「連載「公共を創る」」カテゴリーアーカイブ

連載執筆作業の循環

連載「公共を創る」は、1か月に3回掲載を原則としています。皆さんに読んでいただくのは、ほぼ週に1回です。ところが、原稿執筆は、そんな簡単にはいきません。かつて書いたことがありますが、最近の状況を書いておきます。

ある時点では、次のような状態になります。
私の手元には、ゲラが3回分届いています。1つめは次に掲載される分で、校閲を通り、掲載を待っています。2つめと3つめは、編集長が紙面の形にして、副題などをつけてくださった状態で、校閲を待っている分です。「公共を創る 目次9」を見ていただくと、すでに9月4日まで副題が載っています。

私は、その次の分(4つめ)の原稿を右筆に提出し、加筆を受けます。それが通れば、編集長に提出です。そして、その次の分(5つめ)を執筆します。同時に5回分が進んでいて、執筆だけでなく、ゲラの加筆、右筆意見の反映という作業もあります。頭の中を切り替えないと、混乱します。
時々執筆しながら「これって、どこかに書いたよなあ」と思って探すと、最近に書いたのが見つかることもあります。もっと昔に書いたのは、忘れています。できれば書きためて、「貯金」を持ちたいのですが、難しいです。

1回分は、B5版の紙面で4ページ、6800字余り、400字詰めで17枚です。きちっとは埋まりませんが。ほぼ毎週1回分を書くのは、かなりきついです。読めるような文章になっているのは、ひとえに右筆のおかげです。最近は、私が粗々書いて、右筆が文章にしてくれることが多いです。それに、校閲さんがまちがいを正し、厳しく手を入れてくださいます。

毎回、白紙から執筆するのではありません。「全体の構成」に沿って、目次を作ってあります。さらに、それを細かくした細目次も作ります。入れようと考えている項目のメモや抜き書きを、思いついたときに、原稿の各節に入れてあります。それを基に、文章にしていきます。
私の文章作成法は、「明るい公務員講座 仕事の達人編」「第12講 私の作文術」に書いたので、参考にしてください。

連載「公共を創る」第229回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第229回「政府の役割の再定義ー英・独に学ぶ官僚の中立性確保」が、発行されました。政治主導を実現するには政治家と官僚との意思疎通が重要なのに、それがうまくいっていないことを議論しています。
今回は、人事を使って官僚を従わせることについて述べました。官僚が「左遷」を恐れて萎縮し、忖度したことが明らかになっています。 ある新聞は、「官邸主導、壊れた政官関係」「10年に及んだ人事権による『恐怖政治』」と表現しました。

官邸による人事を使った官僚の操縦について、官僚たちはどのように考えていたのか。北村亘・大阪大教授の「官邸主導の理想と現実:2019年及び2023年の官僚意識調査から見た政策形成」(台湾国立政治大国際関係研究センター「問題と研究」2025年3月号所収)を紹介しました。多くの場合は、「やり過ごす」ことで耐えたようです。

政治家による官僚人事への介入は、制度の問題であるよりも、その時々の政治家の意向による人事権の運用です。それが乱用されて、官僚制の本質がゆがめられるようなことがあっては困ります。2023年10月3日付日本経済新聞「経済教室」、藤田由紀子・学習院大教授と内山融・東大教授による「政治主導と官僚制の行方」「英、官僚の中立性を守る工夫」を紹介しました。

ドイツ連邦公務員法(連邦官吏法)第62条には、上司に助言し補佐することが、「服従義務」の一つとして書かれています。そして第63条では、職務命令の合法性(適法性)に疑義がある場合は、直属上司に報告しなければなりません。それでもなお職務命令が続き、疑義がある場合は、もう一つ上の上司に連絡しなければなりません。

連載「公共を創る」第228回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第228回「政府の役割の再定義ー異論に耳を傾けることの大切さ」が、発行されました。

政治家と官僚の関係がうまくいっていないことの説明を続けています。
国会議員が官僚を怒鳴ることは、過去からありました。私もで何度か、そのような目に遭ったことがあります。説明を求められて議員会館の事務所に行った際に、議員の意向に添えないことを説明したら、罵倒されたことがありました。長時間、半ば「監禁状態」に置かれたこともあります。当時はそれが当たり前と思っていましたが、いま考えると変なことでした。
そのようなことが行われたのは、官僚が「力を持っている」「政治や政策を決めている」という前提があったのではないかと思います。政治家が自らの意思を通そうとするなら、個々の官僚を怒鳴って従わせるのではなく、政治主導によって実行すればよいのです。

