連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第219回「政府の役割の再定義ー政治主導を阻む全会一致の慣習」が、発行されました。
各府省が作った法案を国会に提出できないという不思議なことが起きます。異論があれば、国会で議論すればよいのですが、提出ができないのです。その原因は、前回まで説明した与党事前審査と共に、与党各機関での意思決定の際の全会一致という慣例です。
政治とは、意見の異なる者たちの間で、一定の結論を見いだす過程です。その際に、権威主義や独裁主義の体制では特定の者が結論を決めて押し付けるのに対し、民主主義では構成員が決定権を持つので、まずは議論を尽くして全員が納得するように努めます。しかし、議論しても一致しない場合は、永遠に先送りはできません。そこで、最後は多数決で決めるのが通常です。
民主主義は、それと融和性のある多数決原理と一揃いになることで、初めて実際に運用できる政治形態になるとも言えるのです。国会が、まさにそういう仕組みです。
与党内に異論があると、政府の法案が提出できない、国会審議には入れないことは、日本の政治にとって不幸なことであるだけでなく、行政の運営や、ひいては国民の生活にも悪影響を及ぼしているのではないでしょうか。
次に、官僚の抵抗です。自民党総裁である首相が、与党を従わせることができない、それによって改革を進めることができないことを説明してきました。自民党のような巨大な組織にも、構成員は平等であるというホラクラシーの原理が働くのです。これに対し、官僚は首相の部下ですから、ヒエラルキー原理の下、命令によって従わせることができるはずです。しかし、現実はそうは進みません。第216回で説明した三位一体の改革では、小泉純一郎首相が各省に「廃止し一般財源化すべき国庫補助金を提出するように」と指示したのに、各省は従わなかったのです。
ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが「職業としての政治」の中で「政治とは、情熱と判断力を駆使し、硬い板に力を込めてじわじわっと穴をくり貫いていく作業である」と述べたのは有名です。
意見の違いがある場合に、それを集約することが政治の役割です。全員が賛成している状況では、政治家は必要ありません。反対がある場合に、どのようにして正しいと考える政策を実現するか。そこに、政治家の力量が試されます。
日本は成熟社会になりました。かつてのような右肩上がりの財源の分配はできなくなり、他方で「豊かになる」という共通目標がなくなり国民の意見が多様になっています。国際社会では秩序が壊れ、安全への不安が高まっています。このような状況の中で、反対意見がある限り判断を先送りするという対応では、政治は機能せず、国民の支持も回復しないでしょう。