カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

塩野七生さん、この頃の官僚

塩野七生さんは、しばしばハッとするような、分析をされます。食を巡るエッセイに、次のような文章があります。『想いの奇跡』(2018年、新潮文庫に再録)p131「イタリアを旅する」。この文章は、2008年に書かれたものです。

・・・一昔前は、高級官僚にも政治家並みの健啖家が多かった。政治家は始終人と会っているためか食欲の旺盛な人が多いが、官僚も政治家同様に健啖家であったのだ。それがこのごろでは、なぜか食の細い人が多くなった。それに比例して、仕事もできない人も多くなった気がする。
昨今の官僚タタキも、仕事ができるがゆえに権勢もある官僚だからタタくのではなく、真の力がないために既得権益を守ることしか頭にない官僚に、国民が愛想をつかしたからではないかと思っている。こんなへっぴり腰の集団に自分たちの運命を左右されたのではたまったものではないとは、私だって感じているのだから・・・

塩野さんの眼力が素晴らしいとともに、イタリアから見ていると、日本にいるより、日本が見えるということでしょうか。

金融庁、幹部の資質を明文化

1月11日の朝日新聞が、「金融庁、幹部の資質を明文化」を伝えていました。
・・・金融庁は、幹部を養成するための新たなシステムの導入を検討している。長官や局長ら幹部に求められる資質を明文化して職員に示し、幹部に登用すべき人材を選抜する会議も定期的に行う。人口減や国際化で金融機関のビジネスモデルが大きく変わるなか、監督官庁としても幹部人事を見直す・・・

良いことですね。というか、これまでなかったことが、不思議です(私も反省)。
ポストが空いたら、組織の内外を問わず適任者を募集する開放型人事システム(欧米型)と、組織内部で職員の育成と昇進を行う閉鎖型人事システム(日本型)の違いが、この背景にあります。欧米型(といってもアジア各国も欧米型だそうですが)は、職務内容(ジョブディスクリプション)が明文化されているのに対し、日本はあいまいです。すると、そのポストに必要な資質も明文化する必要がなかったのです。しかし、これからはそうも言っておられません。

職員の評価(能力評価、業績評価)は、行われています。しかし、それは一般職員を想定た、一般的な評価です。「幹部には組織内外での調整能力があればよい」「そこにたどり着くまでに、一定の能力は備えている」という考え方もあるでしょう。でも、そんなジェネラリストだけでは、乗り切れなくなっています。
他方で、「処遇」といった人事や、「変な人事」もやりにくくなるでしょう。

北村亘先生「文部科学省幹部職員の理念と政策活動」

季刊『行政管理研究』2017年12月号に、北村亘・大阪大学教授の「文部科学省幹部職員の理念と政策活動~2016年サーヴェイ調査における4つの官僚イメージ~」が載りました。興味深い調査結果が出ています。

これまでの官僚制の研究では、官僚を次の3つの型に分けて考えていました。
「古典的官僚または国士型」=政治の上に立とうとする態度の官僚
「政治的官僚または調整型」=政治の中で任務を遂行する態度の官僚
「合理的官僚または吏員型」=政治家によって定められた政策を合理的に実施する官僚。
そして、支配的な型は、国士型から調整型へ、さらに吏員型へ変化すると想定しています。

ところが、今回の調査結果では、国士型官僚像が、さらに2分できるのです。彼らは、政治的合理性を重視しません。その中で、行政的合理性を重視する官僚を「古典型」とすると、行政的合理性も重視しない官僚「超然型」とも呼ぶべき官僚が多くいるのです。
ちなみに、政治的合理性を重視する官僚のうち、行政的合理性を重視しないのが「調整型」、行政的合理性を重視するのが「吏員型」です。
この分析では、文科省本省幹部(課長以上、114人中回答は75人)のうち、調整型が19人、吏員型が15人、超然型が20人、古典型が21人です。

質問票と回答を、これらの型に分類する際の分け方が正しいのか、その点は疑問が残ります。また、他省庁との比較をしないと、一概に評価はできません。が、この結果を見ると、いまだに古典型や超然型が多いことは驚きです。文部行政の理念をどう考えるかとも関係するのでしょう。現在の文部行政の目標は何かです。

このような調査は、有意義ですね。内閣人事局と人事院は、公務員 の人事制度と勤務実態を所管していても、官僚の理念と実態は所管の外のようです。このような学者の分析、マスコミの評価によるのでしょうか。かつては、先輩官僚による指導と薫陶がありました。官僚の役割の転換期(と私は考えています)に、このような議論は必要です。
ところで、国家行政や官僚を対象とした研究誌がないのです。地方行政などはいくつかあるのに。『季刊行政研究』は、貴重な雑誌です。

ここでは、論文の一部しか紹介していません。関心ある方は、原文をお読みください。また、予算の関係で、文科省だけの調査になっています。ぜひ、他省庁を含めた調査、そして継続的な調査をお願いします。

官僚の信頼を低下させたもの

朝日新聞連載「平成経済 グローバル化と危機」、12月3日は「大蔵接待「料亭は飽きた」」でした。
内容は、原文を読んでいただくとして。1990年代に、官僚への信頼が急速に低下しました。
その要因の一つは機能であり、もう一つは清潔さでしょう。
機能については、明治以来、先進国の先端行政を輸入し、効率的に日本に広めることに、官僚機構は良く役割を果たしました。
しかし、先進国に追いついたことで、この手法は終わりました。官僚主導、行政指導、護送船団行政は、時代遅れになったときに、批判されるものとして使われた言葉です。
新しい国家目標、新しい手法を提示できなかったのです。変わらなければならないときに、変えることができなかったのです。
清潔さについては、かつては「官僚は安い給料で夜遅くまで、国家のために働く」という評価を受けていました。その信頼が、記事にあるような一部の官僚の非常識な行動で、崩れてしまったのです。

新しい時代での役割を考え、国民の信頼を取り戻すこと。これが、官僚に期待されています。

法律を作るか解釈で切り抜けるか

先日、霞が関で、現役の後輩と出会いました。「今、何しているの?」と聞くと、「○○の件で、法律を作ろうとしているんです」とのこと。内容は、私も関与したことがあるものです。既に実施されているのですが、今後に備えて、法律で枠組みをきちんとしておこうとのことです。
「良い話じゃない。ぜひやってよ。誰も反対しないから、難しくないだろう」と励ますと、「いえいえ、関係省で反対するところがあるんです。『運用でできているんだから、法律を作らなくても良いだろう』と言うんです」。????

「官僚とは、できないという理屈を考える優秀な人間である」という批判があります。その手で言うと、「官僚とは、しなくてもよいという理屈を考える優秀な人間である」と言いたいですね。一部ですが、このような官僚がいることは、困ったものです。
国民のために政策を作る。それが、官僚の任務のはずです。仕事に取り組む職員と、逃げる職員。きちんと職員の評価をしなければなりません。売り上げという評価基準がないので、事務の職場は、それが難しいのですが。