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社会

英語で言う「日本人ファースト」

9月4日の朝日新聞オピニオン欄「排外主義を考える」、サンドラ・ヘフェリンさんの「ずっと「日本人ファースト」」から。

・・・参院選のさなかにあふれた「日本人ファースト」という言葉に違和感を覚えました。「日本人」を強調したいのなら、「日本人第一」では、と。私のような外国にもルーツのある人たちに居心地の悪さを強いる言葉の重さに比べ、発信する側の軽さを感じました。

私の父はドイツ人、母は日本人ですが、ドイツでは極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が勢いを増しています。排外主義の動きは先進国で広く見られ、移民や難民流入の不満など様々な要因が指摘されています。しかし、難民の受け入れ数なども桁違いに少ない日本でなぜ、排外的な動きが起こるのか、よくわかりません。日本はずっと日本国内においては「日本人ファースト」だったのではないでしょうか。

日本の国籍法は、外国の国籍を取得すると日本の国籍を失う、としています。明治時代に定められ、今も11条1項として残っています。これは研究者など海外で仕事をする日本人や、国際結婚などにより外国に住む日本人にとって理不尽な規定です。

日本の社会は、人を「見た目」で「日本人」と「外国人」に分類しがちです。数年前に口座を作ろうと地元の信用金庫を訪ねた時のこと。日本のパスポートや印鑑を窓口で示し、手続きをしたのですが、窓口の職員は「地元にもっと近い信用金庫があるのでは」とライバル店の名を挙げ、口座を開設しようとしません。口座は作れたものの時間がかかったのは、私の見た目が「外国人ふうの顔」だったからかもしれません。
「踏み絵」を迫られることもしばしば。「あなたのアイデンティティーは」と尋ねてきた人に、「自分は日本人で同時にドイツ人」と答えてけげんな顔をされました。アイデンティティーは一つでどちらかを選ぶべきでは、と言いたげでした・・・

SNSのSはsocialではなくstupid

9月3日の朝日新聞オピニオン欄、野田秀樹さんの「AI時代に「考える」」から。

――10年ほど前、野田さんが「人が何かを受け止める順番は『感じる・考える・信じる』のはずなのに、最近は『考える』が抜け落ちて、『感じる・信じる』が直結しているのではないか」と指摘したことが強く印象に残っています。
「私なかなか良いことを言いましたね。考えることが面倒なのか、手続きとして重要でないと思っているのか、ますます『感じる・信じる』になってきている気がします。SNSで見たことがすぐに信念になる、みたいなことも起きていますし」

――野田さん自身は、「感性」が当時のキーワードだった1970年代後半から80年代にかけて「若者演劇の旗手」として注目されましたが。
「当時はフィーリングとか言って、『感じる』が重視されていましたが、私はそれが気持ち悪かった。それでも演劇で『考える』を前面に出さなかったのは、60~70年代の学生運動を少し下の世代として見ていて、考え過ぎた人たちの不幸を目の当たりにしたことが大きかったからだと思います」
「既成の権威への反発は若さの特権で、それは今も変わらない。若い人口が多かったこともあり、大きな連帯が生まれ、世界を変えられるのではないかという夢があった。自分の思いもそちら側にありました。でも、72年、『あさま山荘事件』が起き、直後に連合赤軍内での残忍な内ゲバ殺人が明らかになった。これは絶対ついていけないと思った。それを上の世代がきちんと総括していないことに不信感も募った。この体験はその後、自分が理想について考えるのに影響していると思います」・・・

・・・「生まれる50年前にあった日露戦争を、私は身近に感じたことはない。今の若い人にとって第2次大戦は同じくらい遠いでしょう。かつてのように、伝えよう、教えようとするのは難しいと思います」
「ただ、歴史を知らないことは危うい。この前の参議院選挙で、独自の憲法構想案を作っている党が議席を増やしましたが、書かれていることを見ると、主権とは何か理解しているのか、疑わしいですよね。そこを考えずに、党の主張の中でいいなと感じる『部分』だけ見て投票した人も多いでしょう」

――「部分」はSNSで広がりやすいですし。
「短歌や俳句のように言葉をそぎ落とす文芸は別ですが、普通、何かを伝える文章には、ある程度の長さと、考えるための時間が必要です。思いつきで書く百数十字で何が言えるんだ?と思いますね。オールドメディア対SNSで、SNSが優位みたいな切り口になってるけれど、それも大ざっぱ過ぎる。オールドって言った時点で、そっちがダメって感じになるじゃないですか。フェイク情報や悪意をまき散らす場合、そのSは『social(社会の)』ではなく『stupid(愚かな)』だとはっきり言った方がいい」

少子化。若い人が希望をもてているか

9月3日の朝日新聞「少子化を考える」、藤波匠・日本総研主席研究員の「若い人が希望をもてているか」「子が欲しくても断念、日本社会の問題 賃上げと雇用の正規化は企業の役割」から。

―国内で2024年に生まれた日本人の子ども(出生数)は約68万6千人。1人の女性が生涯に産む見込みの子どもの数を表す「合計特殊出生率」は1・15と過去最低でした。加速度的に少子化が進んでいると指摘されています。

予想されていた数字で、大きな驚きはありません。少子化の最大の要因は若い人たちが減っていること。少子化が劇的に改善することは、しばらくないでしょう。
私は、こうした数字は社会の状態を表す「指標」だと考えています。

――どういうことでしょう?

「若い人たちが将来に希望をもてているかどうか」の指標です。
自らの選択で「子どもは望んでいない」ということであればよいのです。でも実際には、希望しながら子どもをもてない人が多くいるのではないでしょうか。雇用が不安定で、経済的な不安がある、仕事が忙しすぎてタイミングを逃した……。だとすれば、そこに日本社会の問題があるのではないか。放置していてはいけないのではないか。これが、私が少子化対策が重要だと考える理由です。
たとえば、正規雇用の女性に比べ、非正規雇用の女性のほうが結婚や出産に後ろ向きだとする調査結果もあります。子どもをもつ世帯が低所得層で減り、中高所得層に偏ってきています。
結婚や出産の意欲の低下を時代の変化や価値観の変化で片付けてよいのか、という問題意識があります。

――そういう意味では、日本はバブル崩壊以降、「失われた30年」でした。

私の研究では、大卒の男性正社員で比べると、団塊ジュニア世代の生涯年収はバブル世代に比べて2千万円ほど低い可能性が示されています。これは子ども1人を産んでから大学卒業までにかかる費用に匹敵します。
若い世代が上の世代より貧しいことはあってはならず、少子化は当然の帰結です。30年にわたり低成長に有効な手を打たなかった歴代政権、低賃金に抑えて派遣労働を拡大させた事業者の責任は免れないと思います。

――どんな少子化対策が必要でしょうか。

児童手当などの現金給付は否定しませんが、すぐに効果は出ないでしょう。多子世帯に手当を厚くする対策が目立ちますが、それによって、終戦直後のような5人も6人も子どもがいたような時代に戻れるとは到底思えません。それよりも、第1子にたどりつけない人たちを支援することが重要だと考えます。
若い世代が夢をもって生きていける社会をめざすべきで、賃上げや非正規雇用の正規化などを担うのは企業の役割です。
日本社会の構造的な問題にもメスを入れる必要があります。職場での残業や、休日などの自己研鑽を美徳とする風潮が依然としてあります。若い時期から、仕事と家庭生活を並行して送れるような社会をつくっていくべきです。そのためには「男性は仕事、女性は家庭」といった性別役割分業に根ざしたジェンダーギャップの解消も欠かせません

席を譲られた

先日の地下鉄での出来事です。乗ると、席は埋まっていて、車両の中程まで進み、鞄を棚に乗せました。前に座っていた外国人旅行者2人連れが、席を替わりましょうかと手で合図してくれました。結構ですと手で制しながら、I’m young.と言ったら、笑っていました。

去年イギリスに行ったときに、地下鉄で即座に席を譲られたことを思い出しました。日本の鉄道では、譲ってもらったことはないですね。このことは、去年コメントライナーに書きました。一部を載せます。
・・・先日、ロンドンの地下鉄に乗ったときのことです。私たち夫婦が乗り込むと、若い2人がすぐに立ち上がって席を譲ってくれました。「そんな年寄りではないんだけど」と思いつつ、「サンキュウ」と言って座りました。
帰国して空港から電車に乗ると、大きな旅行鞄を前に置いて座っていた観光客2人が、席を譲ってくれました。アジアの人でしょうか。ここでも「サンキュウ」。しかし、次に乗り換えた電車では、誰も席を譲ってくれませんでした。

小学生の孫が足にケガをし、松葉杖をついて登校しています。ある朝、出勤の際に一緒に地下鉄に乗りました。誰も孫に席を譲ってくれません。座っている人たちは、居眠りをしているか、スマホを操作しているか、まったく周囲に関心がないように見えます。
災害時の日本人の助け合いは、世界が称賛しています。それを支えた他者への思いやりと共助の精神が弱くなると、安心安全な社会は壊れます・・・

日本人は意外と冷たいです。ただし、他人に冷たいのは、最近に始まったことではありません。助け合いの精神が発揮されるのは、「身内」「知り合い」に対してで、「外の人」に対しては冷たかったのです。これは、農村の村社会でつくられた通念、慣習のようです。
鉄道でも、知り合いが来たら即座に席を譲ります。ただしその際は、目上と目下という、もう一つの通念が働きます。

不要になった土を回収する

9月2日の朝日新聞東京版に「不要になった園芸用の土を集めます→4カ月で2トン超 三鷹市」が載っていました。
都会ならではの問題ですね。田舎の人が聞いたら、びっくりするでしょう。
でも、私もアサガオやチューリップを植木鉢やプランターに植えるために、土を買いに行きました。買うという「動脈」があれば、捨てる(回収する)という「静脈」も必要ですわね。

・・・東京都三鷹市と武蔵野市にまたがる都立井の頭公園に、園芸用の土の投棄が相次いだことを受け、三鷹市が家庭で不要になった土の回収を始めたところ、4カ月で2トン以上が集まった。市が8月25日、明らかにした。
回収した土は堆肥を混ぜるなどして再生させ、同市で10月4日にある「ガーデニングフェスタ2025」などで無料配布する(1袋5キロ)。

これまで市は、「ゴミではない」として園芸用の土を回収しておらず、市民から問い合わせがあると、有料の回収業者を紹介したり、購入した園芸店に問い合わせるよう促したりしていた。ただ、井の頭公園への投棄が相次ぎ、生態系への影響が懸念される事態になっていた。
そこで、4月から第2土曜日にリサイクル市民工房(深大寺2丁目)と新川暫定広場(新川1丁目)で回収を始めたところ、7月までに延べ301人から2トン以上が持ち込まれた。
1回の持ち込み上限は1世帯10リットル。担当課によると「これでマンションでも安心して園芸が続けられる」といった好意的な声が寄せられているという・・・