カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

行政-社会と政治

空き家問題、住宅を資産として考えない日本の意識

東京財団政策研究所のレポート「所有者不明土地問題」に、砂原庸介・神戸大学教授が「空き家問題:対症療法だけでなく長期での取り組みを」(6月21日)を載せておられます。

住宅を資産として考えるか、海外との意識の差を指摘しておられます。
・・・日本の文脈において、資産としての住宅という観点が強調されにくくなっているということではないか。資産価値を重視するからこそ十分な管理が行われて良質な中古住宅が市場に出るし、自分の資産の価値に影響を与える他者の行動に対する関心も高まる。所有者本人の観点からしても土地や住宅を空き家、ひいては「所有者不明」とするのは惜しいし、周辺住民や地方自治体から見てもそんな状態を放置することができないという感覚が強まると考えられる。日本の現状は、住宅の住む機能のみが過度に強調されて、その住人(所有者のみならず貸借人も含む部分がある)が自由に扱うことが許されていることを反映しているのではないか。それは一方で好きに住むということで空き家としての放置を許し、他方で好きに処分するということで土地が投機を招くことにもつながっていると思われる・・・

・・・ズレのもう一つの原因は、住宅が特定の個人のみに帰属する資産だという発想ではないかと考えられる・・・
・・・しかし、注意しなくてはいけないことは、土地や住宅の価値はその所有者の意思や行為のみによって決まるわけではない。周辺の土地や住宅がどのように管理されているか、ということも重要である。とりわけ集合住宅ではそのような性格が強くなる。言い換えるならば、住宅の金融資産として価値を蓄える、貯金のような機能があるとしても、それは個人において完結するのではなく、周辺地域の価値と連動しうるのである。たとえば、住宅の近くに新たに線路が敷かれるということであれば、騒音に悩まされることで価値が低く評価されることになるかもしれないし、反対に線路に加えて近くに鉄道駅ができると便利な地域として住宅の評価が上がるかもしれない。それは(招致運動や反対運動に参加することがあったとしても)基本的に所有者の意思や行為の帰結ではなく、他の土地や住宅の所有者の意思や行為に基づくものである・・・

・・・このように、同じ地域に住む他の人々の行動が、自分の資産の価値に影響するという観点から考えたとき、空き家というものが周辺からそのまま放置されるというのは非常に奇妙なことに見えるのである。日本の文脈で考えれば、土地や住宅という特定の資産を処分できるのはその所有者であり、所有者が住宅を利用せずに空き家として放置していることは、ある意味で所有権の正当な行使の範囲内にあると理解されるだろう(「正当」とされるのかは微妙だが)。しかし、自分の土地や住宅を将来売却する可能性がある資産として捉える見方が強ければ、地域に何か新しいものを建設する場面、とりわけそれまでの土地利用の用途を変える局面では、影響を受ける地域全体の集合的な同意が極めて重要なものとみなされる。そして、空き家を放置する行為は所有者としての正当な責任を果たさないものであり、自分自身の資産を守るために地方自治体や周辺の住民で一致して介入するという発想がむしろ自然なものとなるのである・・・

私も、戦後日本で進んだ「土地に関する所有権の絶対化」が、背景にあると思います。端的に言うと「所有者はその土地をどのように処分しても良い、他者は意見を差し挟めない」です。周囲との関係が忘れられている、公共の福祉との折り合いの付け方がうまくできていないのです。

アメリカの保守主義の変化、市場主義が家族を破壊している

会田 弘継・青山学院大学教授の「アメリカが心酔する「新ナショナリズム」の中身 保守主義の「ガラガラポン」が起きている」(東洋経済オンライン6月28日)が、興味深いです。

・・・そのカールソンは1月初め、市場経済とアメリカの「家族」の問題について、次のようなことを番組の中で長々と「独り言」として述べた。
「アメリカでは今や、結婚は金持ちしかできない。そんなことでいいのか。半世紀前には、結婚や家族生活において階級格差などほとんどなかった。1960年代後半から、貧困層が結婚できなくなった。1980年代には労働者階級のかなりの部分でそうなってきた。18~55歳の貧困層では26%、労働者階級では36%しか結婚していない」

