カテゴリー別アーカイブ: 肝冷斎主人

中国古典に興味を持っていて「肝冷斎主人」と名乗っています。彼も元私の部下です。著作の一部を載せます。絵も彼の作です。長編がいくつもあるのですが、HPには不向きなので、短編を載せます。画像の処理は、渡邊IT技官・清重IT技官の協力を得ています。
肝冷斎は、自らHP「肝冷斎雑志へようこそ」を立ち上げました。ご覧ください。

カミナリを拾う

カミナリを拾う
 先生が説明しているうちにカミナリ雲は遠くに行ってしまい、雨も晴れてきました。
「ちょっと見に行きまちゅかね」
 地仙ちゃんは先生をせかしてカミナリの落ちた大木を見に行きます。大木は二つに裂けて、ぶすぶすと煙を噴いていました。
「カミナリのチカラはすごいねー」と先生が言っている横で、地仙ちゃんはナニかを探しています。
「うふふ。やはりいまちた」
「な、なにがいるんだい?」
「これ、これ」
 地仙ちゃんは大木のすぐ近くに倒れている角の生えた小さなコドモを拾い上げました。気絶しているようです。
「このコは?」
「カミナリちゃんでちゅ。ハトコの雲仙ちゃんのコブンなの。地上ではこんなナチャケないカッコウちてまちゅが、電気がたまると竜の形にも変化ちゅる。秋にはまた雲の上に戻って行くの。とりあえず弱っているので、センセイ、おぶってあげて~」とか言っています。
「ち、地仙ちゃん、このコまで連れて行く旅費はもうないよ・・・」
「だ~め。センセイは地仙ちゃんにイノチを救われたの。お礼をちなくてはいけないの」
 しかたありません。たしかに、カミナリちゃんとはいえ見た目はコドモですから、捨てておくわけにもいきませんので、先生はカミナリちゃんを背負いました。まだ電気を帯びているのでしょう、少しピリピリします。
「さっきの続きだけど、①「申」というのは、古い形を見てもらえば納得行くと思うが、空から落ちてくる稲妻のギザギザの姿の象形なんだ。この「申」に、捧げモノを載せる台を表す「示」をつけると②「神」になることから、大昔のひとびとがいかにカミナリちゃんを畏れていたかわかるよね。
 「申」を「申し上げる」という意味で使うのは、神様にいろいろお願いするからだ、というひともいるし、イナビカリのカタチから「上下に伸びる」という意味を持つようになり、部下から上司に「上申」「申請」することを「申」というようになったというひともいるね。ちなみに「申」は「十二支」のサルだけど、「十二支」はもともとはドウブツとは関係なく、大昔のひとの使ってた序数字なんだよ。身近なモノとか信仰対象を使って十二までの数字を表わしているんだ。他の字も解説してみようか・・・」
 説明が続いている間に地仙ちゃんは、もっとオモシロそうなモノに気がついてしまいまして、先生の話をさえぎりました。
「センセイ~、あそこにもひとが倒れているの。オモチロい~」
と指差します。近寄ってみると、オトコのひとが倒れていました。
「このひとは・・・さっきの食堂からずっと後をつけていたひとだと思うよ」
 まだ息はあります。どうやらこのひとは、先生たちの後を追って大木に近づいてきたところへカミナリが落ちて、直接は命中しなかったのでしょうがショックで気絶しているようです。

 

