カテゴリーアーカイブ:歴史遺産

公共財としての火葬

2013年2月27日   岡本全勝

日経新聞夕刊社会面で、昨日から連載「公共財としての火葬」が始まっています。
宮城県名取市では、900の遺体の50%は市営斎場で、25%を山形県で、25%を東京都と仙台市で火葬しました。その陰には、火葬場を緊急に復旧した関係者と、他の自治体に協力を求めた働きがありました。多くの市町村では、それはできませんでした。
大震災の発災直後、困ったことの一つが、葬式と埋葬です。たくさんの死者が出て、一方で葬祭場や火葬場も壊れ、葬式ができないこと、棺桶や遺体袋が足りなくなったこと、遺体を運ぶ方法に困ったこと、仮埋葬をしたことです。埋葬する際に、僧侶の読経を望まれたが、できなかったことも、このホームページで書きました。
連載の27日は「市民の弔い、僧侶課長仕切る」でした。市役所の課長、木村さんは僧侶でもあります。
・・・公務員として政教分離は肝に銘じている。が、現場で2度、法衣で読経した。検視場所の閉鎖時と、身元不明の遺体を火葬のため安置所から搬出した際だ。人目につかぬよう、祈った・・・

放射能の安全基準

2013年2月25日   岡本全勝

2月25日の読売新聞社説は、「原発風評被害、放射能の基準から考え直せ」でした。
・・・放射能の安全基準について政府は根底から考え直すべきだ。政権交代はその好機と言えよう。・・
野田政権は、食品中の放射能基準を海外より厳格化した。政府の放射線審議会は、弊害が出ると警告したが、小宮山厚生労働相(当時)が政治的に押し切った。
その結果、基準超過が増え、食品の信頼回復は進まない。過去の核実験の影響としか考えられない放射性物質が検出され、出荷停止となった野生キノコもある。
問題なのは、野田政権が年1ミリ・シーベルトの被曝線量を安全と危険の境界線としたことだ。年1ミリ・シーベルトは法的に放射性物質を扱う施設の管理基準に過ぎないのに、この線引きを食品基準にも適用した。
国際放射線防護委員会(ICRP)も、年1ミリ・シーベルト以下が望ましいとしている。ただ、野田政権との違いは、これを超えても直ちに危険とは見なさないことだ。
ICRPは総量で100ミリ・シーベルトまでなら明確な健康影響は検出できないとの立場だ。ICRPが考える1ミリ・シーベルトは、安全性に余裕を見込んだ数値で、合理的に達成できるなら、との条件も付く。
世界には、大地などから年10ミリ・シーベルトの放射線を浴びる地域がある。病院の放射線診断で1回に約7ミリ・シーベルト被曝することもある。
1ミリ・シーベルトでの線引きは、16万人近くの避難者の帰還を遅らせる要因にもなっている・・

また、日経新聞ネット版(1月17日)には、次のようなフォーブスの記事も載っていました。「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」が出した報告書を基にした「放射線と発がん、日本が知るべき国連の結論」です。
・・・昨年12月、極めて重要な報告書が粛々と発表された。そこに結論として書かれているのは、原子力科学の専門家が長年にわたり主張してきたことだ。―つまり、約0.1シーベルト(Sv)または10 rem以下の放射線の被曝(ひばく)は大した問題ではない・・
報告書により、世界はようやく正気に戻り、人体に害を与えないことに無駄な時間を費やすのをやめ、実際に悪影響を及ぼす問題、そして本当に注意を必要とする人々に目を向けるようになるかもしれない。例えば津波によって引き起こされたインフラや経済への打撃、あるいは福島周辺の真のホットスポットの除染。さらには、人体に影響を与えない程度の放射線量しか浴びていないのに、被曝の恐怖に怯えて暮らし、まさにそうした不安に心身をさいなまれている何万人という日本人をケアするといったことだ。また、日本政府においては真剣に原発再稼働の準備を始めたり、国際原子力機関(IAEA)や米国政府からの改善案に耳を傾けることだ。
この報告書によって、低線量の被曝が個人と大規模な集団の健康に及ぼす影響について言えること、言えないことがはっきりするだろう・・

被災地の企業支援

2013年2月23日   岡本全勝

復興庁は、復興に関して民の協力を期待しています。一つはボランティアやNPOであり、もう一つは企業です。
物資や金銭の支援でなく、企業が企業活動をすることが被災地のサービスや雇用を生み、地域の活性化になります。企業誘致の補助金や減税といった手法の他に、被災地の企業と外の大企業とを結び、ノウハウなどを伝授してもらう試みもしています。マッチングと呼ばれています。
先日も、気仙沼市でマッチングの場を開催しました。
これは、行政手法としては、お金での誘導でなく、情報による誘導です。復興の現場では、いろいろな先進行政を試すことができます。官僚が知恵を出し挑戦できる場です。若手職員には、力を発揮できる場だと思います。
もちろん、民間からの「こんな試みはどうですか」といった提案も、大歓迎です。行政が直接実施できない事業でも、企業やNPOに情報や資金を支援することで、実施できることもあります。

福島県との協議会

2013年2月17日   岡本全勝

今日は、福島市で、「原子力被災自治体、福島県と国との意見交換会」と「原子力災害からの福島復興再生協議会」と、会議を2つ開催しました。前者は被災12市町村と県と国との会議で、後者は県と各種代表との会議です。
新政権になって、初めての会合で、さまざまな意見が出ました。初めて国と福島県との協議会を開いたのは、平成23年8月でした(2011年8月27日)。当時、市町村や県の国に対する不信は強く、意思疎通がうまくいきませんでした。そこで考えたのが、この協議会です。その後、法律で根拠を置きました。
あれから1年半が経ち、いくつかの項目は進みました。また、何が課題かを、お互いに議論できるようになりました。当時の厳しい雰囲気を思い出すと、感慨無量のものがあります。ありがたいことです。もちろんまだまだ復旧は進んでおらず、除染、賠償、復旧、帰還への準備と、しなければならないことばかりです。しかし、課題が明確になってきているので、手を打つことができます。

復興庁発足1年

2013年2月10日   岡本全勝

先日、記者さんから「2月10日で、復興庁が1年を迎えますが、何か行事をしないのですか」と聞かれました。私は、1年ということを全く意識していなかったので、「へえ、もう1年が経つんだ。いや、まだ1年しか経っていないのだ」としか思いませんでした。理由は、次の通りです。
1 復興は、被災地の現場で行われるものであること。復興の主役は住民であり市町村であって、復興庁はそれをお助けする立場であること。
2 現地の復興度合いが、「物差し」であるべき。復興庁ができて1年が経っても、何の節目でもないこと。それよりは、住宅の再建が進んでいるか、進むかの方が、重要なこと。
3 被災地では、起点は平成23年3月11日であり、24年2月10日は通過点でしかないこと。たぶん、被災者の方にとって、復興庁が1周年を迎えても、何の感慨もないであろうこと。
4 私にとっても、この仕事に従事したのは23年3月19日からです。引き続いて、被災者生活支援本部復興対策本部復興庁と切れ目なく復興支援の仕事をしているので、2月10日に何の感慨も浮かばないこと。毎日、忙しく走り回っているので、節目という気がしないこと。

もちろん、節目節目に、これまでの成果を評価し、進んでいないところや問題点を把握して、改善していかなければなりません。これについては、政権交代直後に、総理指示を受け政策の総点検を行い、当面取り組む対策を決めました(1月29日、復興推進本部)。また、この1年で復興が進んだ点と課題については、第三者機関である復興推進委員会から、報告(2月7日)をいただいたところです。