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行政-官僚論

質問主意書

質問主意書」って、ご存じですか。国会議員の他は、霞が関の官僚しか知らないのではないでしょうか。NHKウエッブニュースが、取り上げていました。「霞が関の嫌われ者 “質問主意書”って何?

簡単に言うと、国会議員が、国会での質疑と同じことを、文書で行うことです。国会法に決められた、重要な仕組みです。しかし、ニュースで取り上げられることも少なく、政治学の本にも出てきません。ちなみに、「趣意書」でなく、「主意書」です。

その重要性を理解しつつ、多くの官僚にとっては、この記事が伝えているように、負担に感じることもあります。もちろん、仕事が増えることもあるのですが、時間の制約が大きいのです。
特定議員から大量の質問主意書が出され、「これ本当に、議員がすべて目を通しているのかな」と思うこともありました。

局長が政策を語る

農林水産省の枝元真徹・生産局長が出ている、政策紹介ビデオを教えてもらいました。
日本の農業をもっと強く
農水省では、政策説明は、説明会だけではなかなか農業者に届かないので、大きな政策はビデオで流すことをやっているとのことです。良いことですよね。ビデオで見るには、ちょっと難しいかな。

官僚は政策で勝負すべきだと、私は主張しています。例えば、2018年5月23日の毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」。このホームページでも、藤井直樹・国土交通省自動車局長(当時)の論文を紹介したことがあります。
世の中の課題を把握し、対策を考え、世の中に問う。そして、国民に説明する。それが、局長の務めでしょう。
もちろん、大臣が先頭に立つべきですが、政策の大小によって、また説明の濃淡によって、局長ももっと前に出るべきです。

公務員の定年、恩給。欧米比較

5月10日の日経新聞夕刊「公務員定年、欧米は撤廃・延長」から。

・・・欧米の国家公務員制度をみると、日本以上に定年を延長したり、定年そのものを撤廃したりする例が目立つ。ドイツとフランスはそもそも日本より高い65歳定年だった。公的年金の支給開始年齢の引き上げにあわせ、両国とも定年をさらに延長する予定だ。ドイツは12年から段階的に上げ始め、31年に67歳にする。フランスも16年から上げ始め、22年に67歳にする。
英語圏の国家公務員では定年そのものの廃止も多い。米国は1967年に成立した年齢差別禁止法で、雇用の場での年齢による差別を禁じた。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどでも定年は廃止済みだ。英国は年金の支給開始年齢を2046年までにいまの65歳から68歳に引き上げる予定でそれにあわせて定年制を10年に廃止した・・

・・・定年がない国でも公務員の多くは日本の定年年齢の60歳前後で引退するという。年金や恩給の給付水準が高いためだ。稲継裕昭早大教授に聞くと「年金水準が高い米国などでは日本のように働かなくても生活に困らないため自発的に引退する職員が多い」と話す。
「公務員人事改革」(村松岐夫京都大名誉教授編著、学陽書房)によると、退職直前の最終所得と比べた年金・恩給支給額は局長級の場合、米英は日本の2倍以上だ。日本では年金支給額は最終所得の30%(年529万円)だが、米国は71.5%(同1209万円)で英国は62.1%(同1142万円)に上る。
定年制があるドイツでも恩給額は67.5%(同1150万円)。フランスは金額は日本と同程度の年528万円だが、最終所得比は59.1%と日本の倍近い・・・

わかりやすい表もついています。
へえ、こんなにも違ったのですね。もちろん、他国との比較だけでなく、国内の民間との比較も必要です。

「給料は安くても、官僚は国家のために働くのだ」という矜持と、「社会からも一定の尊敬を受けている」という意識が、これまでの官僚を支えてきました。
他方で、公務員への批判は、昔からありました。そして、20世紀の終わりから公務員バッシングも激しくなり、社会からの評価も低下しました。
大学の同級生たちが、民間企業で活躍し、はるかに高額の給料をもらっているのを見ると、転職しようという気持ちも出るでしょう。また、大学生たちも、公務員より企業を選ぶこともあるでしょう。

公務員バッシングのみならず「××バッシング」は、ポピュリズムの一つでしょう。
他者をうらやむこと、足を引っ張ることは、古今東西どこにもでもあります。しかし、時代と国によって、その広がりが違います。バブル崩壊後の日本において、その傾向が強まったのでしょう。
しかし、バッシングだけでは問題は解決せず、社会の機能は低下すると思います。

「やりました」の勘違い

通達行政の限界と副作用」の続きにもなります。通達を出すだけでなく、成果を検証することの重要性です。
最近も、このような場面に出くわしたので、苦言を呈します。ある分野について、この1年間にやったことを取りまとめた資料です。その中に、予算を確保したこと、関係者を集めて会議を開いたことなどが、並んでいるページがありました。

確かに、担当職員にとっては、それらは「やったこと」でしょう。予算要求とそれを認めてもらう作業は、重労働です。会議を開くことも、会場を設営し、配付資料を準備してと、これまた重労働です。通達を出すことも、同様です。
しかし、その政策の成果としてみた場合に、対象となる地域や国民にどのような成果が出たかが、「やったこと」です。
彼にとっての労働時間と予算要求と予算の執行は、彼にとっての業績かもしれませんが、組織にとっての業績ではありません。その政策の責任者(組織の責任者)が、きちんと「業績」を示さなければなりません。

これは、その担当職員に責任があるのではなく、指導しなかった上司が悪いのです。
ひょっとして、期首の目標自己申告や期末の業績評価の際に、「予算要求と予算執行」「説明会の会議の回数」を、指標に取っているのではないでしょうね。
参考「制度をつくった場合の成果、「やりました」は成果ではない

通達行政の限界と副作用

5月5日の朝日新聞1面は「繰り返される学校の事故」でした。この指摘は重要で、本文を読んでいただくとして。ここでは、少し違った視点で取り上げます。記事の中に、次のような記述があります。
・・・特徴的なのは、対策後も情報が十分に共有されず、似た事故が繰り返されていることだ。東京都杉並区の小学校で起きた08年の転落事故などを受け、文部科学省は立て続けに防止策を通知した。だが16年度までの3年間に計198件起き、死亡事故も毎年あった。小中学校の授業でのプールの飛び込み事故も、学習指導要領で禁じられた後なのに3年間で計42件あった・・・

文科省が防止策を通知することは、悪いことではありません。しかし、それでは問題は解決しないのです。
どのような内容を教育するか、どのような授業時間割にするか、生徒何人に先生を1人配置するか。そのようなことは、通知して従ってもらえれば、政府の意向は実現します。
1 他方で、現場での課題は、政府からの通達だけでは解決しないことも多いのです。
2 通達で現場を変えようとするなら、数か月後に、どのように変わったかを検証する必要があります。
3 文科省、教育現場、さらにはマスコミまでもが、「通達行政」という思考の型にとらわれているようでは、困ります。
4 それは、市町村長にも当てはまります。小中学校の責任者は、文科省でなく、市町村です。市町村長が、どれだけ自分の仕事と考えているかです。通達行政に慣れ、現場が文科省の方を伺う風習が強いと、責任の所在が不明になります。

昨年問題になった重いランドセルについて、この点を指摘したことがあります。「日本の教育改革、教育行政の改革」「苅谷剛彦先生「演繹型の政策思考」」