第2次安倍政権時代以降、「野党合同ヒアリング」と呼ばれる場が、しばしば開催されました。野党議員が合同で、会議室に各省の官僚を呼んで、特定の政策や案件について質問をするのです。そして時に官僚を怒鳴りつけ、官僚が無言のまま立ち往生したり、頭を下げて謝るといった場面がありました。その様子は動画サイトで中継され、「官僚つるし上げ」ともいわれました。

旧自治省では、「二度は反論して良い」と教えられました。さすがに政治家には二度も反論することは控えましたが、状況を見て異論を言うことを試みました。
私の話を最も聞いてくださった(ただし意見を容れてくださるかどうかとは別です)のが、麻生太郎・総務大臣でした。そして、首相を目指しておられた麻生大臣から、政策についての意見を求められるようになりました。
2008年9月に発足した麻生内閣で、筆頭格の首相秘書官に起用されました。首相秘書官になっても、このような関係は変わりませんでした。というより、他の人が言わないこと、時に首相にとっては「耳の痛いこと」を言うのが、私の任務だと考えていました。

連載「公共を創る」第227回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第227回「政府の役割の再定義ー官僚の意見を聞かない「政治主導」」が、発行されました。

政治家と官僚との意思疎通の重要性を議論しています。ところが、首相官邸と各省との間で十分な打ち合わせがなされない場合や、信頼関係ができていない場合があるのです。
前回、安倍晋三首相の回顧録から、「安倍政権を倒そうとした財務省との暗闘」の記述を紹介しました。財務省が安倍首相を「引きずり下ろそうと画策した」というのです。この記述は、首相本人が語っておられる回顧録です。見出しに部下組織との「暗闘」と書かれるのは、穏やかではありません。

菅官房長官・首相は、本人が自ら、総務相時代に、総務省幹部の反対を振り切って、意に沿わない課長を更迭したと書いておられます。また、財務省主計局長の説明に対し、資料を投げつけ、怒鳴ったとも報道されています。
「役人として面従腹背が必要」と発言した、元文部科学事務次官もいました。「忖度」という言葉も、流行しました。

「面従腹背」にしろ「忖度」にしろ、かつては役所では聞かなかった言葉です。そのような言葉が必要な状況になったとすると、大きな問題があるように思えます。そのような状況では、当時の多くの官僚たちは、力を十分に発揮することはできなかったと思われます。
このような事態が生じたのは、官僚主導から政治主導へ転換しようとする意識が、過度に働いたことによるとも考えられます。「政治主導とは官僚主導の否定である」と意識されたのです。そして、官僚の意見を聞かないこと、官僚の意見に反対することが、「政治主導」と思われたのかもしれません。

連載「公共を創る」第226回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第226回「政府の役割の再定義ー政治家と官僚の関係」が、発行されました。
第199回から、政治主導がうまくいっていないことを分析しています。その1は「政治家と官僚の役割分担がうまくいっていないこと」(第204~207回)、その2は「政治家が政治主導を使い切れていないこと」(第207回~前号)です。今回からその3として、「政治家と官僚の関係」がうまくいっているのかどうか、どうすればいいのかを考えてみます。目次も新しくしました。「目次9

ことさらに「政治家と官僚の関係」を取り上げるのは、二つの問題を見聞してきたからです。
一つは、大臣が官僚を使う際に、意思疎通がうまくできていないような例があることです。その結果、仕事が進まない、お互いに心理的負担が生じるといったことにつながっています。このような事象は、かつてもありました。
もう一つは、近年の気になる問題です。政治主導を目指した内閣において、特に官僚との関係に問題が生じたように見えることです。官僚を排除した民主党政権(2009~2012年)と、官邸主導を強力に進めた第2次安倍晋三政権以降(2012年~)での事案です。

会社にしろ役所にしろ、組織としての成果を挙げることと、社員と職員が気持ちよく働いて成果を出すことが重要です。このためには、上司と部下が十分な意思疎通をすることが必要であり、各幹部は常にそれを考えているはずです。ところが、国家を動かすために組織の力を最も振るわなければならないはずの内閣や各省において、それがうまくいっていないことがあるのです。首相や閣僚は選挙で選ばれた職業政治家です。試験を受けて採用され経験を積んできた職業公務員である官僚とは、違った経歴を持ちます。それが故に、二者の関係を良好に保つには、努力が必要なのです。

私は、「明るい公務員講座 管理職のオキテ」を出版し、部下を使って良い成果を出すコツを公開しました残念ながら、それに反したことがこういった組織でも行われてしまっているのではないかと心配です。
うまくいっていない事例として、民主党政権での官僚排除、現場を混乱させる首相指示、安倍首相の官僚不信などの実例を挙げました。