カテゴリーアーカイブ:歴史遺産

新3K産業

2017年2月14日   岡本全勝

「新3K産業」って、知っていますか。かつて流行した「3K」という言葉は、労働環境や作業内容が「きつい 」「汚い 」「危険」(あるいは暗い)職場を指しました。その頭文字Kをとった造語です。
それに対して、新3Kは格好良いですよ。「カッコよくて」「稼げて」「革新的」です。2月8日に紹介した「新しい東北顕彰」のうち、「フィシャーマン・ジャパン」の紹介文に出てきます。漁業を、新3K産業に変えようという挑戦です。
地域産業が栄えるかどうかの一つの試験紙が、後継者がいるかどうかです。「俺の息子には後を継がせない」では、衰退します。「東京に行くより、役場に就職するより、ずっと稼げる」となれば、若者は戻ってくるでしょう。そのような養殖漁業もあります。もっと広がることを期待しています。

復興庁5年、私のインタビュー

2017年2月13日   岡本全勝

河北新報の復興庁5年の連載に、登場しました。
2月11日は、「司令塔 評価と課題(中)変質」です。
・・・「自由主義経済の日本の哲学を変え、新たな災害復興の形を創った」
復興庁の岡本全勝前事務次官は2016年6月21日、退任の記者会見で強調した。
従来の概念を覆し、産業やコミュニティー再生にも国費を投入した東日本大震災からの復興。発生直後から政府の事務方を仕切り、先導したのが岡本氏だ。「霞が関の治外法権」と庁内外で呼ばれた。
現場嫌いと前例踏襲。官僚の習癖が非常事態の障壁になると感じた岡本氏は、被災地に職員の視察派遣を何度も繰り返した。
「仮設住宅の前では、きれい事だけでは通じない。何らかの答えを出さざるを得ないはずだ」。狙いは当たり、グループ化補助金など前例のない施策が省庁から提案される。岡本氏は首相や与党幹部と掛け合い、実現の道筋をつけた・・・

2月12日は「司令塔 評価と課題(下―1)前復興庁事務次官 岡本全勝氏に聞く」です。
・・・復興庁の5年間の取り組みをどう評価するか。
「全体的に及第点をもらえると思う。職員が何度も被災地を訪れ、被災者と首長の意見を聞き、信頼関係を築いた。インフラ再建に限定された従来の災害復旧から踏み込み、産業、コミュニティーの再生も担った」
「国が手を出さない分野や省庁間の隙間を埋めた新たな施策は、霞が関の司令塔、調整役として機能した証しではないか。グループ化補助金はコペルニクス的な発想転換であり、東京の大手企業と被災地の企業をつなぐ民間コンサルタントのような役割も果たした」・・・

・・・過疎化が進む中、巨費を投入しての高台移転に将来を懸念する声がある。
「離島から山奥まで道路、上下水道、学校を整備したのが、戦後の日本という国のかたち。憲法には書いていないが、上位概念にあると思う。どこに住んでも普通の暮らしをさせることが戦後の行政。東日本大震災の復興は、その延長線にある。費用対効果で測れない、国のかたちだ」・・・

詳しくは、原文をお読みください。

復興庁5年、被災自治体首長の評価

2017年2月12日   岡本全勝

2月10日の河北新報に「復興庁5年 被災自治体は・・」が載っていました。見出しは、「評価と 交付金配分要望通り、省庁横断の強み活用」「注文と 臨機応変な運用必要、原発復興支援継続を」です。

大熊町の石田仁副町長は「ほぼ要望通りの配分なのでありがたい。まちづくりのアドバイスなど非常に助けられている」と、多賀城市の鈴木学市長公室長は「職員は自分たちのネットワークを活用してくれた。復興庁に話をすれば、各省庁に話が通っていた」と評価してくれています。
このほか、被災3県と14市町村の首長または幹部の意見を表にして載せていました。
岩手県は「岩手復興局で窓口が一本化されたのはありがたい」、福島県は「ワンストップ機能が発揮されている」です。
女川町は「現場とのギャップはない。ビジネスパートナーな感じ」、南相馬市は「複雑な被災地域の実情を勘案し対応してくれた」、浪江町は「町担当参事官が何度も足を運んでくれる」、新地町は「全体的には寄り添った対応をしてもらえた」、飯舘村「予算は満足。発足時に比べれば役割を果たしている」です。
ありがとうございます。