労働者階級の子どもを見ると、半分近く(45%)が14歳までに両親の離婚に直面している。さらに婚外子、家庭崩壊などが激しく増加している。中間層以上の裕福な家庭では56%の成人が結婚しており、離婚率もずっと低い。どうしてか。
市場経済がなすがままにする連邦政府の誤った政策が、労働者階級の「家族生活」の経済的・社会的・文化的基盤を台無しにしている。カールソンはそう批判した。製造業の働き口がなくなり、高卒以下の労働者の賃金が下がり続け、結婚もできず、家庭は崩壊し、薬物・アルコール濫用、犯罪増加につながっている、と指摘した。
富裕層のエリートたちは労働者を踏み台にして、脱工業化経済の中で繁栄を享受しているのに労働者の苦境に見て見ぬふりをしている。「すさまじい怠慢ぶり」だ、とカールソンが激しく批判した。
共和党だけでなく民主党も同罪だと述べ、大きな問題は、アメリカ保守思想の一方の核である「市場」が、もう1つの核である「家族」を破壊しているということだ、と論じた。「家族の価値」を重んじる保守派による資本主義批判という点が注目される。

これに対し、中西部ラストベルトの崩壊貧困家庭からはい上がって、自身の物語を『ヒルビリー・エレジー』という本にまとめ、今は保守派論客となったJ・D・ヴァンスは保守派論壇誌『ナショナル・レビュー』への寄稿で満腔の賛意を表明した。
アメリカのGDPは拡大し、輸入雑貨が安く買えても、子どもの死亡率は下がらず、離婚も減らないし、寿命まで縮んでいる地域がある。これで豊かな国だといえるのか。「政府の介入」が必要だ。「市場が解決する」などありえない。

トランプ政権時代に入り、アメリカの保守派からこうした声が出るのは当たり前のように思えるが、FOXテレビや『ナショナル・レビュー』という保守の中核メディアで保守派論客が堂々と市場経済を否定し、大きな政府(「政府の介入」)を求め、しかも市場経済が家族を破壊しているとまで主張するのは、大きな思想変化が起きたことを意味する。既成の保守派内から猛然と反論が出たのは当然であった・・・

私も連載「公共を創る」で、科学技術と市場経済の発展は必ずしも社会を幸せにしないこと、「見えざる手」だけでは「暴走」を食い止めることはできないことを書いているところです。

保守勢力としての労働組合

6月1日の日経新聞オピニオン欄、藤井一明・経済部長の「フリーランスが崩す岩盤 働き方改革、複眼的に」から。
・・・平成が幕を下ろすのを待ち構えていたかのように、JR東日本の労働組合から組合員が大量に流出している。2018年2月に約4万6千人いた最大労組の組合員数は改元を間近に控えた19年4月で約1万1千人にまで落ち込んだ。ほかの労組も含め、加入している人の割合を示す組織率はかつての9割から3割に急落した・・・

記事には、労働組合の組織率の各国比較もついています。スウェーデンの67%を例外として、イギリス24%、日本17%、ドイツ17%、アメリカ10%、フランス8%です。
半世紀前と、全く様変わりしました。労働者の待遇がよくなり、労組に加入する利点が見えません。また、政治的には共産主義・東側に近かったのですが、冷戦の終結でその意義もなくなりました。

記事では、他方でフリーランスが増えていることを取り上げています。ここでは、それに関して、労組の問題を取り上げましょう。フリーランスのほかに、非正規社員もいます。この人たちは、既存労組に入っていません。
かつて労働組合は、「市民との連帯」というスローガンを掲げていました。しかし、その人たちとの連帯を進めることなく、正規職員の利益を守ったようです。ここに、労組が革新勢力ではないことが見えてしまったのです。

