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街の復興計画、住民の意見集約

2011年10月2日   岡本全勝

市町村では、街の復興計画づくりが進められています。県の復興計画は、基本的な方向と使う手法や制度の記述が主です。しかし、市町村では、どの地区をどのように使うかといった地図を作り、それぞれの場所に具体の事業を当てはめなければなりません。その過程で、住民の同意を取り付けなければなりません。特に津波被害を受けた地域は、元の状態に復旧することは、危険なのです。住宅や商店を移転する必要があります。
10月1日の朝日新聞に、鉄道を復旧する際のルート決定に関する記事が出ていました。津波被害を受けない位置に移す方向で、関係者が議論しています。しかし、駅は街の中心となるので、どこに作るかは住民の利害に直ちにつながります。
JR仙石線の東松島市の区間約6キロについては、内陸に移転することで、JR東日本と自治体が合意したとのことです。一方、JR常磐線の宮城県亘理町から福島県新地町の間約18キロの移設は、JRと沿線自治体とは同意しましたが、元の位置で復旧してほしいという住民も多いとのことです。

少し時間がかかりますが、地元で議論していただき、結論を出してもらう必要があります。「国が強力な権限で実行すれば、早く復興できる」といった意見をおっしゃる方もおられます。しかし、住民、自治体、JRを無視して第三者が決めることは、望ましくないでしょう。ご理解いただけると思います。

福島県の復興支援

2011年10月2日   岡本全勝

今日は、復興大臣のお供をして、福島県知事との会談に行ってきました。
ご承知のように、福島県は、地震津波災害に加え、原発事故災害、広い範囲での放射能汚染、さらに風評被害にあっています。一部地域で避難が解除されたとはいえ、まだ帰る見込みの立たない地域があり、広範囲での除染、風評被害からの復興も課題です。
県からは、財政面での支援や法律の特例を求められています。また、県の要望が各省にまたがるので、復興本部が窓口になって取りまとめるようにしています。今日はそれらの課題についての意見交換と、第三次補正予算での支援案について、説明してきました。これから息の長い取組になることも、予想されます。

現地本部の仕事

2011年10月1日   岡本全勝

宮城の現地対策本部だより第2号が、発刊されました。ふだん、どのような仕事をしているか、世間の方には見えることが少ないので、ご覧ください。

原発避難区域の復旧と復興

2011年9月30日   岡本全勝

今日30日、官邸で、原子力災害対策本部会合が開かれ、緊急時避難準備区域が解除されました。準備区域は、ごく簡単に言うと、おおむね第1原発から20~30キロメートルの地域で、子どもや高齢者など、自力で避難が難しい人は住んではいけない地域です。すなわち、すぐに逃げることができる人たちは、住んでいます。
指定が解除されたので、住民は戻ることができます。もちろん、半年間放置されていたので、道路や家、学校などが傷んでいるところもあります。放射能が少し高いところも、あります。それらを除染し、補修して、安心して住むことができるようにしなければなりません。よって、全員が戻れるには、もう少し時間がかかります。
インフラの補修などについては、復興本部が、各省、県、市町村の協力を得て、作業を進めます。

震災ボランティアの活躍・中間整理

2011年9月30日   岡本全勝

今回の大震災からの復旧と復興の特徴の一つに、ボランティア活動やNPOの活動があります。阪神大震災では、ボランティアが活躍し、ボランティア元年と呼ばれました。
今回も、多くのボランティアの方が参加して、活躍してくださいました。活動内容は、避難所での炊き出しなどのほか、津波に特有な家にたまった泥をかき出すこともありました。また、最近では、仮設住宅での孤立を防ぐ活動も、してもらっています。
民間の自発的行動なので、政府が口を出すことは慎んでいますが、ボランティア活動が円滑効率的に進むように、条件を作ることはしています。発災直後に「連絡室」を作りました。現在は、復興本部が、その組織を吸収しています。これまでの半年間の活動を振り返り、今後の期待を整理しました。ご覧ください。
震災ボランティア活動の果たしてきた役割と、今後の政府の取組
このように、実績や課題を整理しておくことは、重要なことだと思います。ありがとう、ボランティア班。