カミナリ落ちる

カミナリ落ちる
 町を出まして峠道にさしかかったころ、雲行きが怪しくなってきまた。まだかなり遠いところですけどゴロゴロとカミナリも鳴っています。
「うふふ。一雨来まちゅね。帽子の中のサチョリが騒いでいまちゅ」
「う~ん、困ったなあ。雨宿りのできそうなとこを探さないと・・・」と言っているうちにぽつぽつと大粒の雨が当たってまいりまして、あっという間に土砂降りになってきました。
「地仙ちゃん、あそこの大きな木の下に入ろう」
 雨音がすごいので、先生が大声で言って、やっとすぐ側の地仙ちゃんが聞こえるぐらいの土砂降りです。
 二人は道端の大木の下に入りました。
「ふう、やはり寄らば大樹の蔭、だね。人生においてもそうしてくれば、もう少しよかったのかも知れないけど・・・」と先生が手ぬぐいで顔をぬぐいながら言いましたところ、地仙ちゃんは木を見上げて「センセイ~、ここはダメでちゅ」と言います。
「こっち、こっち」
 地仙ちゃんは先生の手を引いて再び大雨の中に出て、大木から五十歩ぐらい離れたところにあったあまり大きくない木の下に移動しました。
「どうしたんだい、地仙ちゃん。またズブ濡れになっちゃったじゃなか。それに、この木では枝ぶりがあまり広くないから完全な雨よけにはなりそうもない・・・」と先生がぶつぶつ言ってたちょうどその時、
あたりがピカっと明るくなり、 どんがらがっしゃっしゃ~~~ん・・・・・とすごい物音がしました。先生はアタマを抱えてすわりこみます。
 しばらくして先生はそうっと起き上がりました。
「カミナリが落ちたのかなあ」
「ちょうなの。さっきの大きな木に落ちたの。どうやらこの木に落ちてきちょうね、と精霊のカンでわかったの」と地仙ちゃんはにこにこしています。
「はあ、地仙ちゃんのおかげで助かったよ」
 危なかったですね。寄らば大樹の陰、というのは実は危険と隣り合わせなのです。先生ははじめて、地仙ちゃんとおトモダチでよかったなあと思ったほどでした。
「カミナリは①「雷」と書く。上半分は「雨」だけど下半分の「田」は「田んぼ」じゃないんだ。点線の中がもっと古い「雷」の字。稲妻のあちこちに○に十字のマークがある。
この○に十字のマークが「雷」の中の「田」なんだ。この「田」はやはり太鼓の象形だろうといわれているね。大昔のひとたちは、雷さまは自分たちの手の届かない天上でゴロゴロと太鼓を鳴らしているのだと想像していたようだ。
 また、イナビカリのことを示すのが②「電」という字。この「電」の下半分、「田」に尻尾が生えたような形はなんだろうか。実はこれは古い字体を見ると上にも突き抜けていた。要するにこれは「申」という字なんだよ」

トモにする

トモにする
「あ、ちょう。・・・バクバク・・・ムシャムシャ・・・、お代わり~」
 地仙ちゃんはすごい勢いで食べています。地仙ちゃんの「食」には足りるということなど無いのです。お代わりを待っている間、地仙ちゃんは言いました。「つまりチュウゴクの大むかしはトモグイ集団? やっぱりちょうの?」 また何か誤解しているみたいです。
「「キ」という食器を示す形象を持つ文字には、他にもまず「饗」がある。この字は、「郷」の古い意味が忘れられて集落を指すようにのみ使われるようになった後「一緒にメシを食う」という元の意味を示すために、もうひとつ「食」を付けて作られた文字。つまり「郷」と「饗」は「古今字」に当たる。また、ごちそうを食べる「餐」、メシをこれから食う「即」、食い終わってもう要らないという状態の「既」など数多い。
 またヘンな誤解をしているようだから念のため言っておくけど、トモグイじゃなくて共食(キョウショク)。大むかしのチュウゴクのひとがニンゲンを食っていたであろうことは否定しないけど、「共に食う」ことはトモグイとは違うんだ。
 ①「共」という字は二本の手でお供えモノを捧げている姿を表す字なんだよ。二本の手両方で行うので「トモにする」「共同する」という意味になった。お供えをすること自体はニンベンを付けて「供」の字で表す。ニホン国では「供」の字を使って「お供(トモ)をする」という言い方をするけど、その場合は本来「伴」だろうね。
 また、「共」にさらに手を示すテヘンを加えると「拱」という字ができる。チュウゴクのひとがよくやる両手をそろえて胸の前に持っていくあいさつのしかたのことを「拱手礼」というんだけど、「共」という形象を持つ文字には、神様へのお供えや尊敬すべきひとへのご挨拶など、何となく「うやうやしい」行為が関連しているみたいだね。 ということで、お供えモノをするときの「うやうやしい」キモチを②「恭」という。
 ニホン語で同じくトモと読む「友」も③にあるように二本の手からなっている文字だ。こちらの二本の手はどちらも「又」(ユウ)。現在では「または」という読み方をしているけど、本来「又」は右手を表す文字。「友」はこれを二つ重ねていて、両手で何かを持っている①の「共」と違って、二人が右手で協力している状態を表しているんだよ」
「ふうん・・・、トモダチは二人でクイモノを取り合っているの?」
 先生は誤解を解こうとしましたが、そこへお代わりが来ましたので、地仙ちゃんはまたバクバクと食べはじめました。すごい量です。店のひとたちが地仙ちゃんを見ながら目配せをしたり、ひそひそバナシをしたりしています。
「ふう・・・。ゴチチョウちゃま。もっと食べてもいいけどビヨウやケンコウにも気をつけないといけないから、これぐらいにちておくの」
 ようやく食べ終わりました。
 すごい額のお勘定をすませて、二人は金陵の町に向かって出発します。道々、「センセイとあたちはトモグイ集団になってちまいまちたね~」と話しかける地仙ちゃんに対して、先生が何度も後ろを振り向きながら言いました。
「地仙ちゃん、さっきのお店を出てから誰かに尾行されているような気がするんだけど」
「地仙ちゃんのファンのひと? ・・・センセイ、お勘定をゴマカちたんじゃないの?」
 地仙ちゃんはノンキなものですが、先生は心配でならないようです。

