8月8日発行の「公共を創る」第195回「官僚への信頼を取り戻すには」で、「戒石名」に触れました。
「爾俸爾禄、民膏民脂。下民易虐、上天難欺」。私が自治省に入ったときに、上司や先輩から教えられました。
旧二本松藩戒石銘碑が、有名です。しかし、その元となったのは、もっと昔の中国です。肝冷斎雑記、7月19日の「戒石銘(土風録)」に、その出典について、詳しく書かれています。
簡単にいうと、中国五代十国の時代(941年)に、後蜀の王・孟昶(もう・ちょう)が「儀石銘」という文書を作って、地方部局に配りました。孟昶の書いた銘の言葉は全体で二十四句(×4文字=96字)あります。
宋の太宗皇帝(在位976~997)は、そのうち四行(16字)を選んで書き物にして、天下の州県の役所に配りました。このとき名前を改めて「戒石銘」としたのです。