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行政-社会

カタカナ英語の限界

最近、新幹線の車掌さんによる車内放送で、日本語の他に英語による案内が増えました。これまで英語による案内は、録音したテープによるもののようでした。
車掌さんによる英語案内は、外国人乗客の増加に対応してよいことですね。もっとも、日本人車掌(と思われます)さんたちの発音は、まだ英語を母語とする人たちのようには、いかないようです。英語と日本語で音韻体系が大きく異なるので、日本人が英語を英米人並に発音するのは、かなり難しいです。

ところで次は、日本人による英語の発音とは別の話、カタカナ語の話です。
東北新幹線に乗っていて、大宮駅が近づくと、乗り換えの車内放送があります。最初に日本語の案内があり、続いて英語での案内があります。これは、車掌さんの声でなく、録音の再生です。

上越新幹線、北陸新幹線、JRの各在来線、私鉄が案内されます。その一つに、「東武アーバンパークライン」があります。東武野田線の愛称のようです。
それを聞いていると、「とおぶ あーばん ぱーくらいん」という発音と、 [ toːb  ərbən pɑ’ːrk láin]  とは、まったく別ものですね([toːb]は私が勝手に充てた表記なので、自信がありません)。
最初、英語での案内を聞いたときは聞き取れず、何のことだろうと悩みました。その後、注意しながら聞いたら、「東武アーバンパークライン」だとわかりました。
「アーバン」と「パーク」は、これが英語の発音なのだと、感激します(笑い)。皆さんも東北新幹線に乗ったら、聞いてみてください
変な日本語、カタカナ語

鉄道運転停止のお知らせ

今日、電車に乗っていたら、車内の案内掲示に「××線は、台風のため運転を見合わせています」という趣旨のお知らせがありました。
???
「また台風が来ているのか」とも思いましたが、どうやら先日の台風19号による線路の被害で、運転を取りやめているようです。
「台風のため」ではなく、「台風による線路の被害で」といった趣旨の表現にするべきでしょうね。
もう一つ、「見合わせています」も、日本語の初心者にはわかりにくいですね。「不通」は、外国人には「普通」との違いがわかりにくいので、使っていないようです。

「電車が参ります」という放送も、「電車が来ます」の方がわかりやすいと思うのですが。
これからは、外国人も想定して、分かりやすい日本語を使うべきでしょう。「チャージ金額」「エリアマップ

増大する自然災害被害

10月17日の日経新聞オピニオン欄、カーニー・イングランド銀行総裁へのインタビュー「新たなリスクに揺れる金融」から。

・・世界中で新たな金融リスクが台頭している。気候変動が企業業績に及ぼす影響が増し、情報開示や投資の見直しを求める声が強まっている。IT(情報技術)の進歩は既存金融の枠組みを揺さぶる・・・

・・・気候変動がもたらす金融リスクは主に二つある。一つは実際の災害発生に伴う経済損失だ。日本も近年、様々な自然災害に苦しんでいる。英保険業界によると、過去数十年で自然災害の発生件数は約3倍に、損失額は約5倍に膨らみ、今後も拡大し続けるだろう・・・

自然災害がどれくらい増加しているかを、数値化するのは難しいです。地球温暖化は数値化できますが。台風の大きさや豪雨の大きさは、足し算はできないでしょう。しかし、損失額は近似値として使えますね。

畑村洋太郎先生、失敗に学ぶ

10月18日の朝日新聞オピニオン欄、畑村洋太郎・元政府事故調委員長・東京大学名誉教授へのインタビュー「失敗を直視せよ」から。

――失敗学を提唱されて30年になります。
「成長や進歩に失敗はつきものです。失敗が起きても結果が我慢できる程度に収まるように準備することがなによりも重要です」
「日本の国内総生産(GDP)はここ30年、ほとんど伸びていません。つまり明治維新、高度成長の『成功』の後、『失敗』が続いているのです。世界中の知識や科学を総動員して日本の行動様式や考え方にある欠陥、欠点を改めるべき時期だといえます。今こそ失敗学が求められていると思いますが、そうした論調は出てきません」

――なぜですか。
「日本社会は、失敗に向き合うことが苦手だからです。明治維新がうまくいったことが苦手の根底にあるように思います。世界中に手本になるモノを探しに行って、具合良くできあがったものがどこかにあれば、それを取り込むことにばかり一生懸命になった。技術を生んだ国はドイツもフランスも300年以上数々の失敗を重ねて、痛い目にあっています。日本は明治維新から150年しか経っていない。失敗の蓄積が少ないがために、技術の危うさに気づく人が少ないのです」・・・

――失敗学の成果の実例を一つ挙げるとしたら何ですか。
「2004年の新潟県中越地震で時速約200キロで走っていた上越新幹線『とき325号』が脱線しましたが、100人以上いた乗客・乗務員に死傷者は出ませんでした。1995年の阪神・淡路大震災で山陽新幹線の高架橋が落ちた『失敗』に学んだ結果でした」
「地震の揺れと軟弱な地盤が重なると新幹線の橋脚も壊れうると知って、JR東日本は約8万本の橋脚を全て調べ、一番危ないところから補強を始めていました。その補強した高架橋を『とき325号』は地震発生時に通過していました。現場では地盤の液状化が起こっていて、補強していなければ高架橋が落ちたところに新幹線が突っ込み、大惨事になっていたでしょう」

畑村先生は、このホームページで何度か紹介しています。「存在する答えに向かうことと、自分で答を探すこと」「失敗学

物が増えたこの70年

台風被害に遭った地域での、後片付けが報道されています。たくさんの家財が水に浸かって、使えなくなりました。それらが、災害ゴミになっています。この処分が、大変です。
その映像を見て、物が増えたなあと思いました。
戦後の大きな台風としては、狩野川台風(1958年)や伊勢湾台風(1959年)、第二室戸台風(1961年)が引き合いに出されます。当時は日本家屋は強靱でなく、大風や浸水で壊れたようです。しかし、災害ゴミが大量に積み上げられたことは、なかったのではないでしょうか。

当時は、経済成長が始まる前で、家庭にはそれほど家財道具がなかったのです。タンスやちゃぶ台、お釜などはありましたが。
現在の家にある電化製品のほぼすべては、その当時にはなかったのです。豊かさの象徴となった、電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビを「三種の神器」と呼んだのです。それを買うのが、昭和30年代の多くの日本人の夢でした。
私は昭和30年生まれ、経済成長の及んでいなかった農村(明日香村)で育ったので、この物が増える過程を経験しました。当時の居間には、本当に物は置いていなかったです。
若い人には、想像がつかないでしょうね。物を持たない(世間に物がない)生活でした。もちろん、それだけ不便でした。

家財道具だけでなく、食料品や衣類などもです。大量生産、大量消費の時代が来て、それらがゴミとなった後の始末も大変になりました。市町村が、焼却場を造って、受け入れました。

今和次郎先生が、「考現学」を提唱されました。考古学に対して、今の生活を研究するのです。その調査の一つに、一家の持ち物調べがありました。それぞれの家の中にある、家財や物をすべて屋外に持ち出して、それを記録することだったと記憶しています。松岡正剛さんの紹介
昭和30年代と現在とを比べると、その数の増え方にびっくりすると思います。