・・日本の財政は平成の「失われた10年」の後遺症ともいうべき公的債務残高の塊と格闘している。しかも貧富の懸隔は拡がり、地方は疲弊し、生命を守る医療や老後の安心を支える年金制度にも綻びが目立つ。頼みの綱となる税制はやせ細っているが、負担の問題を真正面から議論することは先送りされている。混沌と社会を覆う閉塞感を払いのけて、希望に満ちた未来へとわれわれを導いてくれる曙光が差してくるのは、一体いつになるのであろうか・・
・・問題の設定の仕方が正しければ、半分は解けたも同然だといわれる。それと同じように、財政の将来を展望するには何よりも現状をトータルに正しく把握することが必要だ。しばしば「大きな政府」か「小さな政府」なのかという形で財政の将来像が議論される。一体、先進諸国の福祉国家と比べた場合に、日本はどのような特色をもつのだろうか。
『財政学』の最終章では、高い福祉需要と低い租税負担という正反対の極の間を揺れ動きながら、財政システムが将来どのように変貌するのかを展望した。書店の本棚で手にする教科書の目次の中に、読者がこのような章を発見するのは稀であろう。
財政学者の夢とは何だろう。・・筆者にとっては、財政学という切り口から現代国家の本質と今後の行方を探ることが夢であり、目標である。そして《福祉国家財政》という観点から、この夢に近づこうとした・・
「学問は、価値判断からは、中立でなければならない」と主張する人もいます。しかし、行政や財政など、現実の社会を対象としている学問において、それは成り立たない、あるいは役に立たない議論になる、恐れがあると思います。