拙著『東日本大震災 復興が日本を変える』p81や、『明るい公務員講座』p175にも書きましたが、初めの頃は首長からは必ずしも良い評価をもらっていませんでした。それが、2年経った頃から、評価が良くなったのです。現場での復旧が進んだわけではありません。まだ計画作りや用地買収に時間がかかり、目に見えた復旧も始まっていませんでした。なぜ、評価が良くなったか。それは、復興庁職員が現場まで御用聞きに行き、信頼関係ができたからだと考えています(参考、2014年2月7日河北新報)。
そして、地元自治体、首長さんからの良い評価は、職員の励みになります。
記事では、今後の注文ももらっています。

 

復興庁発足5年

2017年2月11日   岡本全勝

復興庁が2012年2月10に発足して以来、丸5年が経ちました。いくつかの新聞が、取り上げてくださっています。朝日新聞社説は「復興庁「御用聞き」から前へ」でした。
・・・これまで復興庁は、被災地に寄り添い、自治体や住民らの声をすくい上げる「御用聞き」の役割を重視してきた。そこから一歩前に出て、現場で課題を掘り起こし、解決につなげられるか。復興の司令塔としての力量が問われる・・・
「御用聞き」は私たちが心がけてきたことです。これまでの役所、特に国の役所にはなかった仕事の姿勢だと思います。これから、他の役所でも心がけて欲しいです。

・・・復興庁の特徴は、震災前は国の役割とはされてこなかった仕事に力を入れていることだ。仮設住宅に住む人の交流促進や、復興にかかわりたい民間人材を被災自治体や団体に紹介するといった事業だ。行政が不慣れな分野だけに、ノウハウを持つNPOや企業と積極的に連携してきた・・・NPOや企業といった民間と二人三脚で、「公」の仕事を担う。こうしたやり方をさらに広げ、新しい行政のモデルを目指してほしい・・・
ありがとうございます。まさに、私たちが目指したことを、適確に取り上げていただきました。

・・・復興事業の大半は他の省庁が担当している。復興庁はそれを調整する役回りだが、職員の多くは各省庁からの出向者だ。縦割り意識や出身母体への遠慮がないだろうか・・・
前段は、ご指摘の通りです。日本中を探しても、街づくりの専門家、学校校舎復旧の専門家は、霞が関にしかいないのです。民間にはおられず、新採職員を育てている時間はありません。後段の指摘は、なるべくなくすように努力したのですが。

・・・復興の重点は今後、福島県の原発周辺地域に移っていく。これまで賠償や除染といった仕事をそれぞれの担当官庁が進めてきたが、地域の再生に向けた取り組みでは復興庁が先頭に立つべきだ・・・
ご指摘は、半ば同意します。実は、原発被災地は復興の前に、事故の後始末が必要なのです。そしてそれは、政府の原子力災害本部の仕事です。「東日本大震災に係る政府の対応」(資料の12ページ)をご覧ください。地震津波被災地(図の右側)では、津波が終わると復興に入れました。しかし、原発事故被災地では、避難指示を解除する、またそれまで被災者の支援をするのは、原災本部とその事務局の仕事なのです(図の左上)。火事に例えれば、火は消えたけど、まだ立ち入れない状態といったら良いでしょうか。避難指示が解除され、住民が帰還できるようになったら、復興庁の仕事になります(図の左下)。もっとも、避難指示解除前から、帰還の準備に、復興庁が仕事を始めています。

また、朝日新聞は3面に、大月編集委員による「復興庁発足5年、32兆円分の責任」が載っていました。
被害が広範囲甚大だっただけに、復興には巨額の経費がかかっています。そして、それは国民の税金です。「地元の要望」と「税金=納税者の目」を考えながら、事業を進めなければなりませんでした。
記事にも出ていますが、高台移転の戸数が、当初の3万戸分から2万戸分に減りました。これは、市町村に住民の意向調査を繰り返してもらい、計画の精度を上げていったのです。時には、復興庁が嫌われてもです。高台移転は山を削り整地し、道路や上下水道を引きと、お金がかかります。当初は戸建てを立てたいとおっしゃっていた避難者の中にも、公営住宅に入るという方も出てきました。そこで、事業を縮小したのです。他方、公営住宅は当初計画の2万戸が3万戸に増えています。しかし、1戸あたりの国費は、かなり少なくなります。「一度計画を作ったら縮小しない」という行政への批判に答えたつもりです。
大月記者は、発災当初から引き続き復興を追いかけてくださっています。長期的に現場と行政を見てくださっていることは、ありがたいことです。