食の意味

「食」の意味
 約束です。船から上陸したところで、先生は地仙ちゃんにスキなだけクイモノを食わせてあげなければなりません。
「さあスキなだけ食べて、もう「ニンゲン食べる~」なんて言わないでくれ」と、先生は港町で一番安い料理屋を選んで入りました。
 地仙ちゃんはにこにこです。席についてたくさんのクイモノを注文しながら、「センセイ~、あたちがニンゲン食べちゃうなんて、人聞きのワルいこと言わないでくだちゃいな。センセイじゃあるまいち、よほどのことが無ければ食べないの~」と言っていまして、意外と世間体を気にしているようです。
「地仙ちゃん、あんまり大きな声で「ニンゲン食べる」なんて言わないでおくれよ」
「うふふ・・・。でも、「食」という字をよく見てみると、「ニンゲンがイイ~」と読めまちゅよ。カンジを作ったひともニンゲンをおいちいと思っていたのでちょ」
「う~ん、いわゆる「字源の通俗解釈」の典型的な手法だね。有名なモノに「親」とは木の上に立って(コドモを)見守るひと、という解釈がある。解釈というのはそれぞれの思想の発現でもあるから勝手にやっていいんだけど、漢字を作ったころ、そんな親子関係が規範として意識されていたというのはムリ。
古代の迷信の残滓、ニンゲンの無意識の奥底に今も潜む残虐なココロなど、漢字にはすごく豊かなイメージが籠められているのに、「通俗解釈」は解釈する側の生活常識や道徳でそれを卑小化してしまっているキライがあって、「漢字なんて大したことないぜ」と思われてしまいそうでお薦めできないんだ。
 で、「食」という字は①のようなカタチ。点線の下半分は「キ」というタベモノを盛るための食器の象形、上半分がそのフタなんだよ」
 頼んだ料理が出てきましたので、地仙ちゃんはすごい勢いで食べ始めました。
「②に示したのがこの「キ」という食器を指す文字で、材料を示すタケガンムリ、機能を示す「皿」を除けば、「食」の真ん中と同じ符号が入っているだろう。実はこの「食」という字から、チュウゴクの古代社会のあり方を少し伺い知ることができるんだよ」
「ムシャムシャ・・・メチのことは大切でちゅからね・・・バクバク・・・」
「衣食足りて礼節を知る、というように、衣食が無ければ文化なんて成り立たない(よくよく考えてみると世界のあちこちにハダカのままの文明もあるので、どうも「衣」は必要条件ではないみたいだけど)。
「食」は絶対必要なわけだが、この食の字に関わる文字に、③ア)郷(キョウ、ゴウ)、イ)卿(キョウ、ケイ)という字がある。「郷」は集落を指す文字(「周礼」によれば一万二千五百世帯をいう)。「卿」は高い身分のひと。
 この二つの字は、いずれもフタをとった食器のキを真ん中にして、左右からひとが集まってメシを食うことを表している。今では違う文字になっているけど、古くは同じカタチをしていたらしい。「いっしょにメシを食う」という文字が二つに分かれたんだ。
 このことから、大むかしのチュウゴクでは、食器を囲んでメシを一緒に食う、ということから派生して、「郷」という字で地方行政組織を指し、「卿」という字で指導者層の身分を指すようになったということが判明する。一緒にメシを食う集団を人類学や社会学の世界では「共食集団」と呼び、この集団内で通婚したり、有事に軍事共同体を構成するこ
とが多いんだけど、大むかしのチュウゴクでもこの「共食集団」が構成されていたことがわかるんだ」