「標準型家族観」からの転換

5月28日の日経新聞経済教室、白波瀬佐和子・東京大学教授の「人口減少社会の未来図 「包摂型」へ格差に積極介入を」から。
・・・人口減少の重要な要因の一つに少子化がある。少子化とは、人口置換水準(人口の国際移動がないと仮定し、一定の死亡率の下で現在の人口規模を維持するための合計特殊出生率の水準)に満たない状況が継続することをいう。その背景には60年代の成功体験を支える家族・ジェンダー(性差)を巡る考え方がある。
79年に自民党政務調査会が提案した「家庭基盤の充実」は、男性1人稼ぎ手モデルに代表される固定的な性別役割分業体制を前提としていた。しかし今では、非正規雇用率が高まり、若年市場の悪化が進んで、家族を形成する時期が遅れているうえ、自らの家族を形成しない者も増えた。
初婚の平均年齢は60年には男性27.2歳、女性24.4歳だったが、17年にはそれぞれ31.1歳、29.4歳となった。50歳時の未婚率は、60年には男性1.3%、女性1.9%だったが、15年にはそれぞれ23.4%、14.1%と大幅に上昇した・・・

・・・日本は今なお、伝統的ジェンダー体制を基に標準型家族を前提とする社会保障制度の下で、医療、所得、雇用、福祉など社会的リスクへの制度設計は縦割りで、人々の様々な生活リスクの第一義的対応機能を家族が担う場合が多い。しかしながら現実には、病気の子や要介護の親を抱えながら、あるいは自身が何らかの障がいをもって働くことも、決して例外的なことではない。
医療や所得保障、雇用や教育の制度設計にあたり、リスクが重なり合う場面を想定せねばならない。そこでわれわれが目指すべき社会モデルの一つが包摂型の未来だ。その理由は、これまで単線的、かつ縦割り的な制度設計の中で、十分に才能を開花させる場面に恵まれなかった人々の状況を修正することにある。負の遺産を解消すべく斬新な発想を社会実現につなげ、承認・支援の環境を積極的に構築する必要がある。そこにこそ日本の未来がある・・・

・・・ここでのポイントは、評価軸が一つでないので善しあしの基準が一元的でないこと、複数の軸が単純な上下関係にないことにある。
日本がかつて同質社会と特徴づけられた背景には、この評価軸が一定で、物事の善しあしの判断が単一基準によりなされてきたことがある。しかしながら超高齢社会の日本が手本にすべき既存モデルがない中で、直面するリスクをチャンスに変えるにはまず価値のパラダイムシフト(枠組み転換)が必要となる。既存の評価軸だけでは不十分だ。
もう一つは、世の中を変えるため、既に存在する格差に能動的に介入することだ。そこでの介入を一時的に終わらせないためには一定のスケールが必要で、世の中を動かす起動力となるまで高めねばならない・・・

長寿によってそぐわなくなる既存制度と意識

5月23日の朝日新聞1面に「人生100年、蓄えは万全? 「資産寿命」、国が世代別に指針 細る年金、自助促す」という記事が載っていました。

・・・人生100年時代に向け、長い老後を暮らせる蓄えにあたる「資産寿命」をどう延ばすか。この問題について、金融庁が22日、初の指針案をまとめた。働き盛りの現役期、定年退職前後、高齢期の三つの時期ごとに、資産寿命の延ばし方の心構えを指摘。政府が年金など公助の限界を認め、国民の「自助」を呼びかける内容になっている・・・
金融庁の指針案は、金融審議会の資料「高齢社会における資産形成・管理」という報告書案のようです。

・・・平均寿命が延びる一方、少子化や非正規雇用の増加で、政府は年金支給額の維持が難しくなり、会社は退職金額を維持することが難しい。老後の生活費について、「かつてのモデルは成り立たなくなってきている」と報告書案は指摘。国民には自助を呼びかけ、金融機関に対しても、国民のニーズに合うような金融サービス提供を求めている。
報告書案によると、年金だけが収入の無職高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)だと、家計収支は平均で月約5万円の赤字。蓄えを取り崩しながら20~30年生きるとすれば、現状でも1300万~2千万円が必要になる。長寿化で、こうした蓄えはもっと多く必要になる・・・

長寿は良いことなのですが、これまで私たちが想定していた「人生モデル」が成り立たなくなっています。