カテゴリー別アーカイブ: 政と官

行政-政と官

政治主導・党との関係

このHPでも何度か取り上げていますが、政治主導には、政治家が官僚に代わって主導することと、内閣が党の政治家を主導することの、2つの局面があります。前者がよく言われますが、後者もまた重要なことです。
後者については、政治家がめいめい勝手に官庁(行政)に口を挟むのではないことと、党が内閣とは別に方針を立てることを止めることの、2つがあります。政治家がめいめい口を挟むのは「政治家主導」、内閣とは別に党が方針を立てることは「二元政治」です。
最近は、この面でも変化が生じています。昨日書いた、与党の事前承認を廃止しようとする動き、総務会の決定を全員一致でなく多数決にすること、与党調査会の力を削ぐことなどは、これに当たります。
このほか、予算編成や税制改正での、族議員の低下や調査会の力の低下が伝えられています。
15日の日経新聞夕刊は、「永田町インサイド」で「予算編成、官邸が主導」「熱き折衝、今は昔。族議員、活躍の場減る」を大きく書いていました。「永田町・霞ヶ関で年末の最大イベントといえば、予算案の編成だ。かつては予算獲得に奔走する自民党族議員と、応援する関係省庁・団体、地元の支持組織などが入り乱れ、異様な熱気をはらんだ。しかし、そうした光景も今や昔。復活折衝などの儀式は残るものの、官邸主導で淡々と調整が進むパターンが定着しつつある」。
11月30日の東京新聞は、「自民税調、様変わり」「出席者まばら。強力官邸、部会ひっそり」を書いていました。
また、12月17日の日経新聞は、「税調会長自ら税調批判」を書いていました。「自民党の柳沢伯夫税制調査会長は16日、党本部で開いた新人議員勉強会で、自民党税調が主導権を握る税制改正のあり方に疑問を投げかけた」
「柳沢氏は『英国の税制改正は財務相の専権事項だ。日本では財務相が税制改正にかかわっていないことは、皆が知っている。めちゃくちゃな国だ』と強調。『(政府との関係を)直さなければいけない。税調幹部は怒るかもしれないが、私の方が絶対に正論だ』と持論を展開した」。
その通りだと思います。これまで、予算編成で族議員が活躍できたこと、また財務大臣を抜きに党税調が税制を決めることができたのは、利益の配分だったからです。

政治主導・小泉改革2

朝日新聞は16、17日に「首相主導、政策決定の内実」を連載していました。
「『諮問会議と自民党の協力が深まったということじゃないかねえ・・・』記者団から『経済財政諮問会議の勢いが低下したのでは』と問われた首相はそう笑い飛ばした。予算編成方針の決定権を握り、自民党が反発する改革を次々と打ち出してきた経済財政諮問会議。だが、郵政民営化の是非を問うた総選挙を機に、今や自民党も首相指示になびく。あえて諮問会議を、自民党に改革を迫るテコとするまでもないー。そう言わんばかりの余裕がにじんだ」。
医療制度改革も、族の抵抗を一言で打破。
「ただ、首相主導のための仕組み作りについては、小泉首相就任後の5年間、曲折が続いた・・・。結局、首相vs族議員との膠着状態を打開したのは首相の解散権だった。9月の衆院・解散総選挙と抵抗勢力の排除ー。自民党の純化は進み、首相官邸と党が一体化した政策決定を実現できる」
「小泉首相がいま、首相主導のために活用する経済財政諮問会議や官邸スタッフの政治任用などの仕組みは、いずれも橋本政権が残したものだ・・・。とはいえ、その仕組みをすべての政権が活用できるわけではない・・・」
「中川氏(政調会長)は言う。『小泉構造改革の要諦は、内閣と与党の政策意思決定システムを、内閣を中心に一元化することだ。小さな政府とは、政治主導による政治主導による官主導の打破であり、官僚内閣制を終わらせることにある」。
そして、「小泉政権トップダウンの歩み」が表にされています。
2001年、首相公選制、懇談会立ち上げ→懇談会報告書はたなざらし。
2002年、道路4公団民営化推進委員会人選、「国会同意は求めない」→委員間の意見対立、委員の辞任相次ぐ。
与党の事前承認原則廃止、副大臣の党部会長兼務など(自民党国家戦略本部委員会提言)→たなざらし。
与党の事前承認抜きで郵政公社法案など提出→最終的に法案を一部修正、与党了承手続き。
「衆参の施政方針演説は一本化できないか」→断念。
2005年、郵政民営化法案、自民党総務会は多数決で了承→参議院で否決され、衆院を解散。
総選挙、法案反対組を非公認、刺客擁立→大勝、自民党純化進み、求心力増す。
また、「小泉自民党の総選挙後の成果」も、表になっていました。
党の調査会長などの任期は2期2年に(中川政調会長)→任期制導入。
道路特定財源一般財源化(首相)→一般財源化、暫定税率維持は明記。具体案は先送り。
三位一体改革、地方案を尊重(首相)→税源移譲は実現、義務教育では文教族に譲歩。
政府系金融機関、できるなら一つに(首相)→1機関に、国際協力は今年度末まで検討。
これらの表は、役に立ちます。もっとも、やや不満の残るところもありますが。

政治主導・小泉改革

政治主導、特に小泉政権の政策決定過程を分析する記事が、目につきます。一番整理されていたのが、16日の東京新聞「変わる政策決定」での、西尾勝教授のインタビュー「党主導で政府と連結、小泉後も官僚支配には戻らぬ」です。
小泉政権の政策決定面からの評価については、
「小泉内閣以前は、官僚主導体制で、ほとんどの法案は各省庁で立案され、(利害対立する別の)省庁が事実上の拒否権を持つという仕組みだった。しかし、小泉首相は、内閣の大方針と位置づけたテーマを進めるため、省庁や与党の抵抗を突破する”バイパス”を開いた」。
「経済財政諮問会議・・で『骨太の方針』を決め、閣議決定までもっていき、内閣の方針にしてしまうルートをつくった。諮問会議には全閣僚は参加していないから、『省庁間折衝で合意しなければならない』というルールが外れたことになる」。
与党側との関係、族議員の抵抗については、
「小泉首相は、彼らを抵抗勢力と名付けた。そして、与党の事前審査を受けずに法案を国会に提出する手段を時折とった。これで与党の壁も突破した」
「21世紀臨調は・・、政治主導体制確立のため、政調会長を閣僚にも起用して政府・与党一元化を図るよう提言した。小泉首相は、それを受け入れなかったが、別の形で政府・与党の連結をやった。政調会長には自分の意向で動く中川秀直氏を据え、『偉大なるイエスマン』武部勤幹事長を続投させた。そして党の立場にいる人が、全体を取り仕切り、政府・与党を連結し始めた。政調会長が閣内にいるのに近い形を実現している」。
幹事長、政調会長が官僚機構への敵意を示しているという問に対しては、「三位一体改革、政府系金融機関の統廃合、公務員の給与引き下げや純減など、小泉首相の残りの任期で筋道をつけようという課題は、いずれも官僚機構を相手にしなければならない。最大の抵抗勢力は官僚ということだと思う」。
このような政治主導は、55年体制時に言われた政治主導とは異質ではないかという問に対しては、
「政治主導という言葉は、あいまいに受け止められることが多いが、本来は首相を中心にした内閣主導で、政治を動かすということだ。地元からの陳情あっせんを仲介する『政治家主導』とは違う。また戦後日本で続いてきたような、内閣入りしていない党幹部が勢力を振るう政府・与党二元体制での『与党主導』とも違う」。
小泉首相退陣後に、昔の姿に戻る可能性がないかとの問には、
「昔ながらの官僚主導体制に戻ることは考えられない。首相のリーダーシップに対する、国民の期待感が変わっている。リーダーシップがとれない首相では、選挙に勝てないということになってくるはずだ」。
いつもながら、鋭い指摘です。新聞も毎日の政局を追うこと以上に、このような中長期の分析をしてほしいですね。もちろん学者にも、外国の政治分析の前に、過去の日本政治分析の前に、日本の現在を分析してほしいです。

財務省の権限

政府が現在進めている改革の一つに、特別会計の見直しがあります。特別会計には問題が多く、一般会計への統合、独立行政法人化や民営化などが提案されています。
財政制度等審議会の報告「特別会計の見直しについて」(平成17年11月21日)は、「固有の財源等をもって不要不急の事業が行われているのではないか、資源配分が硬直化しているのではないか、多額の剰余金が放置されているのではないか等の問題が指摘されており」と述べています。
特別会計も財務省が査定しているのに、なぜこんなことが起きるのか。また、それを、財務省の審議会が指摘するのか。この問題は、民間の人や地方団体の人には、理解しにくいことでしょう。
地方団体であるなら、予算編成と組織人事は知事や市町村長の最も重要な職務の一つです。企業であっても、金と職員をどう動かすかは、社長のそしてその企業の重要な仕事であるはずです。
たぶん、その答えは「財務省は特別会計(の一部に)ついて査定していなかった」、あるいは「査定できなかった」ということであり、「財務省だけでは、(審議会の力を借りないと)特別会計を査定できない」ということでしょうか。これは、財務省(大蔵省)の権力がどのようなものであったかの一端を明らかにしているとともに、日本の内閣制がどのようなものかを明らかにしています。

官から民へ

21日の朝日新聞では、「小さな政府改革、識者3人座談会」「官から民、なぜ今」で、北城経済同友会代表幹事、加藤秀樹構想日本代表、広井良典千葉大学教授が、議論しておられました。
「官から民へ」という言葉は、水戸黄門の「葵の印籠」のように、重宝がられています。私も使っています。もっとも、ここでも議論されているように、詳細は必ずしも詰まっていません。すなわち、なぜ官から民なのか、何をもって政府の大きさを測るのか、縮小すべきは何か、残る国の役割は何かが、問題なのです。
「官から民へ」は一つのスローガンであって、政治家がしゃべる分には良い言葉です。しかし、スローガンであるので、学問的には詳しくは定義された言葉ではありません。そして、この言葉は運動方向(ベクトル)を表しているのであって、対象物や目標は明らかではありません。もっとも、だからこそスローガンとして優れているのです。何にでも使えるからです。
なぜ官から民なのかは、赤字財政でこれ以上、今の財政支出を続けられないからです。また、官が支配することで、民間の活力が削がれるからです。
何を縮小するかは、分野別に議論しなければなりません。安全安心・社会保障などは、そうは縮小はできないでしょう、すべきでないでしょう。今後縮小すべきは、公共事業や産業振興だと思います。そしてこのような縦割り分野別でなく、横割り事務別の切り口も必要です。教育や福祉であっても、民間が実施できます、しています。官がしなければならないのは、その企画と基準作りと検査でしょう。実施は、どんどん民間に委ねることができるのです。
これからの行政や研究者の仕事は、どの分野どの事務を民に切り出すか、それを提言することでしょう。政治家は運動論、官僚と学者は理論編が仕事です。拙著「新地方自治入門」では、第8章で議論しました。機会があれば、もう少し議論を深めたいと思います。このことについて書いた本・教科書って、ないですよね。