、自民党税制調査会があっさりと時期を先送りした。
消費税にしても、3%の税率で導入されたのは1989年。5%になったのが97年で、8%が2014年、10%が19年。7%引き上げるのに30年を要した。本当に財務省の「陰謀」が奏功していたなら、今ごろ消費税率は20%になっていても不思議ではない・・・

・・・岸田首相も財務省の言いなりどころか、その逆を行っている。政治家が財政の健全化を考え、発言するだけで「財務省の陰謀」とされる風潮は、何かがおかしい・・・

岸田政権、政と官の関係

5月11日の朝日新聞「岸田官邸の実像」牧原出・東大教授の発言から。

――安倍政権では側近の「官邸官僚」が政策を強力に推し進めてきました。岸田政権の官邸と官僚の関係はどう変わりましたか。
安倍政権や菅政権と比べると、官邸主導で省庁にあれこれ指示して進める政策は少ないと思う。かといって、官僚が政策をどんどん打ち出していくかというと、そうはなっていない。

――なぜでしょうか。
旧民主党政権から安倍政権、菅政権に至るまで、官邸主導で官僚の頭を押さえつけるような時代が続いたことで、官僚側が自ら考え、政策の弾を込めていくというやり方を忘れてしまっているように思える。
また、官邸が省庁幹部の人事権を掌握しているから、官僚が官邸を飛び越えた政策を打ち出して、にらまれるのは怖い。なので、様子見をしているのかもしれない。

――政治主導の政策決定がうまく機能していないのは、どこに問題があるのでしょうか。
各省庁の閣僚が創意工夫して政策を打ち出す中で、内閣としての方向性を示すのが本来の政治主導だが、官僚をしっかりと引っ張って議論を主導できる閣僚は多くない。官僚が書いたペーパーをそのまま読み上げるような閣僚が多いのが問題だ。

官邸主導の欠点

4月27日の朝日新聞オピニオン欄、宇野重規・東大教授の「論壇時評」から。

・・・最後に問題になるのは、そのような日本の外交・安全保障戦略を日本国内でいかに構想するかである。日本にとって死活的な判断が、十分な国民的議論を欠いたまま決定されることはあってはならない。多様な選択肢を前提に、政治的に分厚い議論が不可欠である。はたしてそのような仕組みが日本に存在するのか。

不安にさせるのは、行政学者の牧原出が指摘する、官邸官僚が生み出す「無責任体制」である。本来の官邸主導とは、あくまで首相や大臣が能動的に政策革新を図るものである。ところが第2次安倍政権において現実に進んだのは、大臣不在のまま、「首相の意向」を盾とする官邸官僚が主導的役割をはたす事態であった。結局は誰も責任を取らないまま、各省庁の間に無気力が蔓延したという。日本外交の構想力が問われる現在、責任ある政治的決定のメカニズムの再建が不可欠であろう・・・

安倍回顧録にみる「政と官のゆがみ」

4月5日の日経新聞経済面コラム「大機小機」、「安倍回顧録にみる「政と官のゆがみ」」から。

・・・安倍晋三元首相が財務省との意見対立や嫌悪感をつづった「安倍晋三 回顧録」(中央公論新社)が話題になっている。対立の直接の原因は、リフレ派の考え方に立つ元首相が、法律で施行時期が決められていた消費増税を2度も延期したことである。MMT(現代貨幣理論)という異端の経済思想を信奉し財政健全化に興味を持たなかったことも対立を加速させた。一国の首相と官僚組織との間で、財政・経済政策でこれほど大きく意見が異なる事態は、おそらく戦後初めてではないか・・・

・・・さて、一国の首相が異端の経済学を信奉し政策を行おうとした場合、専門家集団である官僚組織はどう対応すべきだろうか。小泉純一郎内閣時代は、首相の諮問機関である経済財政諮問会議でかんかんがくがくの議論が行われた。しかし安倍元首相は増税延期を公約に掲げ選挙を行い、その勝利をもって自らの判断を正当化した。これはポピュリズムそのものである。
一方で政府の役割である構造改革などに手を付けず、10年続けたリフレ派の社会実験も効果を上げなかった。この間の政治と官僚組織の政策決定のあり方は大いに検証される必要がある・・・

忖度の実例

霞が関での忖度の実例が載っていました。朝日新聞4月4日~6日連載「けいざい+ 幻の「戦後最長」景気」です。詳しくは本文を読んでいただくとして、その一部を転載します。

・・・昨年8月、景気をはかる政府の新たな指数がひっそりと加わった。実に38年ぶりだという。この動きに、専門家は「そもそも景気判断を政府がすべきなのか」という根源的な問いを投げかける。背景に何があったのだろうか。
きっかけは、2019年1月末にさかのぼる。
この日、首相官邸で月例経済報告の関係閣僚会議が開かれ、国内経済の基調判断は「緩やかに回復している」と据え置かれた。その後の記者会見で、当時の経済再生相・茂木敏充はこう宣言した。
「我々の政権復帰から始まった景気回復は、戦後最長になったとみられる」
第2次安倍政権の経済政策「アベノミクス」による景気拡大の長さが6年2カ月となり、リーマン・ショックがあった08年まで6年1カ月続いた「いざなみ景気」を抜いた可能性が高い、というのだ・・・
・・・高らかにうたった「戦後最長」宣言の陰で、経済統計を担う内閣府の官庁エコノミストの間には、ある不安がよぎっていた。一部の経済指標が弱く、本当に「戦後最長」になるのかというものだ。
疑念はやがて的中することになる。
景気拡大の期間を実際に決めるのは、直近の景気動向を判断する月例経済報告ではなく、「景気動向指数」がもとになる。景気は時間がたたないと正確な判断ができず、これだと正式な認定に1~2年かかる・・・4日付け「官庁エコノミストの不安的中

・・・そんななか、景気の認定に必要な経済統計がそろったのは、西村への報告から数カ月経った20年の春ごろだった。アベノミクスによる景気拡大が「いざなみ景気」超えには3カ月足りず、18年10月で終わっていたことが明らかになった。
崩れた「戦後最長」――。
ここから官庁エコノミストたちは右往左往する。「戦後最長でなくなっていいのかと、ある意味で忖度した」(別の幹部)結果、浮かんだのはこんな意見だった。
景気後退を認定する前に、景気動向指数のあり方を議論できないか。
幹部は、その意図を次のように解説する。「経済再生相が関わる月例経済報告は、政治的な判断なので間違っていたとは言いにくい。景気動向指数の指標の選び方がおかしい、と言う方が簡単だ」・・・

・・・アベノミクスの生みの親で、官邸の1強体制を築いた当時の首相、安倍晋三はどう受け止めたのか。
関係者によると、安倍に戦後最長にならなかったことを報告した際、「首相は、分かった、それは仕方ないね、とさらっと受け止められていた」という。この年は新型コロナの感染拡大が猛威を振るっていた。
大事にならず、内閣府の幹部たちは胸をなで下ろした。その一人は当時の心境をこう明かす。
「戦後最長にならないことをみな気にしていた」・・・ 5日付け「政治へ忖度「指標あり